妊娠虫40歳。

妊娠虫(バグ)を発生させてからの記録。

母親が羨ましく、そして尊敬している件。

私の母親は、専業主婦で、年齢は71歳。

地元は千葉の大きめの農家だ。

母は子供が産まれてから専業主婦になった。

いや、私は専業主婦の地位にいる母が羨ましいわけではない。

 

私は母のことを考えると、とても幸せな、気持ちになる。

そしてなぜか涙がでそうになる。

 

別に病気をしているわけでもなく、風邪をひかないくらいの健康体だ。まだまだ元気で、のんびり父親と一緒に暮らしていれる。

 

私は小学校の5年生くらいの時、なんていい親の元に生まれてきたんだと思ったものだ。

悪いことなんて出来ないと。

 

もし私がまだ産まれる前に、両親を選べていたら、いい親を選んだと思うし、もしまた生まれ変わっても、両親の元に産まれたいと思う。

 

え?そんなに素晴らしい親なのか?と聞かれれば、一般的には普通だと思う。私にとってはだれよりも素晴らしい親だけど。

 

両親は二人とも明るく、あっけらかんとし、自分たちのテリトリーの中で、自分たちがしたいように過ごしている。

父親は真面目で、老後の健康を細かく管理し、1日1万歩以上歩く人だ。自分独自の健康法を編み出し、日々日課としてこなす。

母親は趣味と専業主婦の仕事をこなし、とくに何も問題なく暮らしている。

 

なぜ父ではなく、母なのかは、みなさんがお察しのとおり、存在感の違いなのだ。

 

あの母の自由な感じ、ゆとりがある感じ、小さな喜びに満足し、ちょっとしたことはスルーする、悩まない精神。

面倒くさいことなどは、手を付けない。

自分の程よい気持ちよさをちゃんと備えて、不平不満をいうことなく、生きている母。

 

私は逆だ。

いつも何か刺激がないと生きて行けず、問題に巻き込まれ、面倒くさいことも興味があると手を付けてしまう。

よく、問題が起きると、母に電話し未だに大きく泣く。

夫婦の離婚問題が起きた時はなぜか父がかなりの確率で私を迎えに来てくれた(が、実際は話が丸く収まり、父は一人で帰ること何回か、、。)

 

どうしても、強がって生きてしまう時、両親はとてつもなくサポートをしてくれる。

いつでも話を長々と聞いてくれる。

そして私が冷静になれるように、的確なサポートをしてくれる。

 

自由に自分が思う通り、生きさせてくれた両親には本当に感謝しかない。

 

不思議と私は両親と会うのは年に2回くらいなのだ。昔から。

これは不思議なことだけど、物理的に会いたいとかよりも、存在感的に私をいつもサポートしてくれて、また私からの連絡の半分は大変なことが起こっている場合があるので、連絡ない時は順調に行っている時ともいえる。

 

私は両親に言わないこともある。

それは自分が入院したり病気をしたりする時だ。

そういうものは、自然治癒能力に任せたり、医者に任せるしかないし、余計な心配は無用なのだ。

 

今日は子宮頸がんの円錐切除後の治療と検査を聞きに行く日。

 

何かあってもどうしようもなく、それを両親にいうことはないだろう。

 

両親が亡くなるより早く死ぬことはしないと決めている。

それはとても親不孝なことだから。

 

弟もかなりのいいやつである。

弟の子供二人を毎週両親にあわせることができる彼はたいしたものだ。

そして本当にいいやつなのである。

 

もうこの家族に生まれてきた時点で、私は相当おめでたく、人生楽勝に生きられるはずなのだ。

 

なぜか、いつも思い悩み、小さなことで、夫とプチ喧嘩を度々し、私は疲れているのか仕事終わりに不機嫌になっていたり、私という人間は、人生楽勝に生きられる幸運の運命に生まれ落ちたわりには、まだまだ活かせてないと思う。

 

時々、母親のことを思い出したりすると、幸せな気持ちになって、サポートされる。

 

もう少し、もう少し、私は自分の運命に感謝し、幸せをもっと味わうべきである。

 

 

 

今いるものを愛せよ。

愛犬が亡くなってから約1ヶ月。

悲しみの絶望からじょじょに緩和され、今日の瞑想の言葉はこれだった。

「今いるものを愛せよ。」

亡くなった犬をこれだけ愛してたことを、亡くなった後で知り、いつも愛犬のことを考えた。

 

でも、今自分のまわりにいる人たちも、今いるから、当たり前のように安心しているのだ。

明日、今まわりにいる人達がいなくなる可能性だってある。

 

困ったときに素直に話せる両親への電話。

たいしたことじゃないのに、逐一報告のLINEをする友達。

年に何回か会う不妊治療や犬の話で共通の話題になる学校で知りあった友達。

いつも顔を合わせる旦那さん。

会社にいくとそれぞれのいろんな話題のある人々。

年に少ししか話さないけど、フェイスブックでは近居を知りうる弟。その子供たち。

海外にいる前仕事場が同じだった人々。

同窓会で顔を合わせた同級生。

親戚の人々。

 

少し思い出すだけでも、たくさんの人々に関わって生きている。

そしてその人たちと明日同じように会話ができるとは限らない。

突然の訃報をきくことになるかもしれない。

何かで音信不通になるかもしれない。

 

そういえばLINEの連絡先しかしらない友達で一人音信不通になってしまった人がいた。

SNSだけの連絡先って便利だけど困ることもある。

 

