40歳で理想と現実を知った時
40歳になった時、自分が知らない間に、女性としての価値は低下してますw
そして経験を重ねた女性として、30代の時にしていた行動に興味がなくなります。
そういう意味でもある意味キャピキャピした女性ではいられなくなるということです。
そういうことをしたいという欲求がないから仕方ないこと。
そして40代になると、仕事も転職できなくなってきます。
39の時は大丈夫でも40という言葉がまだ日本では転職するなんてなんかあるんじゃないかと見られるわけです。
今いる職場に56歳の求人がきました。職場内で、56〜?ありえない〜みたいな声がありました。
ただもし私が経営者だったら、給料がやすくても技能に見合ったことをしてくれて、なおかつ経験が+αになるなら考えないこともないです。
3ヶ月の使用期間でやってみるとか。
私の中で若さはバカさだとおもってます、いい意味でも悪い意味でも。
恐れを知らず、無知なことを武器に理想高く、行動できるのは若さがあるからです。
独り身が多ければ、その人に付属してる家族についても考えなくていいことです。
話はそれましたが、年齢重ねても、魅力的であることはできます。志高くもいられる。また生きてきた経験はやはり生きてこないと分からない。
そういう意味で、どう40代を過ごすかはまた新しいチャレンジでもあるわけです。
子供もまだ可能性がある現状、突然の方向転換もしなくてはいけなくなります。
家庭と仕事、臨機応変に対応し、なおかつ自分なりの生き方をすることを忘れずにいること。
休日の過ごし方も大切だわ。
人は人、自分は自分で認めよう。
ショックなこと!
私のかわいい台湾人の知り合いが11月からロスに引っ越した!!
子供はまだ1歳にもなってない。
彼女は30歳。
芸能人並にかわいく、金持ち。
日本に留学中も今の旦那さんと早く台湾に帰って結婚したいといっていた。
そして結婚前は世界各地を旅行。
すぐ子供もでき、幸せいっぱいの毎日。
家族が近くにいて、仲良し。
妊娠中もおしゃれ。
私からみたら、本当に恵まれている、天真爛漫な女の子。
そんな彼女が、理由は不明だが、広いロスのお部屋に引っ越して5年くらい住むらしい。
えー旦那仕事はどうした?どうやって若いのにどっからお金が湧いてくるんだろー。
彼女はたぶん仕事をしてない。
親が金持ちだと、その子供の人生は結婚してからもこれだけ違うものなのか?
は〜。自分でお金を稼ぐなんてことは人生で必要がなく、好きなようにいきる人を見ると、自分の人生とは随分ちがうものだと思う。
だからって仕事が嫌いなわけじゃない、たのしい。
だけど仕事しなくても楽しく生きてる人もいるんだなーと改めて違う生き方をしている人をみるとショックをうける。
ははは〜。
変わる心、行動あるのみ。
2年間ぐらい、もんもんとしていた、仕事がしたくて、普通の朝起きて仕事して帰ってくるっていう生活がしたくて。
半年行きたかった学校にいって、行きたかった会社には行けなかったけど、それでも今好きなことで働ける幸せ。
それに、2年間、たしかに仕事はしてなかったけど、その間仕事をしてなかったからこそできた、矯正や、手術がある。
ずっと10年くらいしたかったやつ、願いは叶った!
全部満足ってない、けれど半分以上、いや7割くらい満足。
7割も満足なんだよ??すごくない??
1年1年何もやってないようで、私の自由というエネルギーをふつふつと燃やしつつ、葛藤し、燃やせない不完全燃焼の2年だったけど、それでも
実際色々、できた。
それは認めなくっちゃ。
で、今。
現実を知りつつ、それでも、ちゃんと努力し、それでもうまく行かなくても、正しい努力をしていれば、必ず叶うことはたくさんある。
だからこそ、今願えば、50歳の時には叶ってる現実がやってくる。
何を叶えたい?
