夫婦一緒にお風呂に入る。
昨日は、彼がファンのコンサートにいって、その話で夜盛り上がった。
まるで浮気が嘘のように。
私も彼が楽しい姿がうれしかった。
お風呂に一緒に入ろうと言われた。
本当は明日も早いし、裸を見せるのは苦手だし、面倒くさいしで、一人で入りたかったけど。
旦那はいう、夫婦が一緒にお風呂に入ると、仲良くいられるだってって。
私の肩や足をマッサージしながら、話す。
結婚する前から、出会い系アプリで浮気をし続け、いろいろな女性とエッチをしといってもそう簡単にはできないだろうけど、半年彼女を作っていた旦那の口からいうのだ。
夫婦関係を修復しようとしてるのか、ご機嫌をとりたいのかわからないけれど。
彼の行動や、言動はよくわからない。
ただ、無防備な私でさえ、もう傷つきたくない、自分を守りたいと身構えてしまう。
またこれから何かあるのではないかと思ってしまう。
それは夫婦とか、信じるとかじゃなくて、人間としての防御反応だと思う。
すぐ忘れる私も、手帳に記録してあったりするのを見ると思い出す。
どこに私達は行き着くのだろう。
ただ、大切なのは、自分の防御体制に入ることでもないし、旦那と戦うことでもない。
そんなことをして、夫婦として何になるのだろう。
時間が解決する部分もあるだろう。
人は悲しみや痛みを忘れてしまうから。
神様は、わざわざただ悲しみを与えるためにだけに彼を浮気させたわけではない。
私に足りないもの、私が乗り越えなくちゃいけないもの、私が目を背けてはいけないものを、ショックを与えて、無理矢理見せようとしてくれている。
世界の広さ、人の弱さ、男性というもの、夫婦について、自由について、愛について。
人は変わらない、他人を変えることはできないという。
だけど、近づくことはできる。
自分が願う姿に。
ただ目の前でおこった、突発事故を見るのではなく、そこに隠されている運命のようなものを見なくちゃいけない。
神様が、何かをする時、そこにはちゃんと、宝が隠されている。
でもショックを受けた人間は目が涙や怒りでカスミ、宝が見えなくなってしまう。
宝を見つけるのは、自分自身だ。
ショックを受けたのは私。
旦那ではない。
ショックを与えてくれたのは神様。
旦那という人間を使って、私に教えようとしてくれている。
宝を必ず見つければ、目の前の浮気という突発事故はたいしたことではなくなるのかもしれない。
だから、宝をちゃんと見つけよう。