進むしかない。
疲れた。
流産後の6連勤は応える、そした明日と明後日行かなくちゃいけない。
仕事は集中してる。
朝は起きるのは気持ちいい。
家にいるほうが、怖い。
何も進まず、何も達成せず、きっと、無駄なことしか考えないんだから。
世の旦那にいいたい。
もし、妻が流産した、してほしいことはただ一つ。
構わず、自由にしてあげてほしい。
悲しみも、あからさまな明るさも、無表情さも、ただ、受け止めて、そして、なるべく自由にしてあげてほしい。
そして、食欲はないのだから、夜ご飯などたいていの妻がやっていた作業から開放してほしい。
夜、ゆっくり寝かせてあげてほしい。
セックスのことや、ボディタッチでさえ、嫌な時がある。
流産して、行き場のなくなった母性は、男性の性的な視線を嫌がるだろう。
犬が飼いたくなるかもしれない。
何かとつぜん始めようとするかもしれない。
食事を食べなくても死にやしない。
ほっておく、ということ、そして、開放してあげるということは、大切な時間だ。
たしかに気晴らしに妻を誘うのはいいかもしれないけれど、旦那が思う以上に、また妻本人自身が思う以上に、心身の疲労があるかもしれない。
甘くみてはいけない。
産後のひだちというけれど、流産だって立派なぷち産後状態かもしれない。
とつぜんホルモンバランスが悪くなってるかもしれないし、子宮の収縮や回復にも時間がかかってるのかもしれない。
妻が笑顔で元気そうに見えたとしても、やはり、子供を失った女性の、空っぽさ、空虚さはそう簡単には埋まらないものだ。
埋まったようにみせていたとしても、それは妻なりの、精一杯の、努力の上になりたってるかもしれないことを、感じるべきだ。
何もしないでほっておくことも大切なことで、ついその時に思いつきで外食に誘ったり、どこかいって気晴らしも良いけれど、無理して旦那に付き合ってる可能性もあることを知るべきだ。
妻が自分が無理していることを、わかっていたとしても、がんばってしまうことだってある。
でも今は、辛いとき、痛い時、悲しい時、もう何もかも嫌になってしまいそうなとき、すべでの嫌な感情を、ただ、そんな時もあると、深く考える必要は妻にはない。