それにね、前の奥さんのことがあまり気にならなくなった。仕事してるせいだと思う。
何かに打ち込んでいる時は、他人のことなんて気にならないものだ。
気になるときは、自分が不完全燃焼だから。
それが知れただけでも幸せだ。
麻布十番で派遣の仕事。
派遣の仕事を紹介され、時給1500円、1日1万2千円を稼ぐようになった。
彼と同棲するようになってから無職になって2年以上たち、仕事に久しぶりに復帰した。
40という歳の現実を知った。
初めての派遣は悪くないと思った。
気分も楽で残業もなく、やることやって仕事を終える。
正社員の人たちは残業でおつかれぎみの姿を横目で見つつ定時で帰れる私。
まー派遣というのがそういう仕組みだからなんだけど。
労働時間8時間、なんか充分な気がする。
そんな毎日ぐったり疲れる程働く価値とは何か?
もっとプライベートを充実させるべきだと思う。
退職する時、お金しか残らない人生なんてよくないと思う。
会社という組織しか自分にないっていうのはよくないと思う。
人生一度きり。
長いようで短い人生。
もちろん徹夜してまで仕事したければすればいいけど。
でも、なんかね、人間ってやっぱり無理すると、他への影響が必ずでる。
家庭が上手くいかないとか、好きで楽しくてやるんだったらいいけど、辛くてお金の為にやるんだったら、家族はきっといい迷惑を被ることになるから。
ストレスが溜まればどこかで発散しなくちゃいけない。
最終的にはプラスマイナス0の人生なんだから、だったら楽しくて好きな方を選んだほうがいいと思う。
旦那の言い草。
ごちゃごちゃいわれるんだったら、やらない!
とかいって出ていった。
彼は一緒に新しく事業を始めようとしてた人から振られたのか?連絡がないとブツブツいいって、私に、最悪あいつとはやらないとか、いい。
そして私に1年だけ私が協力してくれるんだったら新事業を始めようと思うと言い出した。
ええ!と思うでしょ?
私は段取り8割の人よ。
自分でこれって思わないと動けないタイプ、
なのに彼は私が、どうしてすぐに自分と協力して新事業をやるっていわないんだってイライラしだした。
どうなの?
自分の思い通りにならないとイライラし、捨て台詞のように、やめるっていったり。。
うまく行かなければ1年で罷めればいいとか、
そんな適当な気持ちで私は同意出来ない。
それが私。
彼がなんと言おうと、私は私がいいと思うことしかできない。
不安から始まる新事業なんて私的に無理だと思う。
なにかこうしたいとか展望があればいいけど、ただやるとか意味がわからないのだ。
お金儲けしたいなら、務めた方がすんなりお金も貰えるし、労力も使わないし。
私は男性についてくタイプではない。だいたい彼について行きたいだなんて思えない。
単に面白そうだから一緒にいるだけで、その他なし。
どっちかというと、危なっかしい彼で、非常識だと思うことの方が多いんだから。
じゃーなんで彼と一緒にいるかといえば、自分の中でまだ自由でいられるから。
いろいろあった男性で、私が自由に動けば嫌がるし、最後は別れることになった。
別れなかったから結婚したというのが正解だ。
私には男性運がないと、占い師さんがいっていた。
だいたいダメ男的な人を面白いと思って付き合うんだから。
私もだめ子だと思う。
釣り合ったから結婚できたのだ。
彼のことをどうのこうのいうつもりはない。
だけど、自分のことを言われるのるは許さない。
私はそういう人間だ。
自分の中で採算が合わないことはしないのだ。
採算っていうのは、お金とかじゃなくて、面白さ、興味深さとか。
彼と私のリズムははっきりいって違う。
でも夫婦というのは、違いを認め、そのままで良いというのじゃないと続かないものだ。
世界を変えたければ、自分が変わればいい。
昔は彼の一言一言に腹を立てたけど、今はそれほどでもないな。
今できることを私はやるのみだ。
彼はずっと迷走というから迷歩してるんだけど、それも彼が自分で抜け出さないといけない。
私は私の尺度で、自分がしたいこと、好きなこと、できること、得なこと、を自分で選んで行動するだけだ。
入籍から1年、離婚が頭をよぎる。
付き合ってから合わせて3年。
彼は親の遺産で暮らし、マー彼がこれから生きるだけだったら充分なお金で暮らせるだろ。
私はというば貯金0円。
投資を少しずつ始めたくらいだ。
年齢も41直前。
なんというか、つまらない。
合ってないと思う。
これから何十年、死ぬまで一緒にいる人なのか疑問に思う。
私は自由な生き方をしてきた。
だけど結婚して、とくにプラスマイナスゼロなのだ。
好きとか、はっきり言ってない。
心から愛する人の近くにいられれば、お金なんて関係ないと私は思ってしまう。
金がなければ愛があっても覚めるというけれど、普通に働いていたら、普通に生活できるんじゃないかと思ってしまう。
それに私は仕事が好きだ。
愛する人の子供だったら、どんなに大切にするだろうし、もう充分だと思って未練もない。
だけど、今は、旦那に対して何もない。
はっきりいって、次の日から他人になれる気がする。
終わってる。
というか、妥協の結婚だったのかもしれない。
お金がもし1億あったとしても、使えなければ意味がない。
たしかにいざというときは大切だろう、年取れば、愛だのなんて関係なくなるんだろう。
生活できればいいと。
旦那が金を持ってきてくれさえばいいと。
でも私はどうだろうか?