悲しみもいいけれど、今いる人たちにもっと目を向けて、もっと関わって、愛する時間を増やしたい。

円錐切除後に出血がない?追加文章

円錐切除とは子宮口の回りに出来たウイルス感染した場所を切り取る手術だと聞いた。

 

私はてっきり、くり抜かれるように切り取られるのかと思いきや、実際は5mmくらいの厚さを丸く切ったものだった。

 

もちろん深さは先生のお見立てで決められるもので、私が5mmカットでお願いしますとは言えないものだから、手術が終った後にその「ブツ」をみて、少し安心したものだ。

 

思ってたよりは薄めの肉片だったから。

 

でも切り取られたのだから、出血は必ずあるはずの割には、詰め込まれたガーゼをとったとき、それほど出血は見られなかった。

 

また、そのあともナプキンでどれだけ出血するのか気になったものの、なんと、血は見られなかった。

 

しかし、血はなかったものの、水分状のものがたまに出てきてナプキンを濡らした。

 

でもそれは赤くない。

 

もしかしたら電気メスとかは優秀な機械で、出血さえ上手にカバーするものなのかもしれない。

 

とにかく、はじめ想像していた、生理のような出血が何日か続くはず、という想像とは違うものとなった。

 

ちなみに痛みは手術後から特になし。

 

円錐切除は思ってたより、怖くも、痛くもなかった。

 

子宮頸がんの検査、もし検査にひっかかってしまったとき、結果がわかるまで、精神的にとても悪い。

 

もし、、はいつまでもついてくる。

 

だけど、検査はきちんと定期的に、そして恐れず、早めに、最後に考えすぎないように。

 

 

 

追加文章。

このあとの話ですが、3日前くらいから大量のおりもの的なものに血が混ざるようになりました。

下の文の、おりものに該当するのが私の症状の様です。たぶん5mmくらいしか切除してないので、太い血管までは到達しなかったのかも?

 

他の病院の「術後」について書いてあったので、たぶんかさぶたなどの形成によるものなのか、それらしきことが書いてあったので、文章を貼り付けておきます。

それにしてもこんな内容はクリニックからいわれなかったので、、。大量に出血が何日も続くとしか、、。

うーん先生とは言葉足らずなのかしらね。 

流産の危険性とかはきいていますが。ここまでの細かい内容はきいてないかな。

【合併症】
レーザー蒸散術、子宮頸部円錐切除術ともに同じような合併症があります
一般的に、レーザー蒸散術のほうが、円錐切除術 より合併症の頻度は少なく、
程度は軽いです
1.出血
電気メスを用いて慎重に切開しますが、時に太い血管から出血し、止まりにくい
ことがあります
その際には、糸で縫合するといった処置が必要となります
手術終了時には切除部に「かさぶた」が形成されて止血している状態となって
います
この「かさぶた」がはがれる術後7~14日頃に出血が多くみられることが
あります
2.おりもの
切除部位が治癒するまでは、出血にいたらなくても、茶褐色~淡紅色のおりもの
が持続することが多いです
切除部位治癒後は、通常のおりものとなります
3.下腹部痛、腹部違和感
手術当日から数日間、軽い下腹部痛やおなかの違和感を感じることがあります
4.頸管狭窄、頸管閉鎖
切除部位が治癒する過程で、頸管が狭くなる頸管狭窄を起こすことがあります
そうなると、今まで月経痛がなかった人も月経痛を感じるようになる場合が
あります
まれに頸管が完全に閉じてしまう頸管閉鎖を起こすと、再開通術が必要となる
場合もあります
5.切迫早産、早産
円錐切除部位が治癒した後の子宮頸部の長さは、手術前より短くなっています
そのことが、切迫早産や早産の危険性を高める可能性があります
場合によっては、妊娠早期に早産予防の手術が必要となる場合があります

 

いちを補足までに。

円錐切除17,660円。

今日朝9:35分、診療が始まる前に日帰りの子宮頸がん高度異形成の為の円錐切除を行った。

 

愛犬が6月亡くなった為、自分の手術の心配は忘れていた。

 

とにかく時間までにバスで遅れないようにいかなくちゃくらいしか考えてなかった。

 

手術自体は5分で終わるといわれていたし、部分麻酔も歯科治療の麻酔と同じくらいといわれていたので、それほど心配してなかった。

 

すぐに呼ばれて、なにか質問はないかときかれた。

 

頭のすみにあったのは流産のリスク。

 

いままで自然流産を2回辛く経験している。

今回の流産リスクとはもう少し赤ちゃんが大きくなってからの話だからもっと怖い。

 

というものの、確率の問題だといわれればどうにもできない。

そして私はほっといて子宮頸がんになること、またいつなるかわからないことのほうが恐れていたので、手術をお願いした。

 

あのオマタが広がるイスに座り、消毒、部分麻酔までスムーズに行われた。

 

先生と看護師さんが、大丈夫?気分悪くない?という心配の声のほうが気になるくらい、部分麻酔のせいか?少し眠くなっていたこともあり、痛さとかはなかった。

もちろん器具をグイグイ入れられているし、電気メス?のようなものの機械の音は気になるが、はっきりいうと歯科治療のほうがしんどいと思う。

 

そして、先生から切り取りが終わったことを言われて、ガーゼを詰められ、すぐに着替えて、ちゃんと止血できてるか、待合室で1時間ほど待つことになった。

 

ナプキンはつけたものの、後で見たら血はついていなかった。

また夜に、ガーゼを自分でとったけれど、たいした量の出血ではなかった。

 

もしかしたら、電気メス?は止血も含めてよくできた機械なのかもしれない。

 

止血のための薬、抗生物質ロキソニンを出されて帰宅。

 

いままでとくに何も問題はない。

 

10日後に状態を見るのと、切り取った細胞診の結果を聞くことになる。

 

なんともないことを願う。

 

ちなみに治療後、実際に切り取ったものを見せてもらった。

以外に小さい。

 

約5mmくらいしか切ってないから、流産リスクは低いと思うと言われた。

これが約15mmだったら話は別だけど、、と。

 

案外あっさり終った円錐切除の手術は薬合わせて2

万円もいかないものだったのでよかった。

 

健康保険って本当に素晴らしい。

 

犬の緊急入院なんて1泊5万円だからね!!

