『人生問題解決ブログ♪』自力なしで成功する「環境作り」法。by「妊娠虫40歳。」

妊娠虫(バグ)を発生させてからの記録。※誤字脱字すいません、マイク入力でリライトしてません。ニュアンスでお読みください。

面倒くさいことこそ、事前準備を簡単にしておく。

 

本当に人間とは面倒くさがりやだ。

 

目の前にある、階段さえ、登るのが嫌になる。

ちょっとした、片付けも、面倒くさいから、そのへんにポイして、後で探すのに苦労することになる。

片付け方は人それぞれだから、ポイしてもすぐに見つかる人はいいけれど、たいていの人が、あれーどこだっけ?なんでないんだー?となって時間の無駄とストレスを溜める。

 

そう、人間はとてもとてもとても面倒くさがりやなのだ。

 

でも日常でそれでは困ることがたくさんある。 

 

例えば食事。

作るの面倒くさい。

いっか、この菓子パンでも食べれば。

体調イマイチ。精神不安定。

さらにジャンキーなものを食べて、太り、ストレス大!!!

それをループさせて、太ったストレス不健康人間が出来上がる。

 

イヤだね、そんなの。

 

もしくは周りにそういう人を見かけるんじゃないか?

いつもイライラ、ストレスを口にし、あいつが悪いといいつつ、ジャンキーなものをバクバク食べてる人。

 

もちろん、そういう人に近寄らないのが一番だけれど、、、。

 

そうもいかないのが会社だったり、自分の伴侶だったりする。

 

そういう時、へんにアドバイスすると、キレられる可能性大だ。

 

なので、まずは自分を自分でコントロールすることに注力を注ごう。

 

例えば食事、本当は作りたいけど、疲れてるしー、レシピも思いつかない。

 

じゃあ、食材を買う時に、レシピを決めて買おう。※簡単なものでいい。ここで大切なのは、ジャンキーなものを食べず、自分で少しでも作って食べることだ。

 

例えば4日分の食べたいものを想像し、麻婆豆腐だったら、麻婆豆腐の元を買って、キャベツ買ってとか。

野菜切るのが面倒くさいと思えば、ミニトマト1パックが1日分だと決めて買うだけ。

 

そうすれば、疲れた仕事帰りでも、もうすでにメニューは決まっていて、作りたいと思うだろう。

 

だって自分が食べたいものをすでに選んで、ちょっと手を加えれば、自分が食べたかったものが食べられるのだから。

 

これにより、毎日の胃の調子、精神の安定、次の朝が爽やか、疲れにくくなり、来週の買い出しも楽しくなる。

 

一つ面倒くさいを解決出来ると、他にもいい影響が出るものだ。

 

それは自分が思っている以上に、自分の生活を潤わせる。豊かにする。

 

完璧を目指さず、なるべく、好きなものを選び、それを楽しいタスクに落とし、達成する。

喜びを感じると、毎日成長できる。

 

計算すると、行動が早くなる。

最近やり始めた株。

まだやり始めて2週間もたってないけれど、毎日のように株を買っている。

実体験の方が早く勉強できると思い、

まずは楽天証券に入金しておいた100万円から一度の注文100口10万円くらいのをいくつか買ってみた。

 

各株で-2000円〜+8000円前後の上げ下げが次の日わかった。

とくに朝チャートを見ながら注文しているわけではなく、夜中に、楽天証券のブログ的なものをみて、これ良さそうだな的な、ある意味当てずっぽうに妥当なのを買ってみる。

 

始めは恐る恐る、次の日はだんだん慣れてきて、そのうち10万円じゃたいして値段の差が次の日出ないと知る。

 

あまりスリリングさもない。

株主優待に興味もない。

むりやりほしい優待を探すのも面倒くさく

主婦的感覚はないのでスルー。

 

じゃー何を手に入れたいか?をふと考える。

 

だいたい投資は元値の3%くらいが健全な数字なのだと思っている。

 

手元にあるのは、すでに投資している100万円くらいの株と、現金残り500万円と、仕事で手に入れる週5日の手取り1日1万円だ。

 

ふと、計算してみる。

10万円の3%は3000円。私の時給2時間分。

100万円の3%は3万円。私の3日分の給料だ。

じゃあ600万円の3%は?私の1ヶ月には満たない給料分になる。

 

おお、なんか希望が持ててきた。

だからといって一回の取引で毎朝100万円かけるだけの度胸はない。

10万円だったら毎朝ギリ、行けるかもしれないが、慣れないまでは、頑張ったのに3000円かーと思ってしまう。(いや、3000円もつもり積もればと思うものの。)

 

ある人は毎日2万円を何も考えないである株に投資してて、1年半で30万円くらい利益が出たみたいだ。

要はマイナスもプラスも、平均して積み立ててたら利益が出た的な。

ただスパンが長いし、面白みにかける。

 

だからといってデイトレーダーになる気はないけれど、時々ぱぱっと携帯で取引はしたい。

 

まだ自分の中のルールないし、単純に3%を計算してみただけだけど、それでも、行動のアイデアは計算したことで選択肢がわかりやすくなったと思う。

 

投資といえども、自分に合ったものが各自あるはずだ。

それを私は最終的に見つけたいというのが、たぶん今の欲しいものである。

 

それが手に入れば、情報に左右されることなく、株やったことある?と聞かれても、自分スタイルを伝えることができるから。

 

一つの投資というカテゴリーを自分の人生でどの意味合いに配置するのか?

