妻が離婚を決意した時、まだ旦那は旅行を考える。
よくある話だけれど、妻に甘えている夫というのは、自分が浮気しようが、妻は出ていかないと思っている。
自分のしたこたは大したことではないと思っている。
ただ妻が自分が仕出かした悪さを母親のように、許してくれればいいと思っている。
しかし、妻は母親ではない。
妻は一人の人間であり、女であり、妻であり、子供の母親にはなりうるけれど、夫の母親にはならない。
妻にいくら甘えても結婚しているから、許してくれると思っている。
しかし、妻には、心がある。
どんなに夫にとって遊びの浮気だろうと、遊びのセックスだろうと、それで妻が傷つかないなんてことはないのだ。
もう、許す許さないの次元でない。
妻の心が壊れかけていることを夫は知らずに、のうのうと、次の連休に高い旅館でも泊まりに行けばまた許してもらえる、仲直りできると思っている。
でも妻の心が壊れてしまった時、もう許す許さないの話ではなく、夫に対して、心が亡くなるのだ。
一度の未遂でも嫌なのに、浮気して恋人作ってバレて、別れましたから許してください。
許しました。だけどまた1ヶ月後には出会い系を始めている夫に心が壊れない妻がいるだろうか?
私は夫の母親ではない。
母親はどんな悪さを子供がしたって、見捨てたり、別れたりはしないだろう。
だけど、妻は決して夫の母親ではないのだ。
私にはそんな寛大な心はない。
いちいち傷つくし、そして子供じみて、辛いのや痛いのは我慢できない。
そこからいち早く逃げたい。
それが私だ。
いや夫の女遊びなんて、本気じゃない、本当に遊びなんだから、いいじゃないか、多めにみてやれと思う人もいるだろう。
だけど、多めにみて、何が残るのだろう?
多めに見ることで、夫に何のメリットがあるのだろう?
人を傷つけることが平気な夫になる。
遊び女性に嘘をついて平気で他人の心をもて遊ぶ人間になる。
そんな夫という人間をそのまま許すことで何のメリットがあるのか?
浮気は遊びというけれど、一生を誓いあった夫婦が浮気を許すことに何のメリットがあるのか?
私にはわからない。
私だけが傷つくのではない。
夫は独身と嘘をつき、出会い系に登録してる女性の身体をもて遊ぶために一生懸命になっているのだ。
もしその出会い系が、エッチ目的だけのヤリサイトだったら、私だけが傷つくだけでいいとしても、
ただの出会い系アプリで、たまたま普通に男性と知り合いと思って、たまたま夫の口車に乗っかってしまって、実を言うと結婚してました、あなたはエッチ目的ですっていわれたら、どれだけ傷つくのだろうか。
出会い系にはサクラの女性が多いけれど、すべてではないし、実際に前の浮気で出会い系で知り合って夫とつきあった人はごくごく普通の結婚をのぞむ36歳のOLさんだったそうだ。
私が浮気を見つけた時、怒りに任せて彼のタブレットと携帯を壊してしまったから、その女性とも音信不通になってしまって、
彼はそのまま自然消滅させようとしていたところ、その彼女は彼の車の駐車場の前に立っていてとても怒っていたと夫がいっていた。
その時に何を二人が話していたのか知らないけれど、
もし私が36歳で半年お付き合いした相手から突然連絡が途絶えたらびっくりするし、会いに行ったら実を言うと結婚してましたなんていわれたら、ショックが大きすぎるじゃないか。
それに万が一、彼が本能のままに生でエッチして子供でもできちゃった日には、その子供がかわいそうでしかたないじゃないか。
そういう未来が予想できて、それを単に、夫の女遊びなんて、遊びなんだから許してやれなんて、簡単に言えるものだろうか?
そこに妻としての責任はないのか?
隣にいる人が、自分だけではなく、他の女性を傷つけようとしていることに、加担してるようなものではないか?
もし離婚すれば、もう夫が何しようが私には関係ない、責任もない。
だってそうしたら、夫は独身になり、いくらでも女遊びができるのではないか?
夫が独身になり、一人の男になった時、そこで出会う女性は、正当に彼をどんな人か判断し、付き合い、他の女性にも手を出す女遊びが好きな男か気づくか気づかないかはその相手の女性の能力次第だからもう、それは私には関係ない。
夫は嘘が得意だ。
口だけは達者なのだ。
嘘も方便というけれど、やはり、自分の欲望を満たすために、嘘をついて、自分だけいい思いをしようという人間は、最後はしっぺ返しにあって
それが積み重なって、違う相手や、方面から、痛い思いをするのだ。
因果応報。
悪いことが起きた時、それは昔自分が誰かを傷つけた、仕返しがやってきたと思ったほうがいい。
私は昔、自分が浮気をしたことがある。
仕事のストレスなのか、何なのかわからなかったけれど、付き合っていた相手をひどく踏みにじったのだ。
きっとその仕返しが今、結婚してやってきたのかもしれないと思うと、痛みも半減する。
痛い思いをしないと、人間というのはバカなもので、わからないのだ。
痛い思いをして、はじめて、これはやってはいけないことだったと気づくのだ。
でも一度それをやって痛い思いをしたら、賢い人間は同じことを繰り返さない。
繰り返す人間は、本当のバカだ。
でも大切なのは、人がバカなことをしていたら、同じことを自分はしないことだ。
自分が人にたいして、嫌だなと思うことは、しないことだ。
私は昔浮気をした。相手の人は同じく浮気をしてきたけれど、自分がしていたので、悲しみはそれほどなかった。
オアイコぐらいに思っていたから。
でも今回、結婚した相手が、ひどい女遊びが好きな人だと知って、私は傷ついた。
悲しんだ。
許した。
だけどまた裏切られた。
夫は自分と同じように、浮気をする女性と出会えてないのかもしれない。
または気づかないのかもしれない。
だから痛みがわからないのかもしれない。
だからといって、私は浮気をしたいとも思わないし、彼にそれを理解させることは難しいし、そして、そういう同じ過ちを繰り返してしまう夫とずっといることは難しいと判断をしたのだ。
前向きな考え方もいいけれど、たいていの人は、変わらない。
今回誤り、もうしないといったところで、また許せば同じことをすることが目に見えてる段階で、
「前向き」という言葉を使って、やり直すのは、単なるバカだ。
私はバカにならないように気をつけなくてはいけない。
人間というのは、現状維持能力が高い。
変化より、今の安定を選ぼうとする。
変化して、何があるかわからない未来の不安より、苦しくても、今のままでいいやと思ってしまう。
忘れていいことと、悪いことがある。
忘れて同じ過ちをして同じ痛みを味わうのは、やはり、勉強が足らない。
成長が必要だ。
そして未来への勇気と、決断力が必要だ。
離婚という、大きな壁を乗り越えるには、壁の前でウロウロする。
この壁を超えた時、あっち側には大変な世界が待っているのではないかとか、このままこの壁の内側にいたほうがいいんじゃないかとか、ウロウロする。
だけど、未来は自分で作るものだ。
未来は与えられるものじゃない。
未来を想像し、それに近づけるよう努力するのだ。
現状維持は簡単。
何もしない、何も考えない、バカになればいい。
そしてまた同じことが起きるのだ。
未来は自分で考えて、決断して、行動して作るものだ。
未来は、勝手にやってきたり、勝手に作られるものじゃない。
自分の頭でちゃんと考えて、行動して、自分の未来を自分で作るのだ。