人との出会いが本当に「宝」。
毎日毎日生きてて、たくさんの人々とすれ違うのに、話すのは数えるだけの人数の人だ。
仕事場を通して、共通の目的に向かって、働いた人たちとは思い出も共通してて、大切な「宝」になりやすい。
「共通の記憶」はまったく同じではないし、感じることも全く別かもしれないけれど、それでも、その同じ空間の中で、共通の記憶の中で、お互いが登場人物となり、反響しあい、さらに記憶となる。
たくさんの人数が集まって初めて会うだけではなかなか共通の記憶というのは作れない。
やはり一定期間一緒にいたりするから、できる共通の記憶だ。
甘く、辛く、悲しく、苦く、面白く、退屈も、一緒だと退屈だったという記憶になる。
やはり人間は一人では生きられないし、昔の記憶は「宝」になる。
唯一、いつまでも持ち続けられる宝だ。
若い時じゃないと感じられない衝動とか、苦い思い出、ふらついた気持ちが、過去のものになると、甘くなる。
もうあの時には戻れないし、戻る気もないからこそ、過去の自分やそれを知っている人たち、そして今でも話せる環境は宝である。
SNSで今では簡単に昔の記憶の人と出会えたりするから、再度関係がつくられやすくなるけれど。
そこからどれくらいの人たちと出会ったか、そう多くはない。
多いほど良いわけではない。
少ないからこそ、大切にしたい関係だ。
たいして意味がないことでも、会ってたいしたことが話せなかったとしても、
生きて会えることは、やはり、宝である。
何も見ないでも生きていける。
だけど、目の前の人を優しく見るのは、案外、楽しかったり、あとから宝に変身したりするから。
やっぱり、生きてるうちに、大切にしたいと思う。
大したことじゃないと思うことが、化けることってよくあるものだ。