『人生問題解決ブログ♪』自力なしで成功する「環境作り」法。by「妊娠虫40歳。」

妊娠虫(バグ)を発生させてからの記録。※誤字脱字すいません、マイク入力でリライトしてません。ニュアンスでお読みください。

運命なのか、自分で選んだのか?

結婚はご縁よ、とうちの母がいった。

どんなに好きな人でもタイミングが合わなければ、結婚することはできない。
ほどよくこの人ありえないと思ってた人といつの間にか結婚してた。
まさかご近所に自分のむかしの知り合いと結婚するなんて思わなかった。

様々な結婚後の感想がある。

出来ても、出来なくても、ご縁。

私はその言葉にいつも救われていた。
本当に好きだった、だけど結婚は難しかった。この人とだったら!と思ってもうまく行かなかった。まさかこの人と?という人と結婚した。

この状況はご縁だと思う。
現実的にただ全てを自分で好きに決めたなんていえない。

ただ、私は思う。ご縁の後、行動によってそのご縁を選んだのは自分だ。

今回流産して、なんでなの?なんで子供は私を選んでくれなかったの?辛い。悲しい。
これはご縁だと思う。
子供も望んでお腹にやってきた、私もそれを喜んだ。でもいなくなってしまった。

子供だってご縁。
それは誰のせいでもないし、仕方のないこと。
仕方がないという日本語は素晴らしい。

でも、子供がいなくなったこと、それをただの運命というだけでおわされていいのだろうか?

私はこの流産でさえ、最後は自分で行動の中で、決めてたんじゃないかと思いたい。

子供がほしくないわけじゃない。
でも私は42だけれど、すでにもう子供ができるかできないか微妙な年齢でさえ、まだもう少し、子供を持つのに、時間が必要なのかもしれない。

ご縁という偶然であって運命であって、仕方のない出来事だとしても、どこか、魂のレベルで私はもう少し自分の自由を、望んでいたのかもしれない。
またはその、必要があったのかもしれない。

旦那は子供がとにかくほしい人。
それが自分の支えになるから。
それが自分の生きがいになり、今生きている証になるから。
そして祖先に対して立派な自分でいられるから。

そこまで考えていないかもしれない。
昔は遊びまくって5マタしてたり、去年でさえ、愛人を作って遊んでいたくらいだから。
それでも自分の遺伝子を持った子供が欲しいとは本能的なとのなのだと、おもう。

私はこの世の中で一番母親を尊敬している。
社会の中で権威があるとか、お金があるとか、そんな人々よりずっと、世界の母親を私は一番尊敬し、素晴らしい行き方で羨ましく、そして一番大切な子供を自分の身体の中で作り、愛情もって育てるというとても大変で素晴らしい仕事と思っている。

私はその仕事をしたいと思っている。
ママにいつかなりたいと思っている。

ママになるという、仕事以上に、素晴らしい仕事なんてない。

どんなに自分が好きな仕事より。

ただあともう少し、私は自由でいたいのかもしれない。

憧れる母親という姿。

そして今の自由な生活の姿。

今の自由な姿が、決して尊いものではない、普通なのだけど。
でも一番憧れる母親以外になりたいものはないの?ときかれて、ないじゃ人生長過ぎる。

母親になったって、子供は所有物ではない。
いずれ、自分の足で家を出ていき、自分の人生を謳歌する姿を見て、自分は何もないんじゃあまりにも、寂しく、子供にも尊敬された母親でいたい。

自分という人生を、自分の本当にやりたかったことをできているかっていうのは、死ぬときにつきつけられる質問である。

たくさんの、人達が死ぬ間際言う言葉。
「もっと、自分らしく生きればよかった。もっと人や周りなんか気にせず生きればよかった。」

やり残したことがあるのかもしれない。
母親になる前にやりたいことが私にはあるのかもしれない。

ただ流産の悲しみを消えるのをまっているだけでなく、それをもしかしたら自分は選択肢、忘れかけていた、忘れようとしていた、人生でやりたいのとをきちんと行動にうつす時間がもてたと思いたい。

どんなに悲しいことや辛い事にも、必ず次のステップの新しい道筋になっているものだ。

あの辛い時があったからこそ、今は知らない世界が待っているのかもしれない。

考えてみよう。
今までの人生は全部楽しいことばかりだったか?
あの辛い事があったからこそ、今がないか?
あと悲しいことがあったからこそ、今が、ないか?

辛いのも悲しいのも、人間いずれ忘れる。薄まる。

でもその辛いときに出会ったことは出会った人、まわりに助けてもらったとかがあって、今がないか?

今は辛くても、それは次の素晴らしいステップ台が目の前に現れたと思えないだろうか?

涙で今は見えなくても、そのうちそのステップ台が見えてくる時がくる。

信じよう。
自分のご縁と、そして決断を。