13年前のミクシーの日記を見つけた。
すごい、13.4年前のミクシーの日記は健在している。
まだ自分が20代後半の日記だ。
今は43歳、子供はまだいないが、結婚して4年くらい??
すごいなぁー。若いなぁー。
でも日記をみていたら、あの時の気持ちをほんのり感じることができた。
まだまだ独身で足が地につかず、あっちこっち行っていた時だ。
転職もしているし、付き合っていた彼もいろいろ変わっていた。
友達との会話。
学校(にもいっていた。)、引っ越し、いろいろまだ未確定で、ただ思いついたまま行動する日々。
お金も時間も、気にしてない。
未来がどうなるかだなんて、気にしてない。
今は年金のことや年老いて死ぬまでの表を書くまでになったくらいだ。
随分遠くまで来たものだ。
今では考えられないけれど、若い時は本当に恋愛が一番だった。
もちろん仕事もがんばっていたけれど。
その時好きな人のこと、付き合っている間の悩み、また新しく好きになる人、前からずっと好きな人。。。
出会いはすぐにやってくる時。
今は結婚して、恋愛なんてないから、お金のこと、将来のことをよく考える。
それから、自分の周りの女性たちのこと。
みんなそれぞれ自分の人生を歩んでる。
だいたいが結婚してるから、昔みたいに単独の女性というより、家族としての悩みや子供のことが多くなる。
私は、子供がいないから、旦那とは家族というより、お互いよい距離感で自分の好きなことをしている心地よい関係だ。
亡くなった犬のことを思う、今年。
コロナより犬のこと。
そしてまだ見ぬ子供のこと。
仕事はぼちぼち楽しんでやっている。それほど刺激はないけれど。
ああ、ああ。
平穏だから、感謝の気持ちを持って生きている。
けれど時々やってくる、ふとした、小さな空間がある。
どこかに、つながるトンネルのドアの前みたいな。
このドアは自分の昔の感覚に少し戻れる場所。
音楽が好きでダンスが好きだったあのころ。
好きな人を追って、ホームで携帯片手に急いでいたこと。
一人暮らしのあの部屋。
実家の部屋。
いろんなところに引っ越した部屋。
その時々で思い出がある。
ある風景。切り取られたある感情。
ある朝、歌舞伎町のカラス、喧嘩する男女。
ある夜、家の近くの川沿いの道、襲われそうになって逃げたこと。
学校。
寒くて寒くて、歩いた学校までの飯田橋駅近くの上り坂。
SNSから消えた友達。
人生で深くなくても関わった人たちがたくさんいて、たくさんの場所、たくさんの感覚がある。
それはどれもこれも大切な思い出だ。
自分の一部がきっとそこにまだ漂っていたり取り残されていたりするのかもしれない。
不思議なもので、なんで思い出というのは辛くても、切なく、大切に思えるのだろう。
今が一番大切なのに、今より思い出のほうが美しく見えてしまう、不思議さ。
たぶん、どれもこれも、案外幸せだったのかもしれない。