『人生問題解決ブログ♪』自力なしで成功する「環境作り」法。by「妊娠虫40歳。」

妊娠虫(バグ)を発生させてからの記録。※誤字脱字すいません、マイク入力でリライトしてません。ニュアンスでお読みください。

結婚記念日が近づいて気分をどうしようか迷う件。

8月になったら、結婚記念日が近づいてくる。

複雑な気分にさせられるけど、そろそろ結婚というものに、諦めをつけなくちゃいけないと思いつつ、夢を見てしまう乙女な自分がいる。

 

なぜ女性は記念日が好きなのだろう??自分でもわからない。

 

何か物が欲しいわけじゃない。

 

そう、確かめたいのだ。自分が今いる道は正しいのか?

 

誕生日もそう。

 

誕生日、もし友達に囲まれてたら正解だと思ってしまう。

すぐ忘れる男性が自分の誕生日を企んでいたら、それは心から喜ぶだろう。

 

いやこんな歳になってと思うかもしれないが、なぜか、今年も1年がんばったとか、区切りというか、なにか、過去に納得したいのかもしれない。

 

べつに記念日なんて過ぎてしまえば過去のもの。

もうなんの感情もないのだけど。

 

昔はもっともっと、誕生日が近づくことにドキドキしていた。

今この歳では若いときのような気持ちはないけれど。

 

それでも、誕生日や、結婚記念日に想いを寄せてしまう。

 

もしこれが、大好きな彼や、旦那さんだったら、どんなに嬉しいだろう。

 

うれしくても、相手が乗り気じゃなければ、悲しいけれど。

 

あんがい女性の、気持ちがわからない、男性は、そっけない態度で、せっかくの気持ちを簡単にへし折ってくれることがあるから要注意だ。

 

まーそれはおいといて、私はこの8月がくるのを少しずつ怖がっていた。

なぜなら、このブログに、たくさん書いているが、去年の旦那の愛人問題について、とても心砕けたからだ。

 

まあ、総合的に考えて、旦那は私に最悪な気分にさせてくれて、私はその反動で、今までできなかった事を、勢いよく、行動に移していたおかけで、いろいろ成果は出せたけれど。

 

でも夫婦ってそういうものなのだろうか。時として、疲れる。

 

私は不倫はしないけれど、今後、心を少しだけ委ねることを他の男性にするかもしれない。

 

少しずつ、少しずつ、旦那から、形を変えて、私は私なりの居心地を見つけることだろう。

 

これは、寂しくもあり、結婚というものの理想に縛られすぎの、開放でもある。

 

結婚なんてものは、いろいろな形があり、女性が考えるような理想なんて、ほぼ、現実にはならない。

 

なっているように見えて、実は自分も相手も我慢してるのかもしれないし、閉鎖的になったり、かってに想像で、自分はいい夫婦生活を送っていると認識したいだけなのかもしれない。

 

夫婦は難しい。

また、その夫婦の結末なんて、たいしたことがないのだろう。

 

それでも契約のようにして、別れず、なるべく外を見ないようにして生活し続けるのは仕方がないという、仕方がないという言葉で片付けるしかない。

 

それが良い方だと思うくらいがいいし、私の弱さや、遊び心が、他の男性に、いっても、それはそれで一時のちょっとした、癒やしの時間と思いたいのが女性かもしれない。

 

でもそれは、家に帰った時、何か悪いことをしたような気にさせるだろうし、一度踏み外すと、元には戻れないだろう。

 

すでに旦那は幾人かの女性と遊び心を発揮し、また彼女まで作ったんだから、私の存在なんて、そんなものなのだろう。

 

悲しいが仕方ないし、旦那も誰と結婚しようとそれしかできないのだろう。

 

この間知り合いの男性と話していた時、その結婚している男性が、奥さんは家族で女性と見ることができなくなってしまったといっていた。

男性がそれを言う時はどうにもならない時だ。

奥さんは大切な家族、もちろん好きだけど、子どもが生まれ、お互いに子どもを一番として見ていることで、バランスを保っている。

 

子どもができる前は手もつなぐし、キスもした、もちろん子どもができるくらいだから、セックスもした。

 

だけど子どもが出来たらそれは母親で、家族で、そこに女性と見れなくなってしまった男性。奥さんに手を出すことがまるで近親相姦のように感じてしまう。

奥さんは女と見られなくなった寂しさがある、そして男性も奥さんに素直に告白した。

 

だからといってそこからどうなるわけでもない。

夫婦とは難しい。

男女という、関係ではなくなったとき、だからといって外にそれを求めることは罪となる。

それは家族が崩壊するリスクの高いもの。それほどまでに男女でいることが大切か?そこは人それぞれ。

どちらか片方が外にいってしまえば、ジ・エンド。

 

なんて切ないのだろう。

 

私は、子どもはいない。

旦那は単純にセックスしたいがために、私を誘うが私は時々乗り気じゃない。

 

なぜか、それは一言ではいえない。

単純に疲れてるとか、飽きたとか、刺激がないとか、いろいろ言い訳は出来る。

でもそれ以上に、男女として相手を見る力がもちろん弱くなってきたのだろう。

 

私はうまくいかないことが嫌いだ。

愛する人の子どもは欲しい。けれど、今の旦那に欲しいとはあまり思えない。

 

怒鳴ったりイライラしたり、かわいい小さなワンコに噛みつかれそうになっただけで、犬の頭を叩く姿を見ると。

 

自分まで、もし言うこときかない子どもだったら、手をあげる母親になりそうで怖い。

 

旦那という狂気に、感染して、私はそれを理由にやってしまいそうだ。

 

自分の、責任で生きられなくなったら、私はおしまいだ。

何もかも旦那のせいになってしまったら、私はぜったいに幸せにはなれない。

 

けれど、もう何年も、私は旦那との距離感は同じままである。

 

ようは、惚れてないし、相手も惚れてない。

自分がただいいように生活できるから、一緒にいる。

 

そこから、一歩も、前に歩けない。

 

そして最近旦那が私の話なんて聴かない人だとよくわかる。

 

いや、旦那ははじめからそうだ。自分の話だけ聞いてほしいし、褒めてほしい。自分だけの人を愛するのは難しく、またそういう人とのコミュニケーションは浅くなり、その先がないのだ。

 

でもいいや、フラフラするの好きだし。