『人生問題解決ブログ♪』自力なしで成功する「環境作り」法。by「妊娠虫40歳。」

妊娠虫(バグ)を発生させてからの記録。※誤字脱字すいません、マイク入力でリライトしてません。ニュアンスでお読みください。

私の子供。

こんな話をするとおかしいスピリチャル系か単なる思い込みといわれるだろうけど、それでいい。

思い込みってそう簡単に作れるものではないから、あるだけありがたいのだ。

流産してから、その後、男の子の声が頭の中で聞こえる。妊娠中からだけど。

ママって話してくる。

いつもいうのが、大丈夫だからねって。

今は僕のことを忘れないで、必ず戻ってくるからって。
ママを幸せにする。

ママにピッタリのパパを僕が探してくるって。

いつも子供は年齢的にも諦めようと思うこともあるし、仕事すきだから子育てなんて大変だし、出産後に老けるのもやだしといろいろ拒否るものの、脳内の子供はなんて素直に話してくるのだろうと思う。

時々ママって、大丈夫だからねって。
僕は必ずくるからって。いってくるのだ。

それが人間としての女性としての本能からくる声だとしても、その声はとても素直で私を安心させてくれる。

本当に近くに、流産した魂がいる気がする。

それもただの思い込みの可能性が高いにしろ、私としては頼もしいことで、ありがたいことなのだ。


へんな話ですよね。

母が娘に伝えること。

離婚について母にワーワー行った時、母が始めて自分の結婚の不満をいった。

母は結婚当初大変だったらしい。
父が大切にしたのは自分の両親と親戚。母のことなんてあまり考えない人だったらしい。
詳しくはわからなかったけど、もし自分が専業主婦じゃなかったら離婚の言葉も出ただろうといっていた。
でもお金がない自分は子供も二人いて出てくまでにはいたらなかったと。
母の知り合いの主婦はみんな似たようなことをいってるといっていた。
時代もあるのかもしれない。私が朝昼旦那の料理も作らない、好きに仕事ができるんだったら、それは自分からみたら幸せなことだと言っていた。あれやれこれやれ、使用人みたいにいわれないだけマシだと。

父は私に早く子供ができること、離婚なんてしないでもっと気長に考えなさいといった。父は神社に行く時、五体満足な子供ができるようお参りするらしい。

父は昔いっていた。自分たちの時代は、子育ては母がするものだと認識していた。休日父がテレビを寝転がりながら見ていたのを少しだけを思い出す。

小さい頃の記憶なんてあんまりないのだ。父が、母がどうだったかなんて。

自分が中学生や高校生になって始めて意識する父と母の関係。ある意味亭主関白な父、昔で言うなら「茶」「新聞」という父だった。
私は自分でとればいいと反抗したけど、母は従った。

母は私が結婚当初、またワーワーいった時に、母はお金について悩んだことはないといっていた。
昔なら父が給料からこれだけ生活費に使ってと初めから渡されて、その中でやりくりするし、お金がないとか、そういうのはなかったから、お金について考えたことなんて母はなかったといっていた。

小さい時の母がどうだったかなんて記憶にない。
たぶんお金には不自由がなかったから、専業主婦の母は子育てから手がはなれた時は習い事など初めて、自由時間を充実させていったのだろう。

母は結婚して1ヶ月後には子供が出来たし、次の子もすぐできたので、父とは二人で旅行にもいったことはないし、誕生日も結婚記念日もしてもらったことはないといっていた。

たしかに父と母は別々の部屋にねて、父が母を女性とみてるところはなかった。手を繋いだところもみたことをないし、お互い別々のへやでお互いが好きなことをしていた。

父と母の愛情表現をみたことがなかった。

で、現実問題、母がいったこと。
専業主婦では父が亡くなった時、年金は半分になって、家の固定資産税を払ったり自分だけで生きていくのは大変ということ。
だいたい6.7万しか月に貰えないと言っていた。
だから仕事はずっとして少ないながらも専業主婦よりはこれからずっと働いていた方がいいと。
専業主婦は何かあった時、だいたい旦那の方が早く死んでしまうし、残された女性の生き方は厳しいらしい。