旦那は私がほしいものをくれない。
高級タワーマンションの1ルームで二人で暮らす息苦しさ。
ここからぬけれるようにカフェにいったり、学校いったり、
はっきりいって居心地のよさなんて感じたことない。
車の中なんて最悪、運転するたびに、イライラする旦那とあんな密室にいるなんて耐えられない。
いや、3年もいれば、旦那がどんなに怒鳴ったって耐久性ができるから、ある程度対応はできるけど、気分は悪い。
けしてハッピーにはならない。
でも現実、私の生活費は旦那の遺産から出ているのだ。
会社は持ってるものの、実質仕事がない状態が何年も続き、私があってからちゃんと彼が仕事らしい仕事をしたのは1回のみだ!
それでも彼は金運がいいのだろう。
大金も入るし、大金を失う運命なのだ。
私は何もなし。
常にフラット、上がりも下がりもしない中、自分なりの人生だ。
このまま終わりたいというのが本音。
旦那の言葉遣いの汚さ、怒鳴る、高圧的な態度は彼独特のもの。
きっとそんな、人が好きな人もいるだろう。
だけど私はそういうのが嫌い。
旦那のおかげで、物事をはっきりいえるようになったのはいいことだと思う。
こうやって専業主婦になって、自分には合わないとよくわかった。
さらに、私って愛のためならなんでもやる気質なんだろう。
彼が私にイライラする時があるのはわかる。
きっと私は自分のことしか考えてないからだ。
旦那のことを男性として愛していない。
私はやっぱり女性は、愛する人の元にいるときが一番輝く。
もちろん仕事でも輝くだろうけど。
でも仕事ってお金が絡むし、キリキリするキャリアウーマンも多い。
心豊かでは、ないよね。
自分の居場所がないのだ。
なんか。
求めすぎだろうか?
今日や未来に何をするべきか迷った時は?
選択肢はたくさんある。
でもつい習慣でいつも同じ行動をして、選択に満足しない、もしくはそれでよかったのか不安になる時がある。
人間には現状維持機能があって、いままでそれなりに無事に生きてきたから、そのまま変えずに生きようとする機能が備わっている。
だからつい同じ間違いや、同じ不安をいつまでも繰り返し、将来に不安になったりする。
そんな時有効なのが、10年前の自分に語りかけることだ。
例えば、今40歳だったら、30歳の自分の行動にアドバイスを送るのだ。
こうしてみたら?それはあまりやらないほうが効率的かもよ?とか。
そうすると自分に足りないものや、同じ間違えをしてるヒントが得られる。
10年分の経験値を得た自分が、10年前の自分にアドバイスするのだから、有意義だと思う。
たまには自分の人生の棚卸しをしてもいいんじゃないかなとふと思った。
忘れちゃうから、紙に書いておくほうがいいかも。
学校卒業と、お目当ての会社不採用で良かったこと。
学校を卒業して9日目だ。
不採用になってまだ2日しかたってない。
計画は失敗に終わったお陰で、新しい時間の使い方が必要になった。
残ったのは
○パソコン
○学校で使った教科書
○他に揃えた本
○学校でもらったプリント
○グーグルのKEEPに入れた情報
これだけでたくさんのことができるのは分かっている。
でもまだ動けていない。
今日は久しぶりにゆっくりしていて読んでない本をめくっていたら面白い本だった、、、読める時間が出来てよかった。
ただ、知識を人の役にたてないと、宝の持ち腐れだ。
情報は鮮度が重要。
本だって、腐るんだと先生がいっていた。
読みたいと思った時に読まないと腐ると。
この本ももう少ししたら腐りはじめるだろう、その前に読まないと。
期限を決めて来週からまた動き出そう。
ただし、今回は制限がある。
子供だ、予定では12月らしい。
彼から第一優先で考えるよう念を押されている。
放送作家の人がいっていた。
出来ないことが多い環境の中でこそ、いいアイデアが見つかると。
私はそこにかけようと思っている。
