女の戦い、夫編。
結婚すると、なぜか女性は夫の自慢をする、もしくは夫の悪口をいう、いや悪口という名の自分がどれだけ大切にされるべきかを永遠と討論するのだ。
女性は常にお姫様扱いされているという、自分の存在意義がほしい。
自分が相手に何をしたかより、何をされたか、受け身である、求められている自分というのを大切にしたいのだ。
でも私は時々、女性同士のそういう話に空虚感を覚える。
ようはそこに自分のがんばりは見えないのだ。
自分ががんばって、夢を追いかけたり、なにかを成し遂げたりという話がないのだ。
常に自分以外の誰かが話の中心になることがしばしばある。
例えば子供、例えば旦那、でもそこに彼女自身の何が見えないのだ。
そうするとお互いの存在というものが空虚なものになる。
それはもったいないことだ。
空虚同士は、時々会うが、何かがあると、会わなくてもいい存在感になったり、その存在感さえ忘れてしまう。
それが女同士だったりする。
女性から、自分がどうしたいか主体性がないと、この女性はいつまでたっても主体性のない存在になる。
結婚をするとそれが加速化する。
お金も仕事も、生きる責任も旦那頼りになると、もうそこに彼女のなんたるかは見えにくくなる。
見えるのは旦那の姿ばかり。
女性が考えるのは、将来どれだけ旦那のお金で安泰に暮らせるかだ。
うーん、それって話てて面白いんだろうか?
いや半分だったらいいけど、全部その話だったら、彼女自身はどこにいってしまったのだろうかと思う。
女の戦い、夫編とは、自分なき、旦那の稼ぎの戦いなのだ。