私は母の影響か、お金について心配したことがないので、貯金もなく好き勝手働きながら生きてきたけれど、
いちを厚生年金は定年まで払おうと思った(仕事をし続けるということだ。)

母から、夫婦についてきいたことはあまりない。
だけど高校生の時から、自分は専業主婦にはなれないと思っていた。
それはきっと、何かしらの母からの以心伝心のような、私が仕事が好きとか、揉め事があると、面倒くさいことをするというけれど、何かしら、母から、伝わってくるものがあったのだろう。

母の遺伝子はきっともっと好きなように生きなさいと、父からの遺伝子はもっと社会の中でうまくすりぬけなさいと、伝わってる気がする。

そして私が本心から求めるのは、愛である。

お金があっても愛がなければ、本心は虚しく、いつまでたっても満たされない。

相手に尽くして奴隷になるのではなく、本心から相手に対する尊敬の思いや、愛が、私の心を満たす。

それは夫婦だけの問題ではなく、自分に対しての尊敬、周りの人への尊敬、いろいろな人へも向けられるものだ。 

たしかに離婚に向けてパワーを出しているのはそれが今の状態から抜け出せる一つの一番早い方法だからに過ぎない。
今の話だ。
今は自分に対してもやり切れてない。その分を旦那に埋めてほしいと思ってしまうけど、それは難しい。もっと単純なことかもしれないけど、今は喧嘩を重ねて、馴れ合いの上に私は旦那を見下してる心がある。
そういう自分勝手な心がある限り、愛は程遠く、だからといって、スキンシップをしただけじゃ解消できない問題の気がする。

そんな夫婦なんて真面目に考える必要はないのかもしれないけれど、私は真剣なのだ。

私は未来幸せになるとか、気長な精神はない。
この世で待つことが一番苦手、不安になるから。

それだったら、今自分にできる事を最大限にしたい。

離婚計画というもくろみからパワーをもらい、自立できるよう自分を奮い立たせる。

専業主婦をえらばないのだったら、会社務めしても余力があるなら、次のステップをやってみたい。

そのステップのためにもお金と技術を手に入れる。
同時進行にステップを踏む。

ある程度形にはなるだろう。
結果が出るのは半年以上かかるだろう。

どこに力を注ぐか、割合を常に考えること。

夫婦としてまだいるのでそこも無視できず、妻として今自分にできることはすること。

前妻の影響で(よく男は前カノで出来ているというけれど)少なからず感じる旦那からの前妻の魅力も私は感化されている。いいとこ取りをしたい。

不安は行動でしか解消できない。どんなに占いやスピリチャルとか情報や、周りの人がいってるからとか情勢とか、そんなものに真面目にとりくんだとしても、それは嘘になってしまったり、変わってしまったりする。

きちんと自分の第六感を感じながら自分の中の方位磁石を持たなくちゃいけない。

死ぬまで自分とは縁が切れないのだ。
夫婦でも周りの人でもいつ縁が切れるかはわからないけど、自分だけは、自分に対しての幸せにする責任だけは、必ず縁が切れないから、自分と生き続けなくちゃいけない。

自分のためだけに生きるということじゃない。自分が自分自身にたいして、ちゃんと向き合って、生きるって言うことだ。だれの責任でもなく。人のせいにしないで。

今の結果は自分が決断して得たものだから。

いつ離婚するかなんて決まってないし旦那とも話してない。

それは自分の中で行動することだ。今はそれが私の第六感が印してる道。

人との別れは辛い。
自分からいうなんて難しい。
でもいつか、その時が突然自分の中でやってくるかもしれない。
先のことなんてわからないけれど、私には自立が必要なのだ。