MRIなんて25万円くらいするのよ。

 

また犬の保険に入っていればよかったけれど、人間みたいにどこまで保険適応されるかも微妙なところだしね。

 

とにかく無事に手術が終わってよかった。

食べることは良い事。

どんな悲しみ、恐れ、不安があっても、何か一口食べて、他も食べたいと思って、食べてたら、お腹いっぱいになったなら、その悲しみ、恐れ、不安は大丈夫だということ。

 

食べるということは、次のエネルギーを補給しようという欲求が脳から自然とでて、蓄えようとしているわけだから。

 

本当に悩み、苦しみ、もうどうにもならなくなり、絶望しかなく、食べることなんてまったく考えも及ばない、無理だというのなら、食べないし、どんどんやせ細って、干からびて死ぬだろう。

 

だけど、どんなに悲しみ、辛さ、不安があっても、今、何かしら、口に出来ているならば、大丈夫ということなのだ。

 

暴飲暴食できるなら、それもエネルギーを一生懸命蓄えようとしてるのだから、未来は明るい。

 

食べられるということは、生き物にとって、「生を意味する」。

 

動物には、自分の死が近いとき、本当に苦しい時は、まずもって、食べられなくなる。

 

もうエネルギーを蓄える力さえ、なくなるということが、食べることを身体が拒否するときなのだ。

 

だから、お腹いっぱい、食べれた時は、もうほとんど、回復状況にあると見ていい。

 

あとは、いつまでも座り込んでいないで、立ち上がって、走り出すだけだ。

 

もしくは海底からいつまでも沈んでないで、そろそろ太陽の光を目指して上がるべき時なのだ。

 

おめでとう。

悲しみ時に唱える言葉。

愛犬ラヴがなくなって、10日目、まだいなくなったことを忘れてしまうこともある。

まだまだ家にいるかのようだ。

 

今日は会社の人のわんちゃんが遊びにきたので、抱っこしたり撫でたりしたけれど、犬の可愛さはあっても、愛犬ラヴを感じることは難しかった。

 

帰り道、また悲しみがやってきた。

あの時、ラヴに近寄らなければ、転ばず、死ぬこともなかったのではないか。

今でもケージの中にいてくれたのではないか、、。

 

でも死んで遺骨になったラヴがそんなことを考えても戻ってこないことはわかっている。

 

空を見上げると、ああ、生きてるものはいつか死ぬのだと当たり前のことを思う。

 

いずれ私も死ぬのだから。

 

魂が抜けたラヴの身体を抱っこしている時の空虚感は半端なかった。

もうこの暖かいかわいい顔した犬はもう、目を覚まさないことがわかっていたから。

 

家につくと、位牌の前で手を合わせた。

南無阿弥陀仏、、、。

唱えると、またあの言葉がやってきた。

 

「ラヴのすべてに感謝」

 

ラヴからもらった、今の悲しみもすべて感謝。

それだけ大切だったこと、癒やされていたことがよくわかったから。

当たり前のようにいつもいた犬が目の前からいなくなった時、初めてもう会えないことへの絶望感がやってくる。

 

そこまでしないと、ちゃんとわかってないのだ。

目の前に生きて、一緒にいる奇跡を。

 

初めてラヴが赤ちゃんのとき、手のひらに抱っこした可愛さ、癒やされた。

初めて、ラヴがこの世を去るとき、腕の中にいたラヴが切なくて切なくて、、。

 

でも、こんな気持ちにさせてくれた、ラヴのすべてに感謝することで、

ただ失った悲しみだけではなくて、もっと大きい大切なことに気づき、安心する気がする。

 

いずれ自分が死んだらあの世でラヴとまた会えるだろう。

できるなら、もう一度生まれ変わったラヴと会いたいけれど。

 

 

最強の思考法。

人生は山あり谷あり。
この世に山だけの人がいるならば、その人はすぐこの世からおさらばして死んでいます。

山があって、谷があって、上がったり下がったりするから人生の寿命を全うします。

もしフルパワーで生き続けたら、人間の身体ではそう長く持ちません。

なので頑張りすぎる人は早く成すことを成してバタッと倒れて死ぬことが多い。
だいたい60年持つか、どうか。

人間の身体では、時々谷があって、休まざる負えなくなる。
でもそれは、その人間にとって、マイナスな出来事だったり、悲しんだり、不幸な出来事だったりするわけです。

だから、谷の時間なんていらないと思うかもしれません。

なんで、幸せ、プラス、成功だけじゃだめなのか?
それはすぐにこの世とおさらばすることになるし、経験値が詰めません。

なんのために現世に生きてるのでしょう?

