男の2冊のノート
一冊目、同棲していた時、彼がカバンにしまいこんでいた赤い大きなノート。
そこには、自分が浮気している詳細やら、私への不満が書いてあった。
二冊目、今の旦那、部屋においてある原稿用紙。
自分の若い頃からの記憶、書き出しは前の奥さんが家を出ていくところから始まる。また昔付き合った女性との関係が書いてあったが、二人は知っている女性で、私はまだその話に登場しない。
男というのはなぜ心にとめておけないのだろう。
なぜわざわざ文にしてまで紙に残すのか?私は不思議で仕方ない。
私のように見えない裏のブログでもなんでも見えないところで書けばいいのにと思うんだけど。なので書いてみる。お互い様だ。
この世で一番美しいのは片思いだと思う。
思い出は美化されていつまでも美しい。
現実は残酷だ。
老いていく夫婦。
そのお互いの心には美化された想い出が輝き、密かにスマホの中には違う異性がいる。
映画であった、付き合う時は両目を見開いて相手をみて、結婚したら、片目はつぶって。
あれだ。
ちなみに私は付き合う時は両目をつぶって、結婚したら薄く両目をぼやかしてみている。
たぶん旦那の心の中が聴けてしまったら、ショック死はしないだろうけれど、夫婦としてやっていけるかは疑問に思う。
逆もまたしかり。
私は旦那を一度も好きとか思ったことがない。
ただ一緒にいるのは楽しい時もあるけれど。
純粋にドキドキとかはない。
今まで本当にドキドキしたのは3回だけ。
初恋の人。
始めて付き合った人。
見た目と雰囲気に一目惚れした人。
初恋の人は歳とってからも追いかけていったけど、振られ、また歳とったときには、相手に子供もいたし、反対に声をかえられても、恥ずかしくて応答できなかったけれど、人間的に尊敬できるんじゃないかいい男になってたと思う。
始めて付き合った人とは、その後も純粋に友達になれ、今でも会おうと思えばあえるけど、全く、ドキドキとかなく、本当に友達になれた。
一目惚れした人にもアタックしたけど断られ、それでも一度デートをしてくれて手をつなげた気がした。
性的にドキドキする相手だったけど、密かにモテる人だったんだろう、私じゃ相手にならなかった。
でもまた、会えたら会ってみたいけれど、、この人は7年くらい想い続けたと思う。
もし友達がいれば、遠目でも話したりしたいくらいだけど、その友達がいないから、この願いは叶わないだろう。
でも実際付き合ったことがない二人が、本当のところどんな人かなんてわからないし、片思いって、叶わない恋だからこそ、いつまでも持ち続けられるドキドキホルモンだから貴重ではある。
旦那もきっと昔を振り返り、昔の女たちとのドキドキがほしいのだろう。
だって、私はいつも薄めでぼんやりとしか旦那を見てあげないし、触れても甘えても来ないし、さっぱりどっかにいってしまうし。
まー浮気し放題にできてしまうスキを与えてしまってはいるのだけど。
子供を流産して、もし、そういう方向に旦那が向くのなら、それも仕方ないのかもしれないと思う。
妻はふせぎみで、大して笑いもせず、料理もおざなり、会話もたいしたことなく、旦那は暇を持て余し、また出会い系でもして、あう可能性は大いにあるれけれど私はそれを未然に防ぐことを一切しない。
放りっぱなし、もしそうなったら、こんどこそ一人旅立とうと思っている。
今は流産の後遺症か、はっきり言ってどうでもよく、環境をがらっと変えたいくらいだし、もし若い旦那だったら私も妊娠できるかもと思ったり。
一目惚れならなおさらデキ婚もしくは、捨てられても片思いのままその人の大好きな、子供を育ててもいいくらいだ。
流産前、二回目の妊娠中は前回よりずっと母親になる楽しみを感じながら、育児書も見たりしてたから、計画してたから、それがとつぜん亡くなったのは、ほんとにショックすぎて、その痛手がまだガンガン響くときがある。
母性が絡まりしてるかもしれない。 本当は赤ちゃんを抱く予定だった手に、
今はガンガン運動するためのバーベルを持ち上げているのだから。
6kgの子供ってこんなに重いんだとつい関連づけてしまいそうになるが、いや大殿筋に集中しようと切り替える。
この差はなんだ!
1ヶ月前想像してた未来と違いすぎて、夜デパスを飲まないとやっていけないのだ。
ただ幸運なことに、朝は気持ちよく起き、運動をガリガリやれてる状態だし、仕事にも毎日いってるから、ウツほどではないのだろう。
ただガツンと流産となんとも言えぬ、心の痛みは、そう簡単に癒えてはくれないのだ。
でも私は思う。
癒えてない時こそ!できることがある。
泣きわめいたり!唐突にへんな行動してみたり。ぐうたらな自分を正当化したり。
料理を作らなかったり。
もっともっと、この苦しみと悲しみをぶつけるパワーで、もっともっと、いままてやったことがないことができる。
本当に1ヶ月先だって予想以外のことが起きるんだから1年先を心配したって、どーーにも、ならないんだ!ということを肝に銘じなくちゃいけないと思っている。
今しか私にはないんだ。
それは子供のように。
誰にも構わず、泣きたい時に泣く。
叫びたい時に叫ぶ。
やりたいことがあれば、何よりも、先にやってしまう。
後はどうとでもなれ。
どう行動しても、保証も安全も理想が叶うこともそうない。
だったら、今感じたことを、ただ自分が受け留めるだけなのだ。
私の記憶に2冊の男のノートと、そして片思いのキラキラがある。
人生の甘いのと、塩辛いのと、両方あったほうが、おいしいだろう。