決めるまで、やってみたいと思う。

 

できたら、労働ではなく副業として小銭が貯められたらな。

パートなんで、社員の人よりボーナス3分の1なので、年間40万円プラスになれば、社員と同じ給料の上にパートという気楽な仕事ができるのはいいな。

 

現実的すぎる?

 

今年の残り半年の目標リストに入れておこう!

 

 

環境を整えれば、すぐに満足度が上がる。

計画より先に、環境を整えると、早く満足度が上がる。

 

計画を立てるには時間がかかる割に、予定変更にも時間がかかる。

 

でも環境を整えるのは秒速でできる可能性がある。

 

例えば、体を鍛えようと思って、バランスボードを買ったとする。

買った時はすぐに試してみたいから、箱からだして、乗ってみる。

 

だけど、乗ってみたものの、たしかにバランスをとるのって難しいなと思いつつ、今度やろうと脇に置いておく。

 

しかし次の日、昨日体験してイマイチいいイメージの実感が持てなかった為に、横においていたバランスボードはそのまま見るものの、脇にどけられたまま、乗らずじまい。

 

そうこうしているうちに、バランスボードは「自分には合っていなかった」「たいして効果はなかった」と、一回しかやっていないのに、諦めてごみ捨てにいくことになる。

 

そんなことはたくさんあるのではないか?

 

面倒くさい、効果があるかわからない、やっぱり誇大広告で嘘だったんだ、自分には合わない、自分には意味がない、、、。

 

いろいろな理由をつけて、せっかく決断して希望の星だった購入したものはゴミに変身する。

 

そうならないために、まずは環境を整えてあげるのだ。

 

どうするかというと、バランスボードを脇に置くのではなく、洗面台の足元の下に置く。

 

そして洗面台を使う時は乗らなくてはいけない環境に置くのだ。

 

人間は「面倒くさく」とすぐに行動をしない生き物だ。

運動は面倒くさい、だけどデブや不健康からは抜け出したい、面倒くさいけど、雑誌に乗っているモデルのような体型になりたいと、出来もしないことを考えるものだ。

 

だったら、購入するまでできたなら、その環境を整えてあげるだけでいい。

 

バランスボードだったら、脇に置いていたものを洗面台に移動するだけで、毎日乗るようになる。

 

乗るうちに、あんがいできるじゃんと思い、自分に少し自信が持てる、そして

環境を自分で整えて、できた!ということに高い満足を得ることができるのだ!!!

 

他にもたくさんできることはある。

 

英語も、ダイエットも、ちょっと冷静に考えて、「環境を整える」だけで、劇的に毎日が満足で溢れることだろう。

褒めよう。自分を。

「褒めよう。自分を。」

これが、2019年残り半年のテーマ。

 

小さな変化は毎日おこってるはずなのに、忘れてしまう。

そうすると大きな変化だけが記憶に残り、大きな変化なんてたまにしかやってこないから、

今日も何もできなかったと思ってしまう。

 

計画よりも、記録をつけるほうが成果は出るときいている。 

 

でも面倒くさくて怠ってしまうから。

やっぱり記憶に残らず、今日もだめな一日だったと思ってしまう。

 

だから、とにかく、忘れているけれど、今日1日小さな変化はあったと仮定して

 

まず、自分を褒めよう!!

 

悪い小さなことが起こってたとしても、それが失敗だとしても、失敗からしか人は学べないのだから、失敗さえも褒めてあげよう。

 

失敗したってことは、チャレンジしたってことだから。

行動したってことだから。

 

まず行動しないと何も始まらないのだから。

 

毎日、きちんと、自分を褒める!!

 

心と時間に余裕があれば、ノートに毎日じゃなくてもいいから、メモ書き程度に記録しておくといい。

 

1年後きっと、自分では忘れているけれど、自分の頑張りに感動するから!!

 

砕かれた自信は自分で作り直す。

ここ何ヶ月、うまく行かないことが多い。

突然サプライズのように人に助けられすごくうまくいくこともあるけれど。

 

上手くいかないことが何回か続くと、そのループに入り込み、もう出られないんじゃないかと思ってしまう。

 

迷い込んだ迷路の道に紙切れが落ちてて、拾ってはその文字を読み、大丈夫だ!この迷路は抜けられると思い込むも、上手く迷路から出られず。

 

ある時は人とすれ違い、アドバイスをきいて前向きになって迷路の出口を探すも、出られず。

 

ただ私にいつも纏い付くのは、自信のなさ。

比べちゃいけないと思いつつ、固定観念は持っちゃいけないと思いつつ、考えてしまう。

それが迷路の出口から出られない原因だとわかっていても、もう少しのところでいつも出られない。

 