それは悲しみ、苦しみ、憎み、卑屈になり、マイナスもすべて含めて、自分の身体と頭と心で、感じ取る為です。

他人と比べるとき、あの人より自分はプラスが多いのか?比べます。
それし他人より少しでもプラスが多いと認識することで、自分は大丈夫。あの人よりはいい人生を送っていると考えたくなります。


しかし、この現世で生きている人々はすべて同じ価値があり、幸福と不幸があります。

差があるように思うのは、思いたい人間が作り出した幻想です。

あの人よりはお金がある、あの人よりはいい大学を出ている、あの人よりいい会社に務めている、あの人よりいいパートナーがいる、あの人より私のほうが見た目がいい、、。

そうやって頭の中で計算し、勝手に自分の都合のいい差を作るわけです。

みな自分だけがかわいい。
みな自分は他人と違うと思っている。
みな自分だけは、幸運であると思っている、または不幸だと思っている。

あなたの今の悲しみ、この世であなただけが感じていますか?
あなたの不幸、この世であなただけが感じていますか?
あなたの幸せ、この世であなただけが感じている幸せですか?


そう人間は変わらないのです。

みんなそれぞれの山と谷があり、感じ、経験し、そしてみんな、死んでいくのです。

何も怖がる必要はない。
明日のお金を不安がる必要もないし、明日死ぬかもしれないと不安がる必要もないし、明日不幸が訪れるかもしれないと怖がる必要もない。


最後はこの世から、何も持ち出せることなく、あの世にいくのか、生き物、人間の宿命です。

たくさん、経験しよう。たくさん悲しもう、たくさん喜ぼう。

ただそれだけ。

時間と刺激の大切さ。

ラヴ(愛犬)が突然の事故で亡くなった。
つい最近まで元気な姿が、突然いなくなってしまったことに、ぽっかりあいた空間が残っている。

いや愛犬は、始めから存在感の薄い犬だった。
たまにいることを忘れてしまうくらい、物静かで、寝てばかり、ご飯の時だけ目をキラキラさせて吠えた。

それ以外は静かだった。

だから、たまに何かに集中していると忘れてしまうのだ。

今感じている空虚感はラヴだけのものじゃないかもしれない。

それは私が昔から持っているもので、犬がただ亡くなっていなくなったせいだとは言えないのだ。

この空虚感をどう埋めたらいいのかわからない時もある。

あれだけ熱心にしていた株も動かせる資金がなければ、手出しできないし、私の年収では先が見えているし、才能はまだない。

ただ続けることは楽しみの一つなのでするのだが、何かが足りないのはわかっている。

それが犬ではないこともわかっている。

子供?子供がいないから?

いや、それだけではない気がする。

自分は、いろいろな体験をすることが好きだ。
できるなら、何かを生み出すこと、表現すること。

エネルギーが余っているのだ。

何か生きた証が欲しいのか、、。

いや過去の栄光なんて興味ない。

今日、明日ワクワクすることがあればいい。


そう、大切なのは、ただ今日、情熱を向けられること、体験するために準備し行動に移すことだ。

ただそれだけ。

ただそれだけ。

考えすぎない。

悲しみで少し疲れたのだ。

もう少ししたら、もっと活動的に動きたい。

絶望の時に浮上する方法。

私は愛犬が突然なくなって、とてつもなく空虚な気持ちになることがあります。

しかしペットロスになるほどの愛犬家でもないのは確かです。

でも感情が、「無い」という空虚感に囚われてしまうことがしばしばあります。

悲しくないなんて、悲しみを忘れるなんて、死んだ犬に悪いと思ってしまうのです。

しかしそれは、勝手な自分への哀れみ、悔しさ、至らなさ、弱さ、依存などから、目をそらすためにそう思いこもうとしてるのかもしれません。

亡くなった犬が、私が暗く悲しんでいる姿を本当に喜ぶだろう??????

そんなこと思うはずがありません。

それは忘れられたら悲しいと思うかもしれないけれど、(愛犬はもしかした気にしないかもしれませんが、、。)思い出して死んだ犬の話を楽しく懐かしく思い出して喜んでいたら、それは死んだ犬も喜ぶかもしれません。

鳴いてる赤ちゃんをみるより、笑ってる赤ちゃんの顔のほうが見ててみんな楽しいはずです。


亡くなった犬は姿は見えなくても、私のことは見えていて、聴こえているとお坊さんに聞きました。

それだったら楽しい私でいたほうが、犬のためです。

悲しみは誰のためにもならない。
そうただ自分を哀れんでいるだけです。

なので、明るく、前向きに、そして亡くなった犬のことを笑顔で話せるようになるべきなのです。

それでも悲しみに囚われてしまうことはあります。

そんな時にできることを書いてみました。


・素直にいろんな人に悲しいことがあったことを話す。思い悩むより、ただ悲しいとか、そういう自分の状況を口に出すことで、変な幻想にとらわれることがなくなります。

・自分よりずっと悲しい人苦しい人がいることを知る。私は愛犬を亡くして泣いていますが、数キロ先には、自分の子供を亡くして泣いている人、愛する人を病気でなくした人、さらに遠くには争いで殺されてしまった人、他人の狂気に巻き込まれている人、その最中の人、一人ぼっちで孤独で自ら死のうとしている人。。。
自分だけじゃない、自分よりはるかに苦しんでいることを知ることで、これまた変な幻想にとらわれることがないです。

・気を紛らわす、好きなことをする。
たしかにずっと愛犬の思い出にふけったり、悲しんだり感謝したりすることは大切かもしれません。でも残念ながら、私は愛犬が亡くなっても生きていかなくてはいけない。
だから悲しみなどから頭を全く、違う方向にもっていって、考えない時間も必要です。
ずっと考えなくちゃいけないなんて、愛犬は思ってません。
幸せなあなたでいることを願ってるはずです。