きちんと一人で自信をもって、誇れる自分でいるために。

離婚計画ならぬ、自立計画発動。

母親と電話で話、とにかく離婚するにもお金がないと住むところもないということで、まずはお金を貯めることにした。

生活費は離婚するまで旦那のお金で、その間一人でやっていけるようにするつもり。

でも結婚する前、同棲する前は普通に一人で生活してたんだから、そんなにブランクがなくてよかった。

それに結婚の自由時間の間いろいろ一人の時にはできないこともたくさんできた。

ずっとやりたかった矯正手術や整形は一人の時では会社をやめないかぎりなかなか難しかったし、お金の捻出も難しかった。
なんてったって手術後の時間とか必要だったし。

それがほぼできた。
海外旅行もいろいろ行けた。
一人暮らしの時は、まったく観光に興味がなかったし、仕事で台湾にはしょっちゅういってたけどプライベートで行ける時間もなかった。仕事で。

思い返してみれば、何も成し遂げられなかったようで、いろいろ葛藤もあったけれど、結婚生活以外では色々できたと思う。
今までしたことない、大喧嘩、しょっちゅう喧嘩してたし、海外旅行中も必ず別れるくらいのいきおいで喧嘩をしていた。

彼の変わった人間性、ある意味ひどいと思うこともよくあったけれど、こういう人もいるんだとある意味面白かった。
犬をかえたことも初めてだった。
高い高級なレストランに行くこともできた。
部屋は狭いけど、タワマンに住むこともできた。

私はあんまりお金に縁がなかったし、高いものも気にしたことなかったから、旦那と出会って始めて知ったことも色々あった。

この狭いへやでどれだけ喧嘩したかわからない。
本当に罵り合いの喧嘩。
それもきっと、いつか面白い記憶になるのかもしれない。

子供には流産して出会えなかったけれど、これも運命。

ご縁があって結婚して、運命なく別れることもあるんだろうと思う。

さて、一人で生きていく上で、それでも自分らしく、前よりステップアップしたいと思って入る。

体力は必要なので、今週からしっかり筋トレしようと思う。

また休日も小銭稼ぎをしようと思うし、新しい自立に向けてちゃくちゃくと行動していこうと思う。

とにかく行動あるのみ!!

旦那に期待することを辞めて、自分で頑張って行こと思った瞬間にパワーが湧いてきた。

負かは始まってるものでも、確実にパワーは蘇ってきてる。
それが、どんな結果だろうと、努力が一番の近道だと知っている41歳である。
 
ファイト!

41歳離婚。

ケンカの末、離婚することに決めた。
同棲2年結婚生活1年ちょっとだけど、いいこともあったし、喧嘩ばかりしてた時もあったけれど。

残念ながら子供には恵まれず。これも運命。

心は折れ、このままの状態では精神的にヤバすぎの上に、これ以上結婚生活の先細りと破綻を見届けることには耐えられない。

短期だといわれようと、生活が苦しかろうと、前に進むことしかできない私を許してください。

私はきっと、前を向いてこれから生き生きと生きられるでしょう。

現実に向かって。

まだ41歳。

先は長い。

もう一度一人に戻るけれど、またご縁があれば、誰かと出会うかもしれないし、出会わないかもしれないし。

子供もまだ可能性はあるけれど、できるかもしれないし、できないかもしれないし。

こればかりは運命だから仕方ない。

人生のいち記憶。

人生はまだまだ長い。

実をいうと、誰でもお一人様。

こんなにネットでSNSで必死にアップするのはお一人様の証拠。
海外だってセレブだって毎日のように更新する。
だれだって、たくさんの友達に囲まれてるようにみえて、暖かい家族に囲まれてるいるように見えて、実はお一人様なんです。

テレビで老人が一人で歩いてる、家に帰っても犬と一緒。
行くのは麻雀教室や、お茶のみ場に定期的に集まる。
自ら足を運んで。

そうじゃなきゃ、自分の子供だって一緒にはいてくれない時代です。

島国だけど、ずっと昔より、一人でどこでも行けるようになった。
パック旅行なんて、70歳過ぎても一人で参加なんて当たり前。

アクティブに動き回る70歳過ぎなんてたくさんいるんですよ。
連れ添った夫婦だっていつ片方が天国にいくかわからない。足が動かなくなるか、病気になるかわからない。

いつ一人になるかわからないのが当たり前で。

かわいい子供が産まれても、旦那はいつも通り会社にいき、部屋には自分と泣くか寝るか、食べるかの赤ちゃんと二人きり、話す人なんていない。

テレビでSNSでたくさんの人に囲まれてるようにみえる人でも結局は、案外一人。
芸能人でも、私友達いないんですなんていって休日も部屋に一人でいたり、仕事があるから、周りに人がいるわけで。

