他人に向ける怒りの感情は計算されて表現されるもの?
感情はコントロールできないという。
怒っている人、切れている人、その人たちは自分の感情をコントロールできないから仕方ないという。
はたしてそうか?
いや違う。
怒鳴ったり、罵ったり、それらの感情は計算されて使われている。
怒鳴ることで相手を支配しようとしているのだ。
自分より弱いものには、怒鳴る。
しかし自分より強そうなものには、怒鳴ることはしない。
大きい音にだれだって突然びっくりする。
怒鳴ることや切れることで、相手がびっくりして自分の言うことを聞いてくれることを計算して怒鳴るのだ。
けっしてコントロールできない感情ではない。
相手が自分を怒らせたというかもしれない。
じゃあ、相手が同じ行動をしたとして、同じように怒鳴るのだろうか?
相手がヤバメな暴力団風の男にたいして、おじさんが怒鳴ったりするだろうか?
「こいつに怒鳴れば自分の支配下におけるか?」相手をみて、怒鳴るわけだ。
店員に怒鳴るのは、それが自分よりも弱い立場にあるとわかっていて怒鳴るわけだ。
もし、大きな声で怒鳴られたら、それと同じくらい大きな声で返答しよう。
だいたい怒鳴る人というのは、小心者だ。
相手が自分より弱いと思って攻撃してくるのなら、それに対して、けっして下手に出てはいけない。
感情を組もうなんて思わないことだ。
なぜなら、相手は怒鳴ることで、あなたをコントロールしようとしてるだけだからだ。
けっしてあなたのミスにたいして感情的に怒っているのではない。
本当にミスに対して注意するなら、普通の声で注意するだろう。
とつぜん、べらもうめ的に怒鳴り切れる客なんていうのは、ただあなたをその怒鳴る行為によってビビらせ、支配下に置こうとしているだけである。
たしかに通常の人なら、生きてきた中で、友達の中でとつぜん怒鳴り散らす人に出会ってこなかったので、びっくりするかもしれない。
でもそういう怒鳴ることを武器の一つとして計算して生きている人間もいるということだ。
たしかに、人は信じてたものを裏切られたようなことをされると、怒ったり、失望したり、悲しんだりする。
だけれど、それを突然怒鳴ったりするのは、よほど情緒不安定な精神的におかしい人か、小心者でプライドが高い被害妄想激しい人か、もしくはほぼ多くが、計算して、怒鳴ることをしている人たちだ。