モヤモヤはいつまでたってもあるさ!
もやもやの、原因は、他人の為に何かしてないからという説がある。
人は自己満足だけじゃ足りず、自分がしたことが、他人の役に立って幸せを感じるから、もやもやは自分の殻から、外に目を向けてないときに発生するらしい。
たしかに、わかる。
仕事やってる時、お給料をもらってるということは、他人の役に立ってるから貰えるわけだ、少なからず、間接的に。
毎日仕事をして、他人から褒められたり喜ばれたりするわけではないけれど、見えないところで役に立ってるからお給料が発生するのだ。
だから仕事って、お手軽に幸せを感じるものだ。
私なんてとくに、仕事から帰ってくると、一人ぼっちになるととたんに暗くなる。
それは仕事の疲れもあるけれど、仕事から離れた瞬間、自分には仕事と関わってるときじゃなくちゃ、人の役に立てないんだと非力さを感じるのだ。
一人だからこそできることがあるのは知っている。
ユーチューバーだって黙々とコンテンツを作り、どれくらい人に見られたかで、自分の人気度や、誰かの役に立って、支持されている感が目で見える形にはなる。
今はパソコンとにらめっこの日々だから、何か体を動かしたい。
楽器でも、弾きたいし、バンドでも組んで夜な夜な戯れたい。
仕事じゃなくて、プライベートで人と関わっていたい。
結婚しても、実際に旦那と会う時間は夜の2時間くらい、それも眠くなってくる間際だから対してコミュニケーションというものはとれてない気がする。
いや、夫婦なんてそんなものだとそろそろわからなくちゃいけないのだ。
へんな理想は作らない。語らない。自然な形でお互いに幸せでいればいいのだ、それがお互いが一緒にいなくても。
それが夫婦だと思う。単身赴任してようと、時間があわなかろうと、お互いに、ずっと、幸せを願う相手がいるということが重要なのかもしれない。
自分の両親は大切だし、産まれてからずっといた人だから、一番近い、時間を共有し合える関係だけど、親は子供より早くしんでしまう。
いなくなった時、そこには自分で作った家族という旦那がいるのは良いことだ。
でもそれに依存するのはよくない。
夫婦といえども、だ。
ひとりになると、こんな夫婦について考えたり、もやもやが増えてくるのだ。
それはようは、自分の世界に目を向けすぎると、もやもやは増えるのだ。
マーある意味暇な時間というのは、余計なことを考えてしまい、それはたいていろくでもないことだったり、マイナス思考だったりするのは、人間がそのようにできてるからだ。
たいていの人間の仕組みをわかった上で自分がどう行きたいのか、意識することは大切だ。
もやもやが出始めたら、とにかく動くことだ。
もやもやを振り払うように、今やりたいこと、わがままに生きることを行動するべきだ。
他人の役に立ててる時間はもやもやから解放されたとしても、起きてる時間中、他人に求められ、役に立ち、認められるというのはなかなか難しい。
そんな時は、自分に素直に、馬鹿らしくてもいいから、やりたいこと、なりたい自分に向かうべきだ。
私はある何人かの女性より、容姿も、行動も秀でていたいと思っている。
相手の女性たちはそんな私の想いなんて知らない。
勝手なる闘争心だ。
でもそれはいい。
勝手な一人相撲の闘争心を燃やしてるうちに、そんな私を見た別の人が気づいてくれるものなのだ。
それでいいじゃないか。
もやもやなんて。