ナニもしてなければ、誰も勝手に自分のところにやってくるわけがない、理由がない。

理由がない行動なんて、人間はできないわけです。

そういうのが当たり前なのに、情報に操られて、自分だけが一人とか、なんて寂しい人生だなんて思わないように。

本当はだれしも一人で、誰しも孤独感や寂しさはあり、ただどれだけそれをマイナスに考える続けるのか?行動しないだけなのかの違いだけなのだ。

前提はあなたの環境とそう違わない。
実はみんな一人なの。
みんな心のどこかで寂しいな、不安だなって思ってるの。
そういう、自分と他人は違って、自分は最悪な状況で、他人は自分よりいい環境にいるだなんてへんな想像しないことだ。
その想像は果てしなくまちがっているから。

ただ一人でも言わないだけ、繕って友達たくさんいるフリをしてるだけ。
自分は人気者だと表現してるだけ。

ただ、一人でいる時。
何をしてるかでその人の魅力が格段に光り輝くのだ!

一人の時間、どれだけ何かに集中してたり、行動してたり、楽しんでたりすることに、人はとてつもなく、その人に魅力を感じるんです。

はじめてその人の本質、魅力を感じるんです。

なんでその人は一人でそんなにアクティブなの?なんでその人は一人で楽しめるの?って。集中するほど好きなものがあるのって、気になるんです。
みんなお一人様だから。

SNS で繕った姿じゃなくて、その人が本当に頑張ってたり、集中してたり、好きだったり、「パワー」を感じる生命力に、人は惹きつけられるわけです。

みんな一人なんですよ、家族がいようとも、恋人がいようと、友達がいようと。



仕事をしていた方が楽。

昨日、ケンカの仲直りというか、早くこの狭い部屋から引っ越したい、前の奥さんが使ってたキッチンキャビネットとか変えたいとか、きちんと伝えたら、全部変えるといったし引っ越そうといった。

だけど実際どうなるかわからない。これまでだって何度もこの話はでて、不動産屋にいくものの、この部屋はヤダとかで一向に決まらず、何年もこのままの状態なのだ。

とにかく、私が最も嫌いなのが、現状維持。
私にとっては死んだも同然なのだ。
だから結婚する前はマンションの更新もしたことないくらい、あちこち場所を変えた。

飽きっぽいから、刺激を求めないと生きてる心地がしない。

ロックは好きじゃないけど、ミュージシャンが自殺したりする気持ちが少しだけわかる気がする。

物足りないんじゃないか?手に入らないなら、いっそう、何もなくていいと思ってしまうのかもしれない。

埋められない空虚感。

それをゆいいつ埋めてくれるのが、仕事。
あの集中力。
縛られた時間。
自由がない時間なのに、何かを達成するために仕事に打ち込む。
誰かと何かをする。
共同ですることの居心地の良さ。

一人なんて耐えられない。
ペにゃくちゃしゃべりたいわけじゃない。
なにか一緒の目的に向かってやることが楽しいのだ。

だから仕事から帰ってきて、最近は旦那も家にいなくなり、ひとりぽつんといる時間がとても寂しい。
何かしたい、誰かと喋りたい。
お母さんと電話で喋ってる時はとても楽しい。
昔実家にいた時は一人部屋で何かしてるのが楽しかった。

母親が子育てが楽しかったなんて、いうなんて、思わなかった。
そうなんだって思った。子供は可愛いと。

そういう話をするのは、なんだか不思議で、せつなくなる。

子供の時から、何か夢見てるみたいなのが好きだった。
絵を描いて集中してる時、漫画の世界にいる時。
あれほど、時間を忘れ別世界に飛べる心地よさはないものだ。

体がもっともっと動きたいとはいうものの、運動はしたくない、一歩も動きたくないのに、仕事だったらばたばた動きたい、通勤も小走りで走るのが好き。

仕事が終わった後、一人は寂しい。
だから本当はもう一つ仕事がしたい。それくらいの余力が私の中にある。
誰かと一緒にいたいのだ。

それが一番いいのかな?
マッサージのバイトしようかな?
雇われてる責任の軽い自由も心地よい、悪くないのだ。

開業も考えてはいたけれど、そっちのほうが、寿命が短くなっていいのかも、、、?