今年のはじめに自分が学校にいくなんて思っていなかった。
でも専業主婦としても生きられないし、レジのおばちゃんになるのもいやだった。
だからといって国家免許使って開業する度胸もモチベーションもなかった。
で、学校にいったけれど、それはそれは有意義な時間で、本当に行ってよかったと思っている。
後は、制限の中で、自分なりに納得した仕事ができればと思っている。
今まで仕入れた知識の中にヒントがある。
それを探すのに充分時間はある。
もしお目当ての会社に入っていたら、ママにはなれなかったかもしれない。
今はママになれる可能性が高くなって、さらに自分の好きな仕事が手に入る可能性が出てきた。
お目当ての会社は安定企業。低い給料でもそれなりに働いて頑張ればいいと思っていた。
でもそれが叶わなかったからこそ出来ることがあることにそろそろ気づき始めている。
今の時代、パソコン1台あればなんだってできると62歳の先生がいっていた。
先生が今教壇にたっているのはパソコンのおかげだと。
もしパソコンを使っていなかったら、ただのジジイだといっていた。
先生はMacを組み立てて使っていた時代からの人だ。
まだインターネットが普及する前からWebの世界にいるくらいだから、きっと真実に近い言葉だろう。
2017年もあと2ヶ月ある。
大切にその2ヶ月を使いたい。
新しい命と出会う前に。
敗北には原因がある。
人は、なぜか、自分にとっていい事だけの情報はとるが、気に入らない情報は耳をふさぐ。
例えば人から、あなたは将来大物になるよといわれた言葉と、
違う人から、あなたはそのままじゃうまく行かないよといわれた言葉、
どっちを情報として耳に入れますか?
大抵自分にとって有利な情報を信じるんです。
自分のマイナスの意見なんて聞きたくないし、楽な情報だけ取ろうとするのが、人間です。
また情報というのは人によって間違ってたりします。
そのままあるヒトの言葉を信じたら、敗北したというのはよくあることです。
どの情報が、勝つ条件か見極める耳が必要だけどなぜか人は楽な方をとろうとするから、敗北の情報を真に受けるのです。
そこに敗北の原因があるのです。
がんばったけど、負けた、うまく行かなかったというのは、必ず原因があります。
もちろん、縁がなかった、タイミングが悪かったというのもあるけれど、必ず勝てる情報はあるわけです。
だって誰かは勝っているのだから。
ただその勝てる情報を耳が選択できるようになるには、勝ちたい情熱が必要です。
ただ見た目だけ、ただ自分にとって勝つことが有利、だけじゃ、敗北の情報を耳に入れてしまいます。
どんなに言葉で繕ったとしても。
敗北した時、ふとふり返れば、前あの人がいっていた情報の方が勝ちの情報だったと、あとから気づくこともあります。
たしかに勝ちの情報を知っていたのに、それを無視していたなんてことはよくあります。
でもその勝ちの情報はあんがい面倒くさかったりして、行動に移したくないのです。
まー勝ちの情報を全部やらなくても、どうにかなるか、と楽観的に勝負に挑んだ時、敗北したりします。
まー負けてもいいやという気持ちが心の中にあるから、勝ちの情報を取らないというのも大きいのかもしれません。
情報は平等でなかったりもします。
簡単に勝ちの情報がとれるかといったら、そんな情報があったらラッキーなもので、隠されてる場合も大きいのです。
そういう場合、勝つためにはかなりの情熱が必要です。
例えば、ブリトニー・スピアーズ。
ディズニーチャンネルに応募しようとした時、年齢がわかすぎると言われてオーディションに落ちます。
何年後かに受けて受かります。
勝つ条件はこの時はっきりルール化されてたりするのです。
そのルールは他の人からきいたら、なんで?と思うことも多いかもしれません。
だけどそういう勝つ最低限の情報がブリトニーの親には伝わっていなかったのでしょうか?
