悲しみ時に唱える言葉。
愛犬ラヴがなくなって、10日目、まだいなくなったことを忘れてしまうこともある。
まだまだ家にいるかのようだ。
今日は会社の人のわんちゃんが遊びにきたので、抱っこしたり撫でたりしたけれど、犬の可愛さはあっても、愛犬ラヴを感じることは難しかった。
帰り道、また悲しみがやってきた。
あの時、ラヴに近寄らなければ、転ばず、死ぬこともなかったのではないか。
今でもケージの中にいてくれたのではないか、、。
でも死んで遺骨になったラヴがそんなことを考えても戻ってこないことはわかっている。
空を見上げると、ああ、生きてるものはいつか死ぬのだと当たり前のことを思う。
いずれ私も死ぬのだから。
魂が抜けたラヴの身体を抱っこしている時の空虚感は半端なかった。
もうこの暖かいかわいい顔した犬はもう、目を覚まさないことがわかっていたから。
家につくと、位牌の前で手を合わせた。
南無阿弥陀仏、、、。
唱えると、またあの言葉がやってきた。
「ラヴのすべてに感謝」
ラヴからもらった、今の悲しみもすべて感謝。
それだけ大切だったこと、癒やされていたことがよくわかったから。
当たり前のようにいつもいた犬が目の前からいなくなった時、初めてもう会えないことへの絶望感がやってくる。
そこまでしないと、ちゃんとわかってないのだ。
目の前に生きて、一緒にいる奇跡を。
初めてラヴが赤ちゃんのとき、手のひらに抱っこした可愛さ、癒やされた。
初めて、ラヴがこの世を去るとき、腕の中にいたラヴが切なくて切なくて、、。
でも、こんな気持ちにさせてくれた、ラヴのすべてに感謝することで、
ただ失った悲しみだけではなくて、もっと大きい大切なことに気づき、安心する気がする。
いずれ自分が死んだらあの世でラヴとまた会えるだろう。
できるなら、もう一度生まれ変わったラヴと会いたいけれど。