とくにこの固定観念がよくない。

・ここがダメだからうまく行かないんだ

・もう歳だからムリだ

・努力したところで対した成果は出ない

・私には何もない

・私はダメだ

・私なんてたいしたことない

・私なんて変わりはいくらでもいる

 

脳内で暗示のように自分を洗脳しているのだ。

だめな自分になって、何もせず、何も変わらず、現状維持で楽して、ただ安全パイにいようとする自分。

 

だめな自分でいれば、努力も続けることも面倒くさいことからも疲れることからも、不安やうまくいかないかもしれない恐怖や、だめだった自分を見つめなくてもよくなる。

 

うまくいかない自分を見つめるのは、辛いし現実を知るのも、選ばれない自分を認めるのも辛い。

 

だからそこから逃げるためにはその道を選ばない人も多い。

 

でも私はその道に行きたいのだ。

 

ずっとずっと逃げてきた道だからこそ、40代になってチャレンジしたいのだ。

 

その気持ちがあるのを知ってるから、もがいてるのだ。

 

怖い、やめよう、私には向いてない、ちょっとチャレンジしただけで、自暴自棄になる。

 

7月だ!

あと半年ある!

あと、180日くらいある。

あと、3000時間弱はある。

2019年という歳は。

私の42歳という歳は。

 

まだまだできることはある。

 

立て直そう、今年を。

 

自分が最低最悪だと言いたい!

いや、何もしてないよ。

平々凡々と、悪いこともせず、逆に前向きに頑張ろうとしているんだけど、、、。

 

なぜか、なぜか、最低最悪だと、自分のことをけなしたい!

壊してしまいたい!

衝動に駆られるのです。

 

周りの人たちは(旦那をぬかして)いい人たち。

みーんな優しい。

 

だけどだけど、私はエネルギーが余っているのか、なんかなんか、溜まっている。

 

現状から打破したいのに、いつまでたっても平々凡々と、幸せにある意味暮らしている。

 

何困ることなく。

 

最悪な夫といえど、仕事があまり無い為、ごみ捨て、軽い掃除、食器洗いをしてくれる。

私が不機嫌な時、私が部屋に閉じこもっていてもまあ、いい。

私が料理作りたくないときは買ってきて自分で食べる。

 

疲れてるっていうより、何か燃焼しきれてない。

でも年齢のせいにして、本当はすごく疲れてるのかもしれない。

 

最近恐ろしく朝起きられず、遅刻を2回した時はわれながら、びっくりした。

 

不燃焼で、疲れてる。

 

こんな感じ30代後半に感じてた。

疲れてるって。

恋愛も、少し落ち着きたいと思っていた。

突っ走って何も考えず、好きだけで生きていた20代とは違う。

 

40代になって、顔はたるみ始めてきたものの、どうにかすれば、もう少しよくなる気はする。

し、40代だからって後先考えて行きたくない。

慎重にいきてたって、死ぬときは死ぬのだ。

大切に体を使ってたって、死ぬときは燃やされる身だ。

 

頭がおかしいのか、とにかく、刺激も足りず、マンネリと加齢で疲れているのかもしれない。

 

だから、最低最悪の、自分だと、声を大にして叫びたい。

 

もっと体を隅々まで使いたい。 

もっと赤ちゃんのように、声を自由に、出したい。

もっと表現したいし、もっと私を見てほしい。

またお互いを見たい。

 

デパスと何かの抑うつの薬を今日は飲んで寝る。

なぜなら明日は休みだから。

もし、薬のせいで熟睡しておきられなくてもいいから。

 

それにしても新しい薬のフルボキサミンは胃腸にくるなー。

 

これ飲むとすぐに、胃腸がキューキュー動き出す。

 

本当は朝夜飲むのだけど、朝は仕事に影響するとと考えて夜だけ、それも、休みの前だけ飲んでいる。

この使い方じゃあまり効かない気もするけれど、デパスが合っててきいてくれるから、新しい薬はそれほど重要ししてないけど、スパイス的にきいてくれればと思う。

 

薬ってやばいね。

もちろん違法なものは一切やらないけれど、タバコは大嫌いだし、

でも精神系のは、脳にきいて、すごいね。

 

あるいみお酒の酔った時のフアフア感が好きだ。

 

ゆっくり、休もう。

7/1心療内科に朝からいく。

なぜなら夢をみてその中でもがいてたら、目が覚めて遅刻確定だったからだ。

 

今週で2度目。

でも、薬が切れかかってたから、せっかく遅刻するならと病院に向かった。

 

そこで半年以上ぶりくらいに私は病院にきたらしく、月日の早さにびっくしりた。

 

そして先生と話してたら涙がでてきた。

 

でもこの涙も、何度となく流してきたから、そこまで大量ではなく、ほどほどの涙。

 

先生は話をきき、少しでも気分が晴れるんじゃないかという薬を出すしかできないけれど、私にはここにいれただけでありがたい。

 