有名になる人、成功している人、みーーーんな、はじめから勝ち続けているわけではないです。
下積みみたいな、泣きたくなる悔しい時間を過ごし、今があるわけです。
それはやっぱり、勝ちたいという執念だったりします。
一度敗北して、諦めるくらいだったら、それだけの気持ちなのだと思います。
または、敗北してみて、自分はこれくらいの気持ちだったと気づいて違う方向にいくかもしれません。
敗北の原因はあり、勝つ原因もある。
両方の情報は必ずあって、それをどう自分の耳に入れ選択し、行動するかが、敗北と勝ちの分かれ道だったりします。
人生諦めが肝心とはどういうことか?
人生を諦めるんじゃなくて、何事もプラスマイナスゼロということを認識せよ、という意味です。
どういう事かというと、人生はいい事もあれば悪いこともあるということを認めるということです。
高くを望めばリスクも高くなるということです。
山あり谷ありというのを認めることです。
反対に、平坦な山で平坦な谷というのが凡人の生き方です。
リスクは低く、プラスも低いと言う人生です。
アップダウンが激しい人生は目立ちます。
話題性ですね。
物語性です。
人間は面白いストーリーが好きなんです、昔から。
だからアップダウンのある人生を歩んでいる人ほど、希少価値が高くなります。
有名になった時、その人の素晴らしいところしか見えませんが、その素晴らしさと同じくらい闇があります。
政治家や大金持ちの社長に、光しかないだなんて誰も信じないでしょ?
必ず裏や、闇があるんです。
光あるところには影がある。
そのコントラストが強いからその人間にストーリーが生まれて、それを聴いた人は心を動かされるのです。
いいとこ取りは無理です。
諦めましょう。
そういう意味で、人生は(いいとこ取りなんて出来ないよ!)諦めが肝心と私は思っています。
どっちを選びますか?
選ぶも何も、すでに平凡に生きてきた人が突然そんなコントラストの強い人生を送るなんて難しいですが。
自分が産まれてきた環境、それに対応した自分の資質、すでに決まっているのです。
無いものねだりをせず、自分の運命の中で楽しむことが大切です。
自分の運命を受け止めること、それができれば、人生最大限に楽しめます。
そういう意味で、人生諦めが肝心です。
気持ちが不安定な時にするべき事。
一番の特効薬が、掃除です。
上手くいかない時、不安な時、ぱっと部屋をみて、荷物が積み上がってることないですか?
ずっとほったらかしの場所がないですか?
少し心が落ち着いたら、その場所だけ片付けましょう。
そうすると頭がすっきりしてきて、気持ちも切り替わります。
当たり前の事なんだけど、一番の特効薬。
もちろん友達と飲む約束をする。
友達にがんばったけどうまく行かなかった報告をする。
とにかく、溜めないこと。
片付けていると、次に行動してみたくなることが、登場したりします。
忘れてた人、事、もの。
そういえば、忘れてたけど、これをやったら前にすすめるかもっていうのが目の前に現れてくる可能性は高いです。
不安や悲しみは、ぐっと辛いけど、なるべくその日のうちに、次の行動となるものを用意したほうがいい。
そうしたら、ゆっくり眠れるから。
期待値が大きいほど、ショックも大きくなる。
けれど、それを乗り越えれば、必ずそれが似たようことに出会った時、糧になってる。
それが人生経験の醍醐味というやつだ。
で、大抵1年前に悲しかったこととか不安だったことなんて、思い出せないのよ。
もうあっという間に、あの時あんなに悲しんでたのに忘れちゃうの。
それくらいのことなんだけど、起こった時は動揺が隠せないのはみんな一緒。
だれだって人間思った通り行かなければ悔しいし、悲しいし、自暴自棄になったりするかもしれないけど、そんな一瞬はあっという間に忘れてしまうから。
なるべく、周りの人に迷惑をかけずw、早く前に進んだほうがいい。
片付いた場所は空気も、きれいになって、すっきりして、いいよ!