両親がいるから結婚生活が続けられている現実。

離婚したくなった時、旦那にイライラマックスの時、母親や父親に電話して話すと、心が平穏になる。

結婚する前、別れようとした時も、父親のお陰で結婚までたどり着いた。

母親が子育ては楽しいといえば、そうなのかな?と子供に興味をもつ。

ありがたい存在の両親。

なぜか結婚してから、両親に悩みをたくさん相談するようになった。

それを聞いてくれる両親。

いなかったら、私は結婚していなかっただろう、不思議なつながり。

家庭を持つとき、両親との繋がりも強くなる。

不思議、人生って。

小さいことでわーわーいって、絶望して、次の日には笑ったり。

でも、もし、一人きりだったら、怒鳴り合いの喧嘩もできない。
一人だったら、相手にたいして悩むことも相談することもない。

何もないようで、なーにも意味なんて夫婦にはないようで、他人の夫婦を羨む中でも、一緒に近くに人がいるという感覚は、一人きりじゃ感じられないものだろう。

一度は結婚してみたほうがいいというのは、こういう、家族という小さな無差別のへんな独自にルールの中で生きることを知ることなんだと思う。

夫婦なんて、最後はどっちかが先に死んでしまうから、最後は一人切りになるのだけど。

離婚だって何があって起こるかわからないけど。

それでも、今、できるかぎり、楽しんだ方がいい!

すごーく嫌な気持ちでも、腹が立っても、イライラしても、絶望しても、

それをバネにする。

もうどーでもいいや!って思った時の、振り幅って日常では出ないパワーがあるから。

それを新しい経験に変える。
チャレンジする。
大胆に行動する。

今まで自分で、こうじゃなくちゃって固まっていた殻を破れる瞬間なのだ。

その時を大切にすべきだ。
自由になれる瞬間を。

最悪な時の次にくるのは、最高かもしれないから。

もしかして妊娠??

今日で生理から35日を過ぎようとしてる、、、。
なんか生理がくる予感もしないが、妊娠してる感じもわからない。

ただここ何日か、すごくストレスがある。
情緒不安定で、旦那と会いたくない。
自暴自棄に、家に帰ってくるとなる。
仕事は全く問題なく、一番仕事をしてる時間が安心できる。

機能体重をはかったら、びっくり51.5もあった!
もう何年も51なんて数字みたことない。
たいていマックス49だったのに、自分でびっくり、どこのデブと思った。

働いてない時より働いてる時の方が格段に、太るという。

単純にご飯をきちんとたべているからかもしれない。

今の仕事はそんなにプレッシャーがないからストレスもないのに。

ゆいいつ家に帰ってきて、旦那絡みでいらっとするだけだ。

とにかく旦那に関してはイライラ要素が盛りだくさん。

前の奥さんのこと、私が彼に対する気持ちの薄さ、夫婦と言うじっかんのなさ、なんかいつも一人暮らししてるみたいなすれ違い人生。

なんかお金さえくれれば、いないのも同然という感じ。

妊娠?まさかね、でも占いの人が12月にできるという。
まさか、更年期?41で?

とにかくわからないし、私はおかしい。

私はもうエネルギーがありあまっているのだ。
疲れてるけど。 

贅沢三昧をする。
もっとお金を使いたい!欲望がすごい。

もっともっと使いたい。もっと食べたいのに、私の胃はすぐ苦しくなり、食べれない悔しさ。

とにかく、はけ口がないのだ。
今の私には。
ダカラお金を使って使って、使い切りたい!

へやをめちゃくちゃにして、どこかにいってしまいたい!

そしてその新天地でほそぼそと、そして暖かく暮らしたい。

とにかく私は疲れているし、妊娠なんて耐えられない気がする。
おかしくなる。

ホルモンの影響を受けやすく、それは旦那が近くにいればいるほど、発動するのだ!!!