こんな愚痴をただ素直に伝えられるのってそう夫婦でも難しい。

 

いや伝えはするけれど、反発される。

彼は元から弱い人。

そんな人に、私の悩みを伝えても、嫌がられるだけなのだ。

もしくは私が後ろ向きなことを嫌がられるだけ。

アドバイスや、前向きになれなんて言葉はいらないのだ。

 

ただ私の弱さや悲しさ、不安がある状態だと知ってほしかったのだ。

 

だけど、それを伝えてもすぐ忘れられてしまうし、セックスにことしか考えてない彼としては、私がその気じゃないことに落胆したり、するだけで、それはさらに私をうつっぽくさせる。

 

だから外に手助けを、求めるしかないのだ。

 

夫婦話し合えば解決するなんて、きれい事だ。

そんなよくできた人間どうしだったら、苦労しない。

 

クリニックから会社に向かう道のりは昔懐かしい乗り換えで少し私を安心させたり、気分を変えてくれる。

 

私は旦那といると、問題が多すぎて、他の場所で癒やされたいと思ってしまう。

夫婦ってそんなんでいいのかなとも思うし、問題なんて、屁でもないと思えば、スルー力をつけて、それなりにやっていけるのかもしれない。

 

求め過ぎなのだろうか、旦那に。

 

でも私は、もっと幸せになりたい。

もっと欲しい。

 

まあ、もし、私が自然に生きていて、彼がまた他の女性にいくようなら、その時は離婚する決意だし、それを伝えているから、その時はそういう運命なのだろうと、新しい生き方をするのみだ。

 

最悪な気分。生理終わったのに復活がなかなかなか、、。

セックスする予定だったが、彼がスパゲッティの麺を口に入れて、もぐもぐして、犬の皿に出し、食べさせる姿をみて、萎えた。

 

いや優しさかもしれないが、キモい。

私にはどうしても犬のために人間が口に入れて噛み砕いたものを上げる姿が生理的に受け付けない。

 

食べれないのなら、それをあげなければいい。

私には犬にそこまでの優しさはない。

 

と、そうじゃない。

そんな姿を見て、セックスを断り自分の部屋に戻って、落ち込む。

 

愛おしいものが見れない、自分の姿もババくさくみえて、癒やされない。

いや、42歳の女に癒やされるなんて、、、あ、あるか。

 

おしとやかな45歳の友達がいる。賢そうで、清潔そうで、無駄がない。

ストレートの髪に、化粧は薄く、清楚なスカートをいつも着ている彼女。

声もおとなしく穏やか。

そんな彼女を見ていると、心が和み、癒される。

 

それに引き換え、私はだめだ。

不安定で落ち着きがなく、今だにメソメソしては、彼に対しても嫌な気持ちしかない。

料理は雑だし、しない時も多い。

 

新婚の時は、仕事もしてなかったせいか、いつもいろんな料理を作っていた。

エプロンはつけて、きれいなお皿にのせて。

 

それが今では、ご飯を炊く、お味噌汁を作るくらいしかしないことも多い。

作ってもトマトスープ系とか、しゃぶしゃぶとか、頭が回らない。

 

想像ではたまに、あれを作ってみたいなと思うものの、キッチンに立つと作る気が失せる。

 

45歳の彼女は朝も夜もご飯をきっちり作る。

朝早く起きて、犬の散歩もする。

趣味は旦那さんと同じ運動をしていて、ずっと何年も不妊治療を頑張って文句も言わずに続けている。

そんなたくましくおしとやかな彼女は尊敬に値する。

 

私はへぼきちだ。

自分のことしか考えられないし、今は情緒不安定で、やる気もおきない。

唯一毎日仕事にいってて、彼からお小遣いをもらわなくても自分の好きなものを自分の稼いだお金で払ってるくらいが私のできてることだ。

 

彼からかわいいと言われても、なんか素直に受け入れられない。

かわいいと言っていた、去年、彼は愛人を作って半年付き合っていたからだ。

 

私にいっていた言葉、つくりものにしか聞こえない。

私には自信がない。

愛する自信も、愛される自信も。

 

彼は私がもし彼が定年したあと、離婚でも私がしようものなら、私を刺して刑務所に入ると言っていた。

 

まあ、本当にできる人ではないだろうけれど。

でも再婚の彼は前の奥さんが家を出て行って帰ってこなかったトラウマが大きい。

 

でもどう見てもそれは、彼が悪いように感じてならないが、実際はわからない。

彼は奥さんに何をいっても何をしても自分のそばから離れることはないだろうと高をくくっていたのだ。

 

自分の元から去っていた逆恨みからか、奥さんの悪いところばかりきかされたり、反対に、自分が奥さんのことを過呼吸を起こすまでに言葉の暴力を奮ってたことをきいたけれど、もしかしたら強がりかもしれないし。

 

夫婦のことなんてわからない。

 

他人の心なんて、夫婦といえどもわからない。

 

近くにいればいるほど、憎み、相手にたいしての嫌悪感も、強くなるのだと思う。

 