・ちゃんと食べて、ちゃんと身体を動かし、ちゃんと寝る。
基本的なことができてないことは、すべてに良くないです。
基本的なことは、出来る限り努力してすること。
疲れた頭、寝不足な頭では、ろくなことを考えませんし、ちゃんとした、栄養がなければ頭も回りません。

・呼吸瞑想をする。
自分の呼吸に意識して、大きく吐いて吸ってをただそれだけに意識をもっていって瞑想をします。
何も考えない脳のリラックスが、自分にとって大切なアイデアを導いてくれます。


・いつか自分も「無となる」ことを思う。
今自分は生きて呼吸しているから、悲しいと思うのです。
いずれこの身は焼かれ骨となり、意識はなくなります。
私は必ず何十年後か、もしくは来年か、死ぬのです。
今、生きているから悲しいと感じる、そのうち死ぬからその時に悲しみは感じないと冷めた目で自分をみることも大切です。


今思いついたことですがどうでしょうか?
今日も素敵な日だと思えるよう、良いことだけなるべく考えて、寝ましょう。

また明日は死なない限り、やってきます。

愛犬が亡くなって気づいたこと2

朝枕元においてある、愛犬ラヴの写真におはようをいった。

ラヴが亡くなった瞬間を思い出し、どうにもならない空虚感、後悔はまだある。

ラヴが今まで一緒にいてくれてありがとう。と何回かいっていたら、

あ、そうだ、ラヴは昔いろんな犬が近づいてきて、くんくんされてたなー。
人気者だったなーと。

あそこは、ああそうだ、増上寺の近くの公園だ。

と思い出した。

ああ、増上寺には自分が流産した時供養してもらったり、したなーと。

そういえばあそこにはラヴともたまに散歩にいったなーと。


それで今日気づいた。


ああ、そっか。
お空にいる、亡くなった子供、供養してもらってすっかり安心しておもいださなくなったり悲しんだりなくなったけれど、もしかしたら愛犬ラヴはお空でそのこの子供と出会うかもしれないな、と。

そしてラヴは出会った子供に、そろそろ下にいっても大丈夫と伝えるのかもしれない。

二人はすこしばかり愛犬ラヴが亡くなったせいで、前より子供を育てる準備ができていると。

愛犬ラヴが亡くなってしまって、悲しみのなか二人は助け合った。
共犯者の気持ちになった。
二人で育てたラヴだから、それを失うことになったのも自分たちのせいだと。

そして次は後悔のないようにしようと。。。

失うことによって、どれだけ大切だったかを知ったのだ。

でも命は、亡くなってしまったらどんなに後悔しても悔やんでも、昔のことを考えても、亡くなったことに変わりはないのだ。


私はお空で行われる出会いの瞬間を思い描いた。

それはなんて素敵で心強い光景だろう。

約1年前にお空にいった子供。
あの時、始めて自分のお腹の中で、チカチカと白い光が動いてるのを見たときの感動。
それを見せてくれた子供。

でもお空にあっという間に行ってしまった。
でも1年も立って極楽浄土でゆっくりやすんだり遊んだり、それから私達を見ていたのかもしれない。

まだラヴが旅立って、5日目だ。
49日立った頃、ラヴがお空にいった時にきっと、ラヴが子供を見つけるのか、それとも、子供がラヴを抱っこするのか待ってるのかわからないけれど。

その光景は微笑ましく、可愛らしく、素敵なものだろうと思った。

今日思い出して、気づけてよかった。

愛犬が亡くなって気づいたこと。

お別れから2日目、仕事に向かっています。

いろいろな人に助けられました。

そしてラヴに感謝することが大切なことに気付かされました。

会いたい、抱っこしたい、姿がいなくなったことに対する悲しみばかり、失ったことに対する悲しみばかりではだめなんだと思いました。

その死が意味すること、そしてそれにより気づくこと。

ラヴが赤ちゃんのときからこれまでの5年ちょっとで様々なことがありました。

夫婦仲で辛いことも長くありました。

ようやく、落ち着いて来た頃に、ラヴは亡くなりました。

これから心の余裕もできて、ラヴともっと関わりが持てると思った時期です。

その時に失いました。

でもその失ったことへの悲しみより、今まで一緒にいてくれた感謝の気持ちが大切だと気付かされました。

そして、そのラヴが一緒にいてくれたすべての時間に感謝すればするほど、今までの辛かったこと、裏切り、向き合えなかったこと、自分の弱さ、全て全て
、ラヴへの感謝によって、許されるような気持ちになりました。

今隣にいる旦那に感謝。今までいてくれたラヴに感謝。それから辛さを聴いてくれた友達、的確なアドバイスをくれる両親、ラヴを最後までケアしてくれた救急病院の人達、かかりつけ医の先生。

本当にいろいろな人がラヴを知ってくれていて、私達だけで寂しくなかったのかつまらなくなかったのか、良いラヴにとっての人生だったのか。
そんな風に思っていた私に、実を言うとラヴはいろんな人に可愛がられ、いろいろな体験をしたんだと知りました。

