夫婦だからこそ、自分を見極め、事前に伝えておくことの大切さ。
夫婦だから、相手はわかってくれると思うものだけど、そうじゃない。
とくに妻よ、自分の痛みや、悲しみ、苦しみは、早めに「わかりやすい形」で伝えておいたほうがいい。
なぜか夫というものは、自己中でしかものが考えられず、妻の痛みや、悲しみが共感能力が低いため、察したり、できず、やってもほしくないことを自分がやりたいために、押し付けてくることが多々ある。
私は流産を宣告されたクリニック帰り、悲しみで涙し、それでもがんばろうと自分をふるいたたせていたのだけど、それを夫は何を勘違いしたのか、
クリニック帰りのスーパー買い出しで2つのことをいった。
「今日エッチしよっか?」
「夜白髪染めやってくれない?」
この2つの言葉にはドン引きした。
まだ子宮の中には、心臓は止まってしまったものの胎児がいるし、セックスする気なんて起こりようがない上に、悲しみでいっぱいなのだ、こっちは。
それがわからない、共感できない、性欲だけは強い夫はもう、流産だったら、エッチを楽しめるとでも思っての発言だろう。
そして白髪染め、たしかに休みの日にやってあげるとはいったものの、流産宣告後の何時間前泣いてた人に言う、言葉だろうか。
本当にひくわ。
夫は夫なりに子供を、楽しみにしていただろうし、ショックだろうけれど、
痛みや悲しみのレベルが違う。
とにかく、私の夫に関して言えば、自己中を通りすぎて能力なさすぎで、呆れたを通り越している。
なんでそんな人と結婚したのかといえば、私はどうせ一人でもなんやかんやで復活し、共感されなくても生きていける人間だからだ。
また何よりも自由を愛していて、それにたいして細かくいわない夫だから続いているといえよう。
また夫は金運は今のところよいらしく、貧乏ではないし、自由な生活をさせてもらっている。
そういう、あらゆるバランスがあるうえで結婚は成立しているのだ。
好きとかそんな、ことじゃない。生活って。
子供がいればなおさらだろう。
二人に一人が浮気の経験があるという。
結婚というのは、神秘的なものでも、憧れでもなく、制度だ。
社会が作った、便利な制度。
それを結婚したから、幸せになれるとか、大間違いだ。
と、言うことを、結婚してからよくわかる。
35を過ぎた女性は結婚をまるで幸せのゴールテープが引かれた場所のように感じるかもしれないが、結婚式後は、日常生活しか、まっていない。
お姫様や、プリンセスに、なれるわけじゃない。
そんなことをわかっていても、つい、妄想してしまうのが女性。
それを見事に壊してくれるのが男性。
流産後、または、結婚年数が増えるたびに思うのが、妻ははっきり事前に夫に、わかりやすい形で、伝える能力を付けるということ。
事前につたえていても、忘れている可能性はあるものの、最低限するべきだ。
私は少しずつ、体調が悪いときは、自分でご飯買ってくるなりして食べてねと、LINEでいう。
そうすれば自分はご飯を、みつくろうと旦那はいうからそうする。
そこをいや我慢してご飯を作っておこうなんて考えると、夫は妻は元気なんだと勘違いする!!
無理をしない!!
痛い時、辛い時は、伝えて、自己中になるのが正解。
夫が、最終的にもとめているのは、自己中的な自分の理想(お金持ちになるとか、自分の子孫が出来るとか、人から褒められたいとか)だから、
そういうものに、自分を合わせて辛い時に何かをしてあげる必要はない。
子供がいるわけじゃない夫婦に、自分のことは自分でできるを前提に生きたほうがお互い幸せになれる。
最後に、妻の務めは、何かをすることではなく、「笑顔」でいることだ。
そのために無理をしないし、好きなことをする。
特に自己中な夫を選んだ理由は、自分も自己中でいいと、割り切りやすいからだ。
ある意味真面目な私にとって自己中な夫とはなるべく肩の力を抜いて生きられる存在なのだろうと思う。