彼はトラウマから、怖いから、私に捨てられるのが怖いから、強がりをいったり、反対に永遠を誓うようなことをいうけれど、私のことを愛していないと思う。

 

それは私への愛ではなく、自分を守るための自分への愛じゃないだろうか。

 

だからといって私も彼を愛してはいない。

 

ただ別れなかったから結婚した。

結果的には。

ただ寂しいから、ただ別れが悲しいから。

それでも、お互いを必要とし、愛じゃないとわかっていても一緒にいる夫婦なんてたくさんいるんだろうし。

 

結婚しても3人に1人は別れるのだから。

 

はじめに付き合った人とは相思相愛だったけれど、最終的には別れた。

嫌いとかじゃない。男女ではいられなくなってしまったのだ。

友達としてはいい関係だけど。

 

二番目に好きになった彼には、きっぱり振られた。でもいまでも少し尊敬してるし、今でもいい思い出だし、今でも連絡が出来る関係はそのままでとどめておくのが美しいと思っている。

近くに寄りすぎてしまってはいけない相性なのだと思う。

 

三番目に好きになった人は、とにかく彼のホルモンに惹かれた。体臭というか、セクシャルな部分でとてもとても惹かれて、近づいたけれど、振られた。

 

この三人の他にもちょこちょこ片思いをしたけれど、瞬間片思いもあれば、追いかけて追いかけてあっさり嫌がられたりw

 

若い時はきっと恋ばかりしてたのだと思う。

それも若い時特有のコントロールが利かない、恋。

勝手に突っ走っちゃって、他が見えなくなる恋。

 

それが30代後半になると、婚活パーティーに行くようになって、片思いの恋ではなく、相手から言われたから始まる関係が多くなった。

だから恋じゃないから、途中で気持ちが続かず、少しでも相手の態度が悪くなると別れたくなった。

そして別れた。

 

今の旦那は、別れるためのケンカを何度とした。入籍も2回ぐらい日を変えたし、本当に入籍する前日も大喧嘩で別れるか入籍するかでもめた。

結婚指輪を買うときも、結婚式の準備の為のスタッフさんとの話の場でも、彼はそっけなく、興味がなさそうだった。

 

そんな感じで始まった結婚と、同棲のままの家に住み続けたせいか、新婚というのも感じなかったし、前ととくに変わることがなかったから、結婚した気もあまりしなかった。

 

そして仕事をやめて家にいることに耐えかねた私は彼の反対も押し切って学校に通いだし、働き始めた。

そしてとつぜんの妊娠と流産。

そして旦那の浮気がずっと行なわれていたことを後で知ることになる。

 

そして彼が今までどんな女性と付き合っても、他の女性と浮気をすることを、昔からしていて、前の奥さんともなんどか浮気が見つかったことを知ることになる。

 

まともに女性と付き合うことをしたことがない人だとわかったのだ。

結婚後にわかった新事実。

 

彼は自分は平凡じゃないところが刺激的で面白くて、そういう自分が私に受け入れられていると思っている。

 

たしかに私は普通に優しくて、普通な人とはすぐ飽きて付き合えないかもしれない。

 

けれど、私が一番ほしいのは、追いかけたい恋で、尊敬できる人間性のはずなのに、私はいつもそういう人には受け入れられてもらえないのだ。

 

だから、旦那のような人と最後は結婚することになった。

 

結婚後、バツイチの彼の前の奥さんのことで2年以上苦しむことになった私。

浮気が発覚して、その相手の女性のせいで、前の奥さんからは開放された気もしたが、最近また前の奥さんと自分を比べてしまいそうになる。

 

とにかく私は流産後情緒不安定で、(もちろん毎日じゃない。ぜんぜん平気な時もある。仕事も毎日行けてるし。集中して仕事をしている。)自分に自信を持とうとチャレンジすることも失敗し、また自信を失うはめになる。

 

そんな状態だから仕方ないといえば仕方ないし、辛いときというのはずっとは続かないのを知っている。

いつかは今の心境も忘れてしまうことも知っている。

 

正しい努力の仕方も知っている。

 

だけど、デパスを飲まないと辛い日がまだあることも、仕方がないことだと知っている。

 

仕方がない。

仕方がない。

仕方がない。

 

本当にこういう時は、うまく行かない時ってあるんだ、人生には。どんな人にも。どんな人生にも。

 

自分の理想の体型を手に入れる方法。

足が物理的に10cm伸ばすことはできないけれど、足が長く見える洋服はある。

 

でもそれじゃあハダカになった時に悲しい。

 

そんな人に伝えたいのが、自分の肉をつまんで隠した時に、自分の理想の姿が見えたら、それはかなりのスピードで理想になれることができる。

 

一番だめなのが、体重計にのって、あー今日また体重が減らない、今日は減った!と一喜一憂して、ストレスを貯めることだ。

 

どうしても女性は生理前になると水分を貯め込むし、ジャンキーなものが食べたくなってしまう。

そうすると体重計にのっても変化が見られずイライラするし落ち込む、でもそれを繰り返して、いっこうに、自分の理想の姿に近づかないなら、その方法は間違っている。

 

体重は簡単に減ったり増えたりするから、それに心を乱されないためにも、体重計はのらなくてもいい。

 

 

大切なのは自分の身体を鏡でよく見ることだ。

 

筋トレでボディメイクはできる。

実際に、マッチョな人が、筋肉をデザインしてるのをみたことあるだろう。

 

でも体重減らして部分やせしてる人は見たことがない。

水分が身体から減るとき、どうやって足だけ水分を取るとできるのだろう?