私にとって5年は長くそして短い時間でした。
ラヴにとってその時間はどれくらいのものだったのか。

私にはラヴの言葉も感じていることもわからないけれど、きっとラヴは自分の人生を知っていただろうし、至らない私の元にやってきてくれたのだろうと思います。

あんなに頭のいい子で我慢強い子です。
手のかからない子でいつも癒やしだけを提供してくれ、夫婦仲をつないでくれました。

夫婦仲が悪くなり、私も何度と出ていこうとしたとき、自分で精一杯の私は何度とラヴにお別れをいいました。

溺愛するというほどの愛情は私にはありませんでした。
でもこの5年間、きっとラヴの存在にとても救われていたのだと思います。

ラヴの全ての共にした時間、ラヴの存在、そして今も私の記憶の中にいてくれること、すべてに感謝したいと思います。

愛犬がいなくなった話。

MRIで先天性の病気をもってると言われました。
でも今手術の必要はないと。
5日すぎれば良くなると。

そしてだんだんよくなり退院しました。
お家では徘徊するかのように歩き回りました。

私達は油断をしてました。

トイレもきちんと出来る、ご飯も食べられる、歩くこともできる。よく寝てる。

だから安心してたのです。

かかりつけ医からも薬の投与だけでお家に帰って良いことになりました。

お家に帰って2日目の夜のことです。

ご飯を食べたラヴに少し散歩をさせてあげようとケージからいつものように出しました。

いつもどおりゆっくり歩きました。

私はふと思ってしまったのです。

ラヴの顔が汚れてるから拭いてあげようと。

そして近づくと逃げました。

なぜ逃げるのか、目があまり見えていないから怖いのか?

でも前日は特に問題なく抱きかかえて顔を拭いてあげれました。

ゆっくり近づいて抱っこしようとしました。

するとラヴは2歩後ずさりしたのです。

その時です。

後ろ足がクロスされて引っかかり、バタッと横に倒れたのです。

コツとフローリングの床の音がしました。

びっくりして抱きかかえるともう、脱力しています。

なにも反応がないのです。

心臓を確認すると、まだ動いていました。

でもびくとも動かないのです。

もうだめだと思いました。

ああ、魂が抜けてしまったと。

彼が急いで緊急病院に電話をし、私はラヴを抱え、玄関にパジャマのままおり、玄関の前で待ちました。
「早く!早くきて!」

彼がすぐに車を出してくれないことが怖かったわ。

もう何も何も動かないラヴを抱きかかえて、もう無理、でも助けてーと声に出ない叫びを上げました。

彼が車を出し約10分弱の病院について階段を駆け上がり、ラヴを獣医さんに渡しました。

あああ。

車の中でラブの心臓の動きは止まってしまっていた。

蘇生を開始するために、5人くらいの人達が手分けをして細いラヴの腕の血管を取ろうとしていたり、心臓マッサージを始めました。

時間を測る人。
腕の毛をそってさらに血管を探す人。

あああ。

本当はもう無理だと思っていました。

自分のせいだ。

自分のせいでラヴが死んだ。

もう蘇生を繰り返しても、心臓マッサージをしても無理だということはなんとなくわかっていました。

泣いても泣いても叫んでも、助けてといっても、もうラヴは戻ってこないのです。

コツと床の音がしました。
あのとき魂が抜けたのです。

ラヴは首に先天性の病気を持っていました。

でもラヴにはそれがわかりません。

ゆっくり歩いていて転んで頭を打って即死するなんて考えもしなかったのです。

いままでラヴは滑ったり間違えて頭を自分でぶつけたり、いろいろな事件もあったけれど、ピンピンしてたのです。

まさかゆっくり歩いていて後ろに後ずさりをしてそのまま横にコテンと転んで、そのままもう息をしないなんて思わなかったのです。


もう無理だということはわかっていました。
30分の蘇生の後、これ以上使える薬がないこと、さっきまで少しだけ動いていた心臓も弱まってしまったこと。

諦めるしかなかったのです。

管は取り除かれ、完全にラヴの死が決定しました。

きれいにします、とラヴを箱の中にきれいな顔にしてもらいお家に連れて帰りました。

ラヴが交通事故にあってから10日目のことです。

事故から2日目もラヴがこのまましんでしまうと思っていました。
彼と大泣きし、少しケンカをしました。

なぜ、彼は散歩にでる玄関の前でリードを離してしまったのか。
なぜラヴは長い道を猛スピードで道路まで走ってしまったのか、。

わからない現実に苦悩していました。


でも状態が悪くなってきた3日目に早めにMRI検査をしようということになり全身麻酔で検査をしたのです。

そこで初めて脊髄空洞症とセキリ奇形を患ってることを知ったのです。

ラヴの首には白く大きな空洞がありました。

でも先生はこれは元気になったら手術をうけるようにしたほうが良いと言ってました。

緊急なものではないと。

車と衝突したラヴの頭はヒビが大きく入っていました。
しかし、内出血もなく、陥没してるとのこと。

でもその頭の衝撃によって先天性の疾患が悪化したのだと言いました。


脳圧を下げる薬やステロイドなどの薬で治療し、やっと自分でご飯が食べられ、ゆっくり歩けるようになったのです。

お家に帰ってきました。

だけれどちょっとしたささいなことで、転び、頭をうち、亡くなったのです。


先生にその結果を伝えた時、たぶん頭を打った瞬間に、小脳が飛び出て致命傷になったのかもしれないとのことです。

あのとき近づかなければ、もしケージの外に出さなければ、もし床のフローリングにタオルでも敷いておけば、、、もし、10日前に散歩に連れて行ってと彼に言わなければ、、。

