この世の中には騒ぎを起こしたい人がいることを知る。
自分が当たり前に常識だと思っていても、その真逆が常識だと思っている人もいる。
これは、どうにもならないことで、だからといってどちらかに決められないのが、社会というもの。
私は自分の夫と常識がある意味真逆な部分は多い。
なので、そんなことしてると損するんじゃない?と思うことを夫はする。
私はどちらかというと、正しい一つの答えがほしい、もしくは統計的にこっちが得するなどをなるべく知識として欲しいと思ってしまう。
しかし、夫はまぁまぁ、グレーもしくは、黒が好きなので(これがなんで悪いと思われてることが好きなのかわからないが)そういう人なのだ。
でもこれは、私にとっては、勉強になる。
なんにでも答えは一つではなく、裏表でくっついてることもある。
時代が変われば、あっという間にこの間常識として正しいことが、悪になったりする。
例えば子どもが悪いことをしたら、叩くとか。学校の先生がこれを今すると、自分の身が危なくなる。
例えば昔はマーガリンの方が植物性で健康といわれていたが、今はバターのほうがいいといわれている。
法律もそうだ。
これはある時決まると、そこから一切前のルールは関係なくなる。
それがなぜなのか?とか、理不尽じゃないか?時代にそってないのではないか?と思ったとしても、その法律に沿って、貴重な生きてる時代の時間を削って生きている。
ある人は食べるものがぎりぎりでも国の世話にはならないと生活保護を受けないし、
ある人は程よく豊かなのに生活保護をわざわざ受けて楽する人もいる。
人殺しは一番悪だけど、それでも法律によって、罪が軽くなる人もいて、反対に殺された遺族は苦しみ続けることになる。
外国だといつ殺されるかわからないから、夜外をあまり歩かない方がいいとか、日本人には考えられない生活への縛りもある。
たまに外国の映画で、差別的な警官と黒人の問題が出てくると、なんてひどいと思ってしまう。
けれど、実際そういうことが行われている。
生まれた場所で職業ランクが決まってしまっていたり、宗教ではじめからルールが決まっていたり。
世界中の中で、いろいろな常識と、いろいろなルールや法律があって、
自分の常識で生きていると、あまりに平和ボケしてるようで、びっくりする。
そしてなんて平和な時間を過ごしているんだと思う。
しかし、身近にいる夫は些細なことで、問題を大きくさせ、わざわざ事を荒立てたり、人の感情を揺さぶるのが好きなのだろう。
そしてたまに、私がなぜか疲れることになる。
私もそういうところがまだまだだなと思う。
夫が問題を私に提供し、私は問題解決をする。
そして私は日々人間的成長ができると思えば、それもよしと思えるけれど。
え、大器晩成ってそういうこと???