そんな、機能は人間にはない。

血液が身体中を循環してるのに、水分や脂肪だけ一部減らすことは原理的におかしい。

 

確かに下半身は痩せてるのに上半身はたっぷりな人はいるかもしれないけれど、それは元からその人の体格だったり、脂肪細胞の大きさだったり、くせだったりする。

 

筋トレは部分引き締めや部分ボリュームアップが可能だ。

なぜなら、筋肉はその部分ごとに完結してるからだ。

筋肉が全身を循環することはない。

 

右手ばかり使えば、右手が太くなるこを身を持って知ってるだろう。

片方にカバンをいつもしょって歩けば、片方に筋肉がついたり、偏る自分の身体を知ってるだろう。

 

自分で知ってる知識を無視して、自分の身体を見ずに、体重計の数字ばかり気にしていても、体重の増加は、食べた総カロリーに比例するのだから、ずっとカロリー低めの食事を一生つづけることが可能ならよいけれど、無理がある気がする。

だからみんなリバウンドするのだ。

 

鏡に全身をはだかでうつす。

はみ出た肉をつまんで見る。

もしここが減ればと理想が見えるなら、それは筋トレで引き締めたり、反対にボリュームをつけたりすれば、目の錯覚で細く見えるのだ。

 

何がほしいのか?

体重計の数字?

違うと思う。

目の前に見える自分の姿が理想の形に変化することだ。

 

ある人がいっていた、一番素晴らしい服は、自分の筋肉だと。

 

その素晴らしい服を手に入れることはできるのだ。

株にとつぜん目覚める!

最近というか、一週間後にはいつも変化する私の頭は、今株にハマり中。

 

毎夜毎夜株の記事を読み、株を、買う。

 

お金が減れば痛い感じ、上がれば少し嬉しい感じが心地よい。

 

使うお金はほぼ旦那からもらった浮気の慰謝料だし、働いたお金も、使いたい時は使って自然に貯まったお金だから、亡くなってもそこまで辛くない。

 

ただ、分母が7桁じゃ、大したお金は動かないのがちょっと面白くないね。

これが8桁ならもう少しスリリングで楽しいのにと思う。

 

ゲームアプリをやってもその瞬間しか面白くないし、成長が見られない。

筋トレも永遠やるわけにも行かない。

習い事は昔から続かず飽きっぽいし、通うのが面倒だし、友達と会う以外わざとその場所にいくのも、なんか面倒だし、時間がもったいない気がする。

 

その中で株はなかなか続きそう。

もし、投資金がなくなればそのために働くののもありだなと思う。

 

そして株を、買うと、なんかちょっとストレス発散になる。

お金を使っているのに、消費はしていない状態がいい。

 

物を買えばお金はなくなるけれど、株は買ってもお金はなくならない。

 

今の私にはちょうどいい、遊びと好奇心を満たしてくれる。

 

資金が続く限り続けてみようと思う。

うまくいかない結果だったとしても、次を見つけて行動し続けるのが一番早い。

人生チャレンジしても失敗に終わることはよくある。

 

だけど失敗から学ぶこともまた多い。

またチャレンジしたことは、必ず経験値になる。

そして失敗したからこそ、新しいチャレンジを迎えることができる。

 

信じることは一つ。

 

目の前にチャレンジできる機会があったなら、まず一歩踏み出してみる。

 

前に進める扉が開いたなら、さらに一歩中に入ってみる。

 

残念ながら、進める扉が開かなかったら、右か、左か見てみよう。

 

そこには違う道があって、また一歩踏み出せる扉が必ずある。

 

人生において、死ぬ以外は、扉が表れ続ける。

それが人生というもの。

 

うまくいかなくて、扉を開けたいのに、開かないとき、それはショックだ。

だけど、そこでずっと扉の前で座ってても、その扉は開かない。

 

だから早くなるべく早く立ち上がって、次の扉を探したほうがいい。

 

その先、中に入ってみないと、その中が素晴らしいかどうかだなんてわからないのだから。

 

直感に従うのはなかなか難しい。

周りの意見、情報に洗脳されてしまうから、ついその扉しか自分にはないと思ってしまう。

 

だけど挫折の先に見えた扉こそが、素晴らしい世界かもしれないだなんて、実際に行動した人にしかわからない。

 

扉の中に入ったら最悪な状況かもしれない。

それでもその扉の中がどんなに最悪だったかは、中に入ったものでしかわからないし、その、経験はなによりも人の興味をそそる、大好物かもしれない。

 