過去に戻ることができるなら、防げたかもしれないいくつものことが脳裏にはっきりと思い浮かぶのです。

あのとき、散歩に出かけなければ。
あのとき、彼もイライラせずラヴが階段を降りるのを待っていれば、もしあのとき、ラヴが階段の方を滑っていれば、、。

たぶんあのとき、階段の反対側に頭を打ち付けて落ちたのでしょう。

その時もしかしたら、もっていた疾患が発動したのかもしれません。
もしかしたら、パニックを起こして猛スピードで道を走ってしまったのかもしれません。

たくさんのもしが、後悔という念を抱かずにはおれないのです。

だけれど、もうラヴはこの世にいません。

何を責めても、後悔しても、失われた命は戻らないのです。

あまりのショックにこの10日間が辛かった。

ちっちゃなラブが、コツンと頭を打つ音がした時、そして抱きかかえて、体からまったく力が抜けたのを感じた時、もう、絶望を超えて、恐怖を超えて、喪失感と空白しかなかったのです。

写真を見るたびに泣けできます。

でも私はまたラヴに会いたい。

その魂がまた別のワンちゃんに降りた子を探し出して、今度こそ寿命を全うさせたい。

ラヴは5歳で亡くなりました。
さいころから病気一つしなかった犬です。

体は小さかったけれど、元気だったのです。

たしかにこの子はそんなに長生きできる感じはしないけれど、それでも10歳くらいまで生きるだろうと思ったのです。
できれば13歳くらいまで一緒に暮らしたいと。

それが5歳だったのです。

それも車に衝突したのです。

そして床で転けて頭を打ってその場でなくなったのです。

こんなことあるのでしょうか?
こんなことが起こるなんて、まったく少しも思わなかったのです。

なぜでしょう?
何も悪いことをしようなんて思っていない。

溺愛していたわけではないけれど、かわいい子だと二人で育てていたのです。

私は亡くなった次の日にはお葬式をし、骨に返しました。

亡くなった姿があまりにも可愛くて、まるで生きているようでずっといたいと思ってしまって辛かっのです。
また暑くなって、ラヴの身体が痛むのか嫌だったのです。
そしてその姿はあまりにも悲しかったのです。

きちんとしたお葬式を行いました。約4時間のセレモニーが終わりました。

その素晴らしさと見送ることができたことに、そしてラヴがもう苦しむことがない、解放されたことに安心したのです。

まだラヴのことを考えたり、見たりすると涙が出てきます。

抱っこできない、撫でることも出来ない、寂しい。

だけど、一人でいる時間、たまに自由を感じます。

もしラヴがいたら、ただ寝ているだけでもう息をしていないのではないかと心配で怖いのです。

ちょっとした時間でさえも怖いのです。

この10日間、お風呂に入るのでさえ、気になって仕方がなかった。

ラヴが骨になり、もう心配する必要が亡くなりました。

もうこれから先ラヴの身体がどうなってしまうのか?このまま自分たちのことがわからず、変わってしまったラヴのままなのか?もう前のように走り回ることはできないのか??

いろいろなことが心配で悲しくて不安でした。

ラヴも毎日たくさんの薬を飲んだり、痴呆的に歩き回ることをせずにすみました。

ラヴがまだ生きたかったのかわかりません。

私はラヴが入院してから辛そうな姿を見たとき、思いました。

もしラヴが今の状態が辛くて、あの世に行って楽になりたかったら、自由になりたかったら受け止めると。
でもできるならば、家に帰ってきてほしいと。

犬は喋れません。

私が思っているより遥かに、辛かったのかもしれません。

私にはわからない、けれどラヴは最後はあっけなく行ってしまいました。

彼は大好きな私の腕の中で死ぬことができてよかったんじゃないかといいます。

でも私はそんな風に考えられなかった。

ただ腕の中でもう魂が抜けていくラヴの身体を抱える空虚感でたまらなかったのです。

抱いているのに、軽く、その存在感、生命力を感じないのです。

でも、私はラヴを愛しています。

溺愛するように飼ってはいなかったけれど、ラヴの存在に助けられ、愛しく、失いたくありませんでした。

いつまでもそばにいてほしかった。

いつまでも待っていてほしかった。

もっと一緒に遊びたかった。

でももういないのです。

49日までまだまだあります。

私はその間頑張ります。

またラヴに会える日まで。

悔しい!旦那が憎い!

愛犬が交通事故に。

原因は旦那。

犬が言うことをきかないからと苛立ち、リードをぐいっと引っ張ると反動で玄関の階段をおいた。

びっくりした犬は持ち直そうとした旦那の手を見逃さなかった。

すかさず道を猛スピードで走った。

そしてそのまま道路にいって飛び出て、バンっとぶつかったのだ。

不幸のチケットを貰ったら。

世界は広く、あなたはすべてをわかっていると思っているかもしれないけれど、あなたの知らないことはとてもたくさんあるのです。

あなたが目の前にしている不幸とは、次のステージに上がるチケットです。


それを今あなたは受け取りました。

だれもそんなものほしくないです。

そんな不幸のチケットなんて捨ててしまいたいと思います。

でもそれはあなたがいままでいた場所から、次のステージに上がるべき時にきたからこそ、受け取ったチケットなのです。

たいていショックな不幸のどん底に人間は叩きつけられた時、目覚めます。
あまりの衝撃に今いた場所にはいられなくなり、突然駆け上がるのです。
次の人生のステージに。

必然だと思ってください。

それはあなたの人生に必要な不幸のチケットなのです。

あなたは思うでしょう。

いや、隣の人は自分よりずっと幸せそうで、どんどん次のステージに上がってるように見える。
なんで自分だけ不幸のどん底にいなくちゃいけないのか?


それはあなたにはあなたのステージがあるのです。
隣の人はまったくあなたとは違うステージの人生を歩んでいます。
それとくらべることになんの意味があるでしょうか?

あなたはピアニストになりたいと思っているのに、隣で幸せに子育てをしている人をみて、同じステージにいると思いますか???