本当に好きなことは、辞められない。
何かの為にやると、何かがなくなった時、やる気もなくなる。
誰かの為にやると、誰かがいなくなった時、やる気がなくなる。
だけど、心の底から、それに魅力を感じ、好きだったら、どんなことがあっても続けるべきだ。
人間最後は好きなことをやってる人が一番輝いている。
他人のいい悪いに左右されない。
好きだから、やってるのが楽しい。
だから幸せ。
もし選べる環境にあるのならば、それを選んだほうがいいと私は思う。
例えば、女性は仕事がなかなか難しい。
女性であり、ママである2役をやるのは社会的にまだまだ難しい。
諦めようと思う人も多いだろう。
でも、ある意味、できない環境の中でこそ、好きなことをすべきである。
だって限られた時間の中で好きなことを選んだ方がいいに決まってる。
大丈夫、お金はついてくる。
はじめにお金ありきで選ぶと後で続けるモチベーションを持つことが辛くなるのだ。
もちろん、お金がなくてそれを選ばなくちゃ生きていけないというならば、仕方ないけど。
そうでなかったら、好きな事を選んだ方がいい。
だって、その生きてる時間は幸せでいられるんだから。
いつか、幸せじゃなくて、選べる環境にあるなら、今幸せになったほうがいい。
あと5年たったら幸せになる?あと10年たったら好きなことができる?
もし好きな事があるなら、だけど。
好きな事があるなら大切にした方がいい。
それに夢中になれるんだったら、それを選んだ方がいい。
チャンスはいくらでもある、諦めなければ。
諦めてしまうというのはそれほど好きじゃなかったのかもしれない。
自分がほしいものを知るのは簡単なようで難しいこと。
だからこそ、好きなことがあるんなら、やったほうがいい。
10年後、やらなかったことを後悔するより、今すぐやって、後悔して、もう一度すぐやればいい。
私が考える仕事って、最高の遊びだと思う。
選ぶときのポイントは、お金を貰わなくてもやりたいと思う事。
勝手にやりたい。
勝手に行動しちゃう気持ちがその仕事にあれば最高だ。
だって、好きなことして、お金まで貰えるんだもん。
とにかく好きなことは諦めない。
いろんな角度からチャンスを狙おう。
諦めないかぎり、ずっと幸せ。
結果じゃない、その時間すべてが楽しいから。
だから諦めない限りずっと幸せでいられるのが、本当に好きなことだ。
一度うまく行かなくても、無数にチャンスはある。
今うまく行かなくて、チャンスを失ったと思っても、そのチャンスが手に出来なかったからこそ、次のチャンスがやってくるのだから。
がんばったけど無理だった。
選考の結果が届いた。
結果は残念ながら不採用。
グループ面接ではみんなうまくできたと思っていた。
情熱も伝えた。
ポートフォリオも自分の出来る限りをやった。
けれど不採用。
ピッタリの会社だと思っていた。安定企業。
だけど頑張る中で、半分難しいのもわかっていた。
だけど頑張るしかなかったし、自分にはその会社しか見えなかったから、不採用になったのはとても悲しい。
だけど、仕方ない。
会社に入れたからといって、そこから幸せな人生が待ってるかなんてわからない。
もしかしたら、すぐ辞めることになってたかもしれないし。
たくさん応募があったと記載があった。
その会社の採用基準があるのだろう。
それはわからない。
このあいだは若い人達が4名採用されたというので、もしかしたら年齢的なものなのかもしれない。
40歳、どんなにデザインの経験があっても、足りないものがあったのだろう。
何が悪かったのかはわからない。
こればかりは見えない。
だけど結果は残念だった。
この半年自分では一生懸命やってきたと思っている。
結果は結果。
この会社と縁がなかったのだろう。
バツの日に面接だったから、私はずっと嫌な予感はしていたけれど、それでも面接ではがんばったと思っている。
だけどだめだった。
でも、頑張ったことは、決して消えない。
きっと今から新しい縁があるのだと思う。
私にぴったりの縁を用意してくれてるのだと思う。
はて、今のところ就活は他に宛がない。
どうしたものか?
バイトをゆっくり探しつつ、旅行計画をすすめるしかないな。