とにかく次にいこう。次のチャレンジを受けよう。必ず挫折の先にまっている、ある景色があるはずだから。

どうしよう。気力がない。

そんな気力がないなんて、愚痴ってても仕方ないんだけど、通常だったら現状維持の方が人間得意なのに、私はだめだ。

 

今やってることをすべてひっくり返して、新しいことをやってみたくなる。

 

あまりにも先のことを考えてない人生たけど、そうやって生きてきたから仕方ない。

 

とくに同じことをやっていて、うまく行かないと時は本当にイライラする。

 

おまえ、成長しとらんがな!と自分で自分を突っ込みたくなる。

 

例えばいつまで立っても体型が変わらないとか、いつまでたっても、自分の顔に納得行かないとか、いつまでたっても、男女の関係がうまくできないとか、

いつまでたっても、やり続けたい仕事に巡り会えず、転職の日々。

 

いつだって、違うことがやりたくて、困る。

 

飽きるのが早すぎるし、成果も出てない。

 

最悪だ。

 

私はそんな最悪な自分に飽き飽きする。

 

彼のいうことをきいて、成功してない自分がいる。

 

なにか、振り切れてないのだ。

 

彼に言われたことで感化されて行動に、うつしてみても、さらにもっと行動したいのに、それくらいでいいんじゃないの?的にいわれることもよくある。

 

そうかなぁーと思ってやめてみると、不満が残る。

 

とことん一度やるべきなのだ。

 

とことん熱中してやりたいのだ。

 

それなのに、子供を作るのが第一優先って、そんな気になれないのだ。私は。

 

話し合っても無駄だと思う。

 

そして私は自分の思い通りにしてしまうのだろうと思う。

 

そんな人生で、いい。

40代からは筋トレメイン!

海外のセレブに憧れる。

ボリュームのある身体。

胸もお尻もぷりっとしていて、体幹が強そう。

ゴージャスな長い髪。

 

そういう身体にはシンプルな洋服がよく似合う。

 

それに引き換え、まだダイエットだけで、ただ細い身体なんて子供っぽくて魅力がない。

 

ペラペラの身体になんの魅力があるのか?

 

40代になると、身体全体のラインがぶよぶよしてくる。

水着を着ればはみ出る肉が見苦しい。

そして身体のシワ。

本当に興ざめする。

 

筋トレすれば肌にハリが出てくるから筋トレなくして、40代の身体は維持できない。

 

80代になると若い頃の筋肉の半分しかなくなるから、歩くのも衰えるのは当たり前だ。

 

そして、80代だから筋肉がおとろえてるんじゃない。

40代も確実に、筋肉は落ちている。

 

私は思うのだけど、身体を見なくても、顔のたるみで、身体のたるみがわかる。

 

顔がたるんできたなというのは40代になるとあからさまにわかってくる。

いつのまに?!と思うものの、もう美容液ではどうにならないのだ。

 

そして顔のたるみが出ているころには、腰回りやお腹のたるみ、二の腕のたるみ、太もものたるみなどあらゆるところが、確実に、30代とちがうことを知る。

 

いや、自分の身体をよく見ていない人は気づかないかもしれないが、、、。

 

水着はなるべく歳をとっても着たほうがいい。

自分のあからさまな姿がよくわかるから。

 

まだ夏まで時間はある。

 

少しでも水着をきてさまになる身体にしよう!

 

筋トレは裏切らない。

ちゃんと、成果はでる。

 

ちなみに今は身体はぶよぶよだけど、仕事中の肩こりや腰の疲れが減ってきた。

 

多分お尻や腰に少しずつ筋肉がついて、体幹がしっかりしてきたのだろう。

 

筋トレは、毎日の仕事の疲れさえも、補うのだ。

結婚してる気がしない。

いつの間にか今年で43歳になる。

今の旦那と知り合ったのが37くらいだった気がする。

 

あの頃は中目黒の職場で働いていた。

いつもスーツっぽい姿でヒールを履いていた。

1年ばかり働いてやめたのだけど、その会社に入社して少ししてから婚活パーティーで彼に出会ったのだ。

 

職場から彼の住んでる場所が近かったせいでよく、仕事帰りに彼が待っていたことがある。

毎週のように会っていた。

それから何年だろう。

2年くらいは仕事はせず、いつも彼と一緒にいた気がする。あのタワーマンションで。

 

犬もいるけれど。

 

でも私は記憶力が低いために、何をしていたか忘れてしまう。

 

あの時何を想って過ごしていたのだろうか。

 

犬を、飼うと同時に彼と同棲をし始めた。

それから約2年後籍を入れた。

 

籍を入れてからも特に生活や環境が変わることはなかった。

 

海外旅行にいったり、自分の歯の手術をしたり、いろいろチャレンジしたと思うのだけど、その時の自分がわからない。

 

多分きっと、今とそれほど変わらないのだと思う。

 

いつもいつも、去年もその前も5年前も、それほど私は考え方も何もかも変わらないと思う。

 

でも変わらない自分というのが成長してない気がしていやで、いつも何か成果を欲しがっている自分がいる。

 

