昔勤務していた会社が売られてしまった話。
30代の6年間、一番濃密とも言える仕事人間だった。
毎日毎日、怖い上司に急かされて、いつもなぜか忙しい。
そして台湾出張。
長い長い出張で、寮に日本人一人で住むのはなかなかなか貴重な経験をした。
日本で同棲していた彼とも不仲になった。
彼女は何ヶ月も台湾で、一人部屋にいる彼。
そして出張から帰ってくる度にいろいろな思いを持って帰る彼女はさぞかしくつろげなかったことだろう。
とにかくいろいろありすぎて、自由に行動しすぎて、たくさんの人とコミュニケーション取りすぎて、とにかく濃密な6年間だった。
そんな前いた会社も後継者なく、社長はワンマンなため、会社を売ることになった。
経営者交代で、思い出の台湾の寮も終わりをつけだ。
結婚する前の時間って本当に自由で、なんでもありな時期だったな、と改めて思う。
結婚した今でも、まだまだふらつきがあるものの、交友関係は男性が抜きになった。
旦那がいるお陰で安穏してられる部分もある。
これで子供ができれば人生だいぶかわるんだろうなと思う。
変わるかな?
人はそこまで変われるものかな?とは思うものの、
いつも過去を振り返ったりはあまりしないのだけど、でも思い出の場所がなくなるというのは、寂しいものだ。
人に残されるのは、過去の美しい思い出と、今日という毎日だ。
今日は容赦なく過ぎ去って、明日はまた8時に起きて、出社する。
仕事は楽しいから、楽しく集中してる間にあっという間に時間が過ぎて、また旦那のいる家に帰る。
過去を思い出そうとすると、昔の一人だった自分の感覚を少し肌身に感じる。
過去の自分は自分のようで自分じゃない。
あの時にしか感じ得なかったことがある。
あの時しかできなかったことがある。
あの時しか出来なかった悲しみや辛さもある。
過去はそんなに覚えてはいないけれど、どうにか思いだそうとすれば、あるいち場面だけは思い出せる。
他愛もないこと。
寮にあったキングベット、キッチン、お風呂、テレビ、鏡、階段、化粧品、
きっと死ぬ時、他愛もないこういうことを断片的に思い出すのかもしれないし、もしかしたら、とても気になっていたことが知りたくなるかもしれない。
過去の思い出は、思い出でリアルよりは少し多いくなる。
記憶ではもっと広かったり大きかったりするのに、リアルで見るとそれほど広くも大きくもないのだ。
リアルな毎日はそこまで美しいものではない。
毎日毎日毎日、同じことのつまらない延長のように感じたりもするけれど、
過去は違う。
いつの間にか今の私では手の届かない、美しい過去の形に変化するのだ。
あの時に戻りたいとは思わない。
だって過去は美しいけれど、リアルは地味に大変だから。
戻っても同じく地味に大変だとわかっている。
せっかく頑張ってここまで来たのに、また戻るのは遠慮しておく。
若さはバカさというけれど、バカでいられるのも悪いものではない。
若い時にしかできないことがある。
今は中年だ。
若くもおばさんまでまだ行かないくらい。
なんとも中途半端だけど、前を見ても、後ろをみても、どっちもどっちで、中間まできた感じで、あんがい、悪くない。
43歳とはそんな感じかも。