デパスがきいてきて、眠くなってきた。
デパス様々だ。
デパス買いに行きたい。
先生のもとに。。

わくわく一人バースデイ!

一人でバースデイなんてなんて寂しいのと思うかもしれませんが、人に祝ってもらおうなんて図々しいしく考えるものではありません。

それよりも、いかに自分の素直な気持ちを奮い立たせるかが重要です。

自分自身に感謝できる日です。

生まれてきてくれてありがとう!
今まで自殺もせず、殺されもせず、無事に生きてることに感謝しましょう。

この世にはいろいろな人がいるのです。
殺されかけてる人、自ら自分を殺そうとする人、自分の感情を無視し続ける人、自分にウソをつき続ける人。
どうにもならない環境に置かれて自由がない人。
食べるものがない人。

とにかくたくさんの人がいるなかで、私は今日のうのうと生きている。

そういうことに感謝するのです。

そして自分に素直になるべきです。
日ごろ我慢してたこと、日ごろできなかったこと。
実をいうと自分で感じていないだけであるのです。

人を羨んだり、いいなぁーと思うとき、悔しいなーと思うとき、それは自分が出来ていないから思うわけです。

誕生日のその日は、それを開放する時です。

1年に一度、のびのびといきましょう、誰に気を使うこともなく。
それは自分自身に、気を使うこともなく…。

それをリストアップしてみましょう。
そして実行してみましょう。

その誕生日は特別な日になります。

未来の計画なんていらない、今日がんばろう!

未来を考えるのは時として大切だけど、それはざっくりでいい。

物事が計画通りいくことはまずない。
未来が予想できるような能力があるなら別だが、そんな力はない。
だからたてた計画はその通りにはならない。
だからこそ、計画に時間をかけるのはもったいない。

1カ月に1度大雑把に計画を30分くらいでたてて、さらに1ヶ月後ざっくり手直ししながらすすめたほうが、改善もすぐできる。
 
ホリエモンが書いていたが、「人は、本質的に怠け者だ。長期的で大きな目標を掲げると、迷いや気のゆるみが生じて、うまく没頭できなくなる。」

いかに長時間集中し続けるかで成果は決まる。
いくら時間を費やしても、集中してなかったら、ノラリクラリ、いっこうに成果は出ない。

学校の勉強も仕事も同じだろう。

勉強も仕事も、短時間でこなせる人、残業してもなかなか終わらない人。

今日という限られた時間の中でいかに成果を出すか?(成果の定義は自分の中でクリアーにしておこう!)

だから計画に時間をかけるより、
成果のリストの数字化(今日の最後に何が何点できたか?など具体的な数字)さえ、初めに頭に入っていれば、後はやるだけなのだ。

もじもじ考えるよりも、行動にうつしたほうが成果はどんどん手に入る!

たまに鏡をみてびっくりすることがある。

ムカムカイライラする時があります。
そういう時、ろくな顔をしてないだろうなとふと鏡にうつった自分の顔をみてびっくりします。

あら、かわいい。(自称)

これには原因があります。
知っての通り私は少しずつお顔の手直しをしてます。
ある時は大胆に入院するほど。

でもその割に周りの人から気づかれません。
二重を広めにした時も顎を出したときも誰からも指摘も何もされない。
たまに合う家族でさえ、気づかないのです!

これはこれで残念。

でも、私は美の方程式に合わせて、整った顔というのに、少しずつ変化させているので、それは整うはずです。

だからふとした嫌な顔がうつるはずの鏡も、嫌な顔にならない。

そこには自分ではっとする整った顔があるわけです。(自称)

何年か前の写真をみてみます。
違います、けれど、なんか、同じです。

わかりずらいんですけど、。

整って上品にはなった、けれど中から醸し出すものは変わらない。

なんだろ、プラスマイナス0みたいな???

