旦那の浮気から自分の人生を見つめる。
旦那になんども嘘を疲れると、それがどんな浮気であれ、家庭や生涯の伴侶という枠が、そう強固なものではないことを感じる。
そういう人だから仕方ないと思う反面、頭ではどうにか分かろうとするフリはできるものの、心は、そこから逃げたくなる。
何度かはぶつかりあうものの、この人には私の悲しさは伝わらないと思うと、諦めというか妥協が必要になる。
でもふと思う。
私という人間は、ここまで堕落していたのかと。
結婚という約束事に、自分の人生を委ね始めている。
自分のやりたいことより、家庭を優先することで、夫がいるということで、自分を満足させようとしている。
夫がどうにかしてくれると思っている。
結婚が離婚に変わるとき、そこに残された自分ははたして自分だろうか??
もう45歳近いからといって、歳だから仕方ないと諦めかかっているのかもしれない。
子供という目標は、あと数年で消える。
もう私には子供を作れないとなった時、私に何が残るだろう?
夫婦としての子供のキーワードも消えることだろう。
その時、夫は欲しいものは欲しいと言って、私より若い女性を探し、目標を達成しようとするかもしれない。
いや、今でもそう狙ってるのかもしれない。
そう簡単にいかなかったとしても。
悪い想像は、浮気の影からいくらでもすることができる。
一度乗り越えたと思ったことが、また同じように復活する悲しみ。
私が普通に過ごしていても、私では満足できない夫。
虚しい。虚しい。虚しい。
何もないことを知る。
夫婦として何もなさなかったことを知る。
だいたい夫婦でさえなかったのかもしれないことを知る。
旅仲間みたいな?
旅行はよくいってたので、、、。
あとは犬の2匹目を飼っているし、仕事ももう3年目になるし。