まだお腹の中にいる。2回目の流産。
今日検査にいって、お腹のエコーみてもうまく見れず、場所を変えて、見たものの心拍は見えなくなっていた。
この間心拍があった時、サイズが小さいことを指摘されたのが気になっていたが、それでも心拍が、あって、感動した。
けれど、今日は何も見えなかった。
2mmだったのが、6mmになっていただけ。
1週間くらいで心拍は止まってしまったらしい。そして2週間くらいお腹のなかで死んだまま。
今もいる。
そんなの意味がない。
いやこんなことそこらへんであること。
流産だってたくさんの人が経験してて、2回流産なんてよく聞く話。
いとこのおねえさんは2回流産したあとに2人の元気な子供を産んだ。
ただ今は悲しくて悲しくて悲しくて辛い。
大丈夫2回目だもん。
前よりショックは軽いはず。
だけど、涙が止まらない。
ぽかんとあいた穴と、まだお腹の中にいる死んだ子供と、どうにもはっきりしない、空間においておきぼりだ。
こんなことがあるだろうと、準備はしていた。
流産してしまったら、妊娠していないからこそできることができるって、目標も決めている。
だけど、今日はだめだ。
悲しみが私をおおう。
大丈夫。たいてい月日が悲しみを和らげ、自分だけじゃない、よくあること、そう頭ではわかっているのに、ホルモンの関係か、悲しみから抜け出せない。
会いたかったなー。
会いたかったよー。
でももう赤ちゃんの声は聞こえない。
聴こえない。
いつの間にか赤ちゃんの声は頭に響かなくなった。
そういえば、一つおもいつくこと。
あれは、胸のハリがなくなったことに気づいた時。
ちょっと前まではあったのに、胸のサイズは大きいままだったけれど、張ってる感じが柔らかくなったことが前気になっていた。
だけど、出血も何もない。
体調にも変化がない。
お腹も痛くない。
だからわからなかった。
人生で一度みた、あの小さな白い心拍のチカチカした映像がまだ頭にある。
ああ、なんてこと。
命は消えていた。
ちょっと前までは出産したらどうしよう、妊娠中のことばかり、考えていたのに、生活全部が子供のためってつい考えていたのに。
もう、その必要がない。
育児書を見る必要もない。
後はお腹から出血とともに出てくるだけ。
虚しい。
虚しい。
虚しいという漢字はこんなにも私を表現してくれる。
人生2回目の悲しみ。
またか。
またか。
悲しみなんていらない!
そんなの必要ない。
どう気持ちを持っていくか迷う。
目標はある、この為に用意してある。
期限も迫ってる。
今日だけ。
今日だけは、悲しいのでいい。
だって、お腹の亡くなった子の弔いだから。
あなたのおかげで短かったけれど、妊婦になれてよかったよ。
悲しいけど、後悔してない。
悲しいのも痛いのも嫌いだけど。
でも悲しいの前に、嬉しいがあった。
優しい気持ちになれたし、幸せだった。
短い時間でもママになれた気分は幸せだったから。
さようなら。
また会うとき、必ず、今の自分より、もっと幸せになって、あなたを胸に抱きたい。