あなたにはあなたのステージが、あなたが望んでいるステージがあるのです。

あなたは自分自信を鏡でしかみることはできません。
あなたがどんな表情をして毎日送っているかなんてあなたは見ることができません。

でも他人からあなたは、あなたが思っている以上に幸せそうな顔をしているかもしれません。
他人からみればあなたが思っている以上に、がんばっていて充実しているように見えるかもしれません。
誰かはあなたの一部を羨ましいと思っているかもされません。

あなたがぜったいそうだ!と断言することが、あなたにとって真実かはわからないのです。

あなたが順調にがんばっている時、突然不幸のチケットを渡されることがあります。

なんで私の人生を邪魔するの?なんでいつも順調にいかないの?なんて自分の人生はダメなんだろうとと思っていることでしょう。

でも手には不幸のチケットを持っているのです。
不安や恐怖を感じるチケットです。
本当に破り捨ててしまいたいです。

でもそのチケットは残念ながら破ろうとしても捨てようとしても目の前にいるのです。

知らないふりをしようとしても、いつの間にかその不幸のチケットが手に戻ってくるのです。

それはあなたの人生がすでに次のステージにいく準備が出来ているという証なのてす。

勇気を出してください。

あなたは次のステージにいけるチケットを手にしてるのです。

それはまだ見たことがないステージです。

失う怖さ。

ラヴという犬を飼っています。
5歳です。
今は入院中です。

おしゃべりはできないし、指も器用に使えません。
自分で料理もできないし、お金を稼ぐこともできません。

得意なのは寝ること、撫でられて喜ぶこと、お肉の匂いを嗅ぎ分けたり、嫌いな野菜のご飯はキレイに残せます。

小さい犬なので、基本的に犬が苦手なので友達もいません。
ドッグランにいっても誰とも遊べません。
追いかけられて逃げてくるだけです。

散歩は少し、長距離は苦手です。

車にのって窓から顔を出して楽しんだりもしないし、小さいのでいつも目線は低く、あまり視力もよくないので、よく見えません。

テレビを見ることないし、音楽を聞くこともないです。

たまにぬいぐるみにじゃれつくことがあっても、ボール遊びもできません。

でもご主人さまが帰ってきた音がするとソワソワします。
だけど、すました顔で自分の部屋でまってることも多いです。

歳をとって子供の時のような無邪気さはなくなりました。

小さい頃は冒険家で度々面白いことをしでかしたけれど、5歳のラヴは寝てることも多いです。

階段が苦手なので、2階のお部屋がラヴのスペースです。

1階に行ったりしませんし、そんなに走り回ることもありません。

天気のいい日、無邪気に走り回ることもあります。

あなたの走り回る姿が好きです。

自由な感じがして好きです。

私はあなたのちょっと距離を置く感じ、人が忙しい時はじっと待っている感じも好きです。

小さいのでよくご主人さまにいたずらされても、おとなしくそれを見守ります。

あなたはとても賢くて、よくわかっています。

たまに拗ねておしっこをしてしまってご主人さまに怒られても、ちょっとするとしっぽをふってなでてほしそうにする甘えたなところもたまに見えて
好きです。

あなたはとても小さくて、おとなしくて、忙しいとあなたの存在を忘れてしまうことさえありました。

2017年2018年私はとても心に余裕がなかった。
振り返ればあなたの写真をとった数が極端に少ないのです。

あなたはそんな時でも部屋の毛布の上でこっちをみてたのでしょうか?

私達が大喧嘩をしていたときもあなたは片隅でじっと見守っていたのでしょうか?

私が心が鬱々として泣いていた時、あなたに話しかけた時、あなたはどう思ったでしょうか?

あなたは喋れないし、私の言葉もわからない。

だけどあなたのお目々はとても純粋で、何もかもを素直に受け止めているようです。

私はあなたを失うかと思うとあまりにも悲しくなります。

いつか人間より早くいってしまう犬に産まれたあなたが人間のように長く生きてくれたらいいのにと思います。

あまりにも短い時間があなたの運命だとしても、私はどうにかずっと一緒にいれないかなと思います。

あなたの写真や動画を集めてインスタにまとめてみたら、あまりの思いでの多さにびっくりしました。

あなたがいてくれてどんなに癒やされつづけたんだろうと思います。

私は親からペットはだめといわれていたので飼ったことがなかったし、そこまで興味はなかったのです。

逆にお世話をするのが面倒くさいと思っていました。
お金もかかるだろうし、私は自由が好きだったから、犬に自由を制限されたり時間を使うことを好みませんでした。

それなのにこんなに愛しい生き物と出会ってしまって、私の人生は一部変わってしまいました。

あなたはずっといて、強くて、何もしなくてもいい存在だと思っていました。

けれど交通事故にあってあなたを失うと思った時、あなたの存在の大きさに驚きました。

あなたはとても小さくて、儚いし、脆いし、何もできません。

だけどただあなたがいるだけで、とても楽しいのです。

あなたがしっぽを降る、寝てる姿、食べる姿、一緒に寝ること、困った顔、ご飯を目の前にした時の食いしんぼの顔。

全部全部すべてに癒やされるのです。

失うのはいやだ。

どうにかして長く生きてほしい。
健康で楽しくいきてほしい。
幸せであってほしい。

こんなふうに思える気持ちははじめてです。

ラヴはそんな気持ちを教えてくれたのです。

どうしてそんなことができるのでしょうか?

言葉も話さず、なにもできないあなたが。

できる限り、ずっと一緒にいようね!