すごく楽しい時代、令和。
昭和は化石だ。
平成は漬物石みたいなものだ。
令和は今までの総決算のように、世界中がぐちゃぐちゃ混ざって
色々なことがもっと身近に迫ってくる。
均一な情報は垂れ流し状態だけど、そこから価値ある情報を摂取する
技術を持っているもののみ、生き残り、富を築いていく。
個人が突然、大きな富を簡単に手に入れるようになった。
個人の情報が個人へ大きな影響を持つようになった。
大企業でも個人の情報流出を止められない。
隠そうとしても無理なのだ。
よい大学にいくよりも大切なのが、よりよく稼げる能力だ。
決められた範囲の中でいい点を取るより
世の中の新しい範囲の中で、稼げる能力が何よりも大切だ。
日本にはたくさんの中小企業があるが指導者の能力は低く
税金対策か自分の趣味のために会社をやっているようなもので
社員の給料を上げるとか、会社をどんどん大きくしていく能力がない
人達がそこら中で社長をやり、突然業績が傾くと社員の首をハネる。
令和でこそ、雇われている人たちは、その会社の他に2つくらいの
稼げる源を用意しておかなくちゃおちおち生きてはいられない時代だ。
国は税金のために、老人と主婦を末長く働かせようとしている。
子供は減るばかり。
もう子供は増えない。
福祉国家のスウェーデンでさえ、どんなに対策していても子供は減る。
頭でっかちになった個人を尊重する、一人でも楽しめる時代に子供を産む育てる
負担は大きいと考える人間が多くなったのだ。
動物的欲求よりも、理性や整頓された習慣の中で、個人として上手に生きる術を身につけた人が多くなってしまったのかもしれない。
少し昔だったら、子供をもつ人々を羨ましいと思っていた人達が、以外に一人でも
自由に楽しめることを知り、それ以上に一人でも熱中できるものが増えたために
他人への妬みさえ、減ってしまったのだろう。
自分に集中している人は他人を妬みようがない。
関心がそこまでなく、自分に集中して他人を忘れてしまうのだろう。
個人が個人的努力によって、わかりやすく成果がでる時代になってしまった。
もう年齢も時間も関係ない。
小さな5歳の子供が何億も稼ぐ時代になり、学生の個人が会社で雇われる前に
自分で稼ぐようになってしまった。
昭和は化石だが、平成でさえ、漬物石でその常識はなくなりつつある。
令和は新しい常識が現れる。
それはどこまで続くのかわからないが、なにやらとても楽しい時代に感じてならない。
ある程度の安定の中で、新しいものを見る楽しさ。
ぬくぬくしているこたつのテーブルの上に雪だるま。
窓の外は大雪、それはワクワクするだろう。
トランプさんは私にとってそんな感じの存在だから令和初めは楽しい時代になるに違いない。