『人生問題解決ブログ♪』自力なしで成功する「環境作り」法。by「妊娠虫40歳。」

妊娠虫(バグ)を発生させてからの記録。※誤字脱字すいません、マイク入力でリライトしてません。ニュアンスでお読みください。

流産して良かったこと。

 

流産してよかったことは、ある。

物事には、表と裏、マイナスもプラスも必ず両方ある。

 

この道を行かなかっから、こっちの道を行った。

 

あれがうまくいかなかったから、これが出来ている。

 

そんなこと、日常でたくさんあって、完璧なものもない。

 

だから、私は流産して、良かったこともあったのはたしか。

 

①筋トレに目覚めた。

妊娠してから、特に体力がないと困ると気づき、すこし運動は始めたものの、どんどん身体が丸くなっていくのを感じ、諦めていた。

しかし流産することで、諦める必要がなくなって、さらに、ストレスを発散しようと、悔しくて、20kgのバーベルを買った。

毎日筋トレしている。昔から一度はその体型になりたいと望んでいたことが叶うかもしれない。

 

②妊娠したから、諦めたあることを、諦めなくて済んだ。

去年からそのことはやろうと思っていた。今年最後かもしれないから、やろうと思っていたのに妊娠したから、残念ながら諦めようと思っていた。

しかし流産したから、諦めずそのあることをチャレンジし始めている。恥ずかしくて言えないけれど。これはとても大きなこと。

 

プロテインに目覚めた。

筋トレをする中で、プロテインを飲むようになって食欲がコントロールできるようになった。そのせいで今後も太ることはなさそうだ。私の大好きなだいごさんの話の中でも、プロテインで栄養がとれていれば、体は食欲がわかなくなるというのが実感できている。

一生ものの知識だ。

もし私がシングルになってお金がなくなっても、プロテインはかかさずとろうと思う。

 

④体重が減ってきたおかげで顔のたるみが減ってきた。

やっぱり年々少しずつ筋力がおち、またそこに脂肪がついていくわけだけど、顔もしかり。

適正体重を、守ることで、なるべく皮膚の伸びを防止し、そして筋力を保つこと、それこそが顔のたるみを予防する大切な手段だから、きちんと自分の適正体重、美容体重に近いものが、本来の自分の身体だと気づくことができた。

顔周りが前よりもすっきりしてきた。

痩せるんじゃない、脂肪を筋肉に変換するのだ!

 

⑤母性が残った。

不思議だけど、前流産した時はそのあと悲しみしかなかったけれど、今回は心拍を確認したせいか、流産後に子供はぜったい産もうと思った。

45歳までには必ず私は母親になりたいと思った。子供を育てたいと思った。

周りの影響もあるかもしれないけれど、母性が昔より着いてきた。

悲しい思いをしたからこそ、歳を重ねたからこそ、大切にできることや、本当に何を自分が望んでいるのかわかると思う。

前は彼が子供をほしいといってもあまり乗り気じゃなかったけれど、今はたしかに母親になろうとちゃんと思っている。

必ず子供はできると思う、2回自然妊娠して流産したんだから。

 

⑥妊娠してないからこそ、出来ることはたくさんあることに気づいた。

失ったからこそ、今までの自由を改めて見直そうと思った。

妊娠したらずっとお腹の中の子を考えるし、出産したらずっと子供の世話をするようになる。それは現実的には簡単なことじゃない。毎日やって、放り出すことのできない責任だ。

だったら、今が一番身軽で自由で、自分の為にできる時。

もし子供が出来たあと、ちゃんと自分がしたいことをやった人間だと伝えられる人間でありたい。

 

流産してよかったこと、考えたらきりがないけれど、これが現実に私の中で感じたこと。

犬の存在。もしものことがあったら。

うちには4歳の体重1kgのトイプーがいる。

 

私は初めて飼うが、旦那はこれで三代目。

それもみんな、その時付き合ってた女性との関係性を保たせるために、子供のように飼った犬たちだ。

 

私も彼とつきあいはじめのころ、彼が犬を飼いたいといった。

私は戸惑った。犬を、かったことがないし、はっきりいって世話をするのが面倒臭そうだからだ。

 

でも同棲がはじまるころ一匹のトイプーを、かった。

私は不慣れながら、しつけをちゃんとしようとしたけれど、彼のほうが家にいて犬といる時間も長いし、甘やかすので、彼の犬のようになっていった。

 

ようは彼はご主人様、私は隣の人。

 