そんな感じになるわけです。

ようは元から不細工ではなかった。
すごく美人ではないけど、程よく好感がもてる顔を整えていったところで、周りからはそこまで変化がみられないわけです。

でも時々もっとへんな顔をしてもいい時に鏡にうった時の顔は、整っていてびっくりするのです。

そのびっくりするせいで、イライラが吹っ飛ぶわけです。

そんな悪くないじゃん、と。

この間やってたドクターXの最終回の終わり方私は好きです。

出来るっているにはちゃんと理由がある、ちゃんとそれだけのリスクを受け止められるように、まじめに努力するということ。

ただし、天才は1%と99%の努力とは、99%の努力をしたとしても、1%のひらめきがなければだめだけど、そのためにはきちんと99%最低でも努力してねということだから、

やっぱり成功や、何かが得られるっていうのは、99%の努力がなくちゃ、得られる可能性もないということなのだ。

ぐだぐだ文句いってる暇があったら、その時間を努力に費やすべきだ。

あなたはモデルじゃない、ダイエットする必要がない。

一生懸命、普通の体型なのに無理してダイエットをする必要がないと言っておこう、モデルでもしてない限り。

モデルが痩せてるのは仕事だから。
太れば仕事を失う。
見た目で仕事をするっていうことはそういうことだ。

あなたはモデルですか?
それでお金を稼いでいますか?

何のために、痩せるんですか?人に認められるため?
女友達から痩せてていいですねと褒められるため?
彼から痩せてる君が好きっていわれるため?

もし人のためにやせるのならば、他人から認められるために痩せるならば辞めた方がいい。

あなたの願いはかんぺきに叶うことはないからだ。

他人から認められたい欲望は、自分ではどうにもならない、はっきりいって。

5キロも痩せたのに周りから褒められないって、誰があなたの体重をいちいち気にするものか?

ダイエットのために、食べたいものを我慢する、カロリーが高そうだから我慢する。
なんのため?

そういうシガラミや洗脳から抜け出したほうが幸せになれる。
そして、自分に対してそういう気持ちをもっていると、他人に対してもそういう目でしか見れなくなる。

彼女は痩せてるから素晴らしい。あの子は足が太いからだめ。あの子はまったく太っているのに気にしないだなんて、と人を体重で見下すようになる。

彼女と比べて自分の方が細いから、美しい、勝っていると勘違い野郎になる。

痩せてるから自分は特別、美しいと人と優劣を、つけてでしか生きられなくなる。

人と自分の価値観は違うと区別できなくなる。

そういう、卑屈な人間、視野の狭い人間になる可能性が高い。

ニコルンが食べずに痩せてるウエストをInstagramで披露すると、若い子たちは、ニコルンすごい!とか言い出す。そして自分のウエストのダブダブさに劣等感をもつ。

馬鹿げてる。

メディアの情報操作にまんまと洗脳されてる女性たち、若者。

その先には何もないことを知らない。

一生懸命痩せて、痩せてる女性が好きだとい旦那をわざわざみつけ、結婚後も、妊娠後も、好きなものを食べずに体重を平均値に下げるのみを考え続ける人生なんて、アホらしい。

体重が減ったあとに、それをキープし続ける人生の先に何が、あるのか考えた方がいい。

そして世の中、痩せてることがどれだけメリットがあるか?ないよ、モデルのような痩せてることでお金がもらえる職業につかない限り。

自分のためだけに痩せてることをキープしたいならいいけど、それを他人におしつけるのはよしておいたほうがいい。
またそこに価値観をおいて、楽しい友だちが増える要素はない。

ダイエットは意味がない(メタボじゃない限り)

若いとき、メディアに踊らされてダイエットに励む人は多い。

この年齢なって思うのが、他人に踊らされるなということ。

男性は痩せてる人が好きらしいとか、痩せてるほうが美しいとか、幻想だ。

ダイエットしない、普通にたべてる、ストレスで食べてないなら、その体重と体型が、あなた自身なのだ。

もし彼が、普通にしてるのに太ってるとかいろいろいってきたら、普通に幸せな自分が嫌なら、別れたほうがいいといった方がいい。

またそんな言葉を真に受けないことだ。

自分が幸せで食べてるのに文句をいう相手なんて、あなたにふさわしくない。

そして文句をいう相手と一緒にいてもあなたは幸せにはなれない。

相手は本来痩せ型の人を選ぶべきだ。
あなたを変えたいなんて相手は思うべきではないし、文句を言うべきではない。

年を取って老けてきたら、付き合ってた当初は若かった、だからタイプじゃないなんていう男性がいたなら、馬鹿だ。未来を予想できない単細胞の脳の持ち主なんだろう。

自然でいることを付け入られないなら、人の幸せを願えないなら、そういう人は相手にしないほうがいい。

ダイエットで成功したとしよう、どうせリバウンドする。
それを繰り返す人生なんて馬鹿らしい。

自分の体型を受け入れ、愛することだ。
周りの情報に踊らされるな。
もちろん病気になるほどメタボだったら話は別だが。

他人に踊らされる人生なんてアホらしい。
あなたはあなたですでに完璧なのだ。

完璧な自分を認めない限り、幸せになれないし、いつまでたっても痩せない自分を、モデルみたいに痩せてない自分を不幸に思うだけだ。

人生は、どれだけ好きな仕事を見つけるかで幸せは決まると思う。

今人手不足といい、定年も伸びて、ある企業では89歳でも働き続けている。
そういう世の中になった。

仕事をしなくてもいい生活なんて、何することもなく、幸せじゃない。
誰の役にも立たなければ、誰からも褒められない。

人間は、ちゃんとご飯を食べる欲求を満たし、人の役に立って他人から認められる欲求も満たせば、だいたい幸せなのだ。

専業主婦で、旦那が褒めてくれるかといえば、褒めてなんてくれない、あなたの料理や掃除、買い出しを当たり前のように思う、もしくは給料を稼いできてるんだから、それだけ家のことをやってくれなくちゃ困るくらいにしか思われない。
たまに家ではゆっくりしてれば、専業主婦はお気楽でいいな〜と思われるだけだ。

社会からも縁遠くなり、旦那の給料の上下に自分の人生を委ねるなんて、今の時代リスクが高すぎる。

高給をもらう必要なんてない。
自分に合っていて、やっていて集中できる、ストレスのかからない仕事を見つけて毎日仕事をすることは、健全な人生の第一歩だ。

理想が高いのはいいけれど、まずははじめの第一歩を叶えたほうがいい。

残業なく定時に帰れて、自分だけの時間をとれること。
仕事以外にも趣味をもったり、仕事以外にも幸せを望むそれで充分幸せだと思う。


お金に目がくらんで、好きでもない無理してやる仕事は、自分を無駄に消費し、上司や会社の陰口を叩くようになる。
そんな姿は美しくない。

子供がいても、子供はいずれ自分の道を歩いていく。その時に自分の道がないと、充実感をまた見つけるのに年とともに苦労することになる。

人手不足といえども40過ぎれば、年寄りとみなされ、若手の方が印象がよくなるのだ。
だらだら何もしないでいると、いざ自分の好きな仕事につこうとした時に社会からお断りが入る。

だからなるべく早く、自分が好きで、やっていて時間がすぐ立ってしまうほど集中できる仕事を見つけることは、今の時代の女性にとって手っ取り早い幸せへの道だ。

専業主婦の友だちがいっていた。あー幼稚園が冬休みになって自分の時間がなくなっちゃうって。

もしこれが働いてるママだったら、仕事というもう一つの気分転換があるから、子供や旦那の時間に振り回される意識が減ると思う。
だって仕事に気を回すこともしなくちゃいけないから、全面的に子どもや旦那を引き受けなくていい。
狭い世界で、長時間束縛されるのが好きな人はいいけれど、反対の性格なら、間違いなく専業主婦にならないほうがいい。

安易に、逃げて、専業主婦になると痛い目に合う。

好きで、楽で、便利なものを選びなさいという教えは長続きする鉄則だ。

好きなものは、脳が開く。
楽なものは、楽と感じるほど自分似合ってるということだ。
そして便利というのは、寿命や体力の衰えもあるんだから、無駄に浪費をしないためにも、考えうる便利な行動をするべきだと思う。
例えば通勤時間。近ければ近いほど疲れないでしょ?

40過ぎてこの教えを少しずつだけど実行できてる気がする。

そういうことだ。年を重ねるいいところは。