今年は、オーストラリアに年明け行ったし、その後引っ越しをした。

 

オーストラリアに行く時、まだ私は旦那と別居していた自分の部屋から旅行にいった気がする。

たしか、去年の10月中頃に一人住まいを初めて、3か月別々に暮らしていたのだ。

 

なぜならば、去年大々的に旦那の不倫が発覚したからだ。

 

去年の11月にクルーズの旅にでて、2回目の結婚式をした。

それはとても楽しい思い出になった。

 

あー忘れてた、今年は春に子供が出来て、流産したのだ。

 

毎年いろいろな、ことが怒っている。

悲しい、苦しい、痛い、不安、喜び、楽しさ、嬉しさ、いろいろな感情を味わってきたはずだ。

 

それなのに、すぐに忘れてしまう。

健忘症じゃないかと思うくらい。

 

そしてもう何年も一緒にいる旦那なのに、私は未だ結婚してる実感がないのだ。

 

もし何かがあって、すぐに明日、この家をバック一つで出ていったとしても、私はきっと旦那のことも忘れ、結婚していたことも忘れてしまうのだろう。

 

そして新しい出会いや、新しい寂しさ悲しさ、発見や、新しい集中執着に出会うかもしれない。

 

でもなぜ結婚したかって、少し人生に疲れていたのかもしれない。

 

30代後半になって、それまでいろいろな、ことをしてきた。

いろいろな人に出会い、いろいろなものをみて、毎日動き回ってきて、立ち止まりたくなったし、ちょっと疲れたのだ。

 

落ち着きたいとも思ったし、昔より欲求や興味や執着が薄くなってきたのも原因だと思う。

 

別に仕事をやめて楽な暮しがしたいとか、お金を相手に期待してとかで結婚したいと思ったわけじゃない。

 

結婚というものに、憧れも何もなかったけれど、何か自分の人生を変えたい、新しい行動を起こしたい、でもそれは新しい仕事に転職したいでもなく、新しい遊びを見つけたいわけでもなかった。

 

ただ新しい人との関係性、結婚という関係を作ってみたかったのかもしれない。

 

そこには、信頼とか尊敬とか、永遠の愛とか、私にはない。

 

結婚の時に誓う言葉なんてとくに聞いてなかったし。

 

2度目の結婚式の誓いの言葉なんて、そのちょっと前に旦那の不倫が発覚したばかりだったから、永遠の愛なんて、鼻で笑いそうになったくらいだ。

 

旦那のお陰で、永遠なんてないことを身を持って体験したし、誓いなんて薄っぺらいものだとわかってよかったし、結婚に幻想をもたなくてよかったと思ったくらいだ。

 

愛は残念ながら、わからないけれど、恋だけは未だに好きだ。

 

恋だけは、片思いの恋とか、今だに味わえる。

 

私は自分がいつか旦那みたいに不倫するんじゃないかと思ったりもするけれど、しない。

 

身体の関係なんて幻滅するだけだ。

現実味がなく生活感がないから、片思いの恋は美しい。

 

それはどんな時でも私を若返らせ、ウキウキさせる。

 

私は結婚なんて、どうでもよくて、旦那なんてどうでもよくて、ただ、自分が自由に楽しみたいだけなのだ。

 

私は一度もきっと旦那の目をきちんと見たことがないのかもしれない。

 

それは不倫が発覚する前からのことで、そういう結婚は、少し自分を寂しくさせつつ、家族という甘えの楽さでもある。

 

愛なんてない。

恋はあるけれど。

 

人と、心から、男女が、向かい合って、見つめ合って、わかり合うって、

実際のところ、そこまでないんじゃないかと思う。

 

でもそれでも、結婚は存在し、家庭を築き、死ぬまで一緒にいたりする。

 

心が荒んでいるとき、私は旦那なんて想わない。

心が疲れているとき、私は恋を思い出す。

 

でも確実にいえるのは、結婚は悪くはない。

ただ付き合っているのとは、やっぱり、別物だ。

まだ身につかないホルモンコントロール。

今日で生理から3日目。

私は生理がきた瞬間、体の余分なものがすべて排出されるらしく、とても生理がきたことを喜ぶ。

身体は軽く、何もしなくても気分は上昇気味。

 

こんな状態がずっと続けばいいのに、生理前の1週間は必ず身体のむくみ、便秘、体重増加、気分の抑うつ傾向が強くなり最悪な気分になる。

 

これは昔から変わらず、そしていつも生理前の対策がうまくできず、嫌な気分を味わうのだ。

 

これだけはいつもコントロールがうまく行かない。

 

どうにか、どうにかしたいし、それができる自信をつけたい。

 

流産から1つ目のチャレンジは失敗したらしい。

それでも辛い時期にチャレンジしようと思った自分を褒め称えよう。

 

今度ちがう夢中になれることのヒントが見つかりそうなので、今回日記をつけながら、がんばってみようと思う。

 

見える化が大切だ。

 

そして必ず、自分の人生の成功例は参考になるはずだ。

 

それを海馬から引き出そう。