でもこの犬は利口で我慢強く、彼の怒鳴り超えにも耐えてきた犬だ。

彼は怒鳴り散らしたあと、犬が元気がなさほうになると、さっきはごめん的な感じて、アメとムチをよくこの犬にしていた。

 

私はおそそをした犬に、口汚く怒鳴り散らす彼の声が嫌いだった。

将来赤ちゃんができて、犬以上に世話のかかる子供をいつか怒鳴るんじゃないかと思って。

ちょっと怖かった。

またへんに甘やかして、我慢のできない子に育ったらやだなと思ったり。

 

私はそこまで犬を可愛がる性格でもなかったので、たまに撫でたり、すごくたまに散歩につれるくらいで。

 

それでもその、健気な小さな生き物の存在はとても部屋の中で大きかった。

 

その犬の元気が今日なかった。

夏バテ?なんなの?しっぽが下がり、散歩にいってものとのと歩くだけ。

 

心配だったし、もしものことがあって、もしこの犬が亡くなったりでもしたら、私達夫婦も、終わりなんじゃないかとさえ思えてならない。

 

流産して、赤ちゃんも亡くなり、もし犬もなくなったら、、、耐えられないだろう。

 

私達は二人共お互いに向かい合えない。

向かい合うことができないから、彼はいつも犬を介して、もしくは犬の話題だと機嫌がよくなるからという理由で飼われている犬なのだから。

 

犬とはすごい。

飼われてご主人様がどんな人間性でさえ、一途に寄り添うのだから。

 

もちろん虐待なんてしたら、犬だって近寄らないかもしれないが。

アメとムチなら、犬もご主人様にしたがうようになってしまうだろう。

 

小さな小さな1kgの存在は大きい。

 

旅行に行ったとき、犬を実家に預けて、旅行から帰ってから何日か犬がいないだけで、家がとても寂しくなるのだ。

 

彼はきっと自分にない愛の部分を、犬を挟むことで、結婚などの関係性を保とうとしているのだろうと思う。

 

私はそこまで賛同できないけれど。

でももし、犬が短い命で亡くなったら、立ち直れそうにない、私達夫婦は。

 

そして部屋のたくさんの観葉植物も3分の一は枯れてしまう、私の育てる能力のなさ。

 

 

結婚という縛り。マインドセットの解き方。

私は自由に生きているとおもっていたが、それは経済的や環境や時間ではないことがわかった。

 

今私が苦しんでいるのは、朝はっきりわかったことがある。

 

それは私の、脳の、ようはマインドセットが、とても不自由な状態にあるということだ。

 

朝だから気づけた。

夜は無理、思考が低下してしまうから。

 

朝今、気づけた。

 

私は夫へのマインドセットがこうなのだ。

 

・このまま55歳の夫と子作りをして、そのままできず、自分が45さいになってしまって、もう子供が作れなくなってしまったらどうしよう?もう一生自分は母親になることができないのか?

 

・夫の女性遍歴をノートで確認すると、常に自分が優先、そして誰かと付き合ってたとしても常に複数の女性と遊ぶということが日常茶飯事で、たしかに55に老いたとはいえ、これからまた同じことをしたり、されるのではないか?それにたいして苦しむのではないか?または離婚するのではないか?

 

・夫は毎日働かず、その生活をずっとしている。会社はもってるものの、他力で、借金もあり、しかし親の遺産で裕福にくらしていけている、そのなにか、閉鎖的な、環境で、子供を作って生きていけるのか?

 

・真面目な両親、平均的な親に育てられた自分が、結婚生活の中での価値観で、どれが正しいのかわからなくなってきている。

 

・結婚や、子供や、夫を理由にして、自分から目を逸らしているのではないか?

いや、夫や結婚や子供から目をそらすことで、自分を直視していないのではないか?

 

・男性とは出会える、素晴らしい人間性の男性もちゃんといることを知っている、だけれど、私がほしいのは、男性に守られることでも、経済的に裕福にしてもらうでもないことを知っていて、自分が何を望んでいるのか?本当に望んでいることがわからなくなってきている。

 

・完璧な人生なんてないし、たいていの人間がほどほどにいきている。いや、バランスをとっていきていけるのが、大人だけれど、自分にはまだまだずっと子供的危ないスリリングな感情があって、飛び出していってしまわないか?そうしたいのかもしれない。どっちなのかわからない、わからない。

 

こうやって、綴ってるだけでも、私の脳が嫌なことだらけ、マイナスなものだらけに囚われてることがわかる。

 

こんな状態が、自由であるはずがない。

 

人のせいにするな!

 

夫の性格や、自分の年齢なんて関係ない!!

 

ちゃんと自分のせいにして生きることが、私にとって一番早道、自由になれる、近道なのだ。

 

この状態は、運命でもない、偶然でもない。

私が自ら、選んだと、マインドセットを、変えたい。

 

他人のせい、運命のせいにすると、出口が見えなくなる。

いつまでたっても答えが見つからなくなり、同じところをいったりきたり。

 

そんなのはうんざりだ。

 

私に必要なのは、偶然で、運命でもない。

私が、自ら、自分の人生を選んで、今、この場に立っていることを実感することだ!!!

 

朝気づけてよかった。

今苦しい、心が。

本当に流産の後遺症というか、なんというか。

 

あんなに妊娠中は夫婦仲もよくなって、和やかで、私も、子供のことばかりいろいろ考えてたのに。

 

今はほーーーんと、空っぽの中でもがいてる感じ。

空っぽの空洞の中にいて、上を見上げれば、光は見えるんだけど、どうやって抜け出していいのかわからない感じ。

 

なんでこんなことになってしまったのだろうか、わからない。

 

旦那と素直に向かい合えない。

旦那と、一緒に時間を過ごすのがいやだ。

 

今日は1時間外食で一緒にいただけ。

昨日は、彼がジムにいくまえ、ご飯作っといてーというちょっと話を何十分か目も合わさず、話しただけ。

その前は?その前は?

 

流産したあと、そのままご飯をたべにいった時が一番話したくらいで、ここ二週間以上私はふさぎこんだり筋トレしたり、薬飲んで早く寝たり、ご飯も作りたくなくて、なるべく彼との関わりを持ちたくなかった。

 

なんで?なんで?なんで?

 

わからない。

 

次の子作りなんて積極的になれないし、セックスもしたくない。

性欲かない。

あるのは母性だけ。

 

コンビニの前にいるトイプーをかわいいと思う。赤ちゃんをだっこしたいと思う。

子供がうるさくしてるとちょっとイラッとするけど。

 

宙ぶらりん。

 

何もかも壊してやり直したい。

 

離婚して新しく結婚して、子供を作りたい。

 

こんどは若い旦那にしよう。

ただ仲良しだけでいい。

ただ一緒にご飯をおいしく食べられる中がいい。

 

私たちはだめだ。

家の中で、2人でたべることは数えるくらいしかしたことない。

 

私が食べる時間と、違うから。

 

浮気をしたいわけじゃない。

不倫をしたいわけじゃない。

ただちょっと甘えたいだけ。

ただちょっと人肌を感じたいだけ。

 

それが旦那とは無理なのだ。

包まれるような感じがしない。

 

彼は一人が好きだし、一人っ子だし、手をつなぐこともない。

 

私はセックスよりも、本当に好きな人と手を繋いだ時の、ドキドキのほうが好きだ。

 

大人だからセックスが恥ずかしいとか、自分は感じないで相手だけさせようとか思わない。

 

でもいつもは、手を繋いで寄り添う相手がほしい。

 

昔から、誰かに恋い焦がれ、ドキドキしてるのが好きだった。

中学生みたいに、いつまでも、ドキドキする。

 

大人になっても経験が多くなっても、ドキドキは別物だ。

 

それは片思いだからなのかな?

やっぱりどんなに好きだと思っても、2年くらいしたら付き合っちゃったら変わってしまうのかな。

 

セックスしないからいいのかもしれない。

手を繫ぐぐらいがちょうどいいのかもしれない。

 

キスは好きな人とじゃないとできない。

男臭い人や、おじさんはだめ。

 

キスが上手な、人はいた。

セックスが普通でも。

 

手しか繋いだことがない人、でも匂いが好きだった人がいた。

その人とだったら、付き合ってなくても、いいと思ったけれど、そういう対象ではなかったみたいだし、チャラくないから、だめだった。

 

そう、いい男は、ちゃーーんと、欲があっても手を出さない最終的には。

 

だから、いいのだ。

 

私は何がしたいのだろう?

 

私は今、わからなくなっていて、とても不安定で、マイナスな情報が少しでもあれば、すべて放り投げて壊して、逃げたい。

 

でも逃げる道が見えない。

 

どうしたらいいか、もうすこし冷静になって紙にでも書いて、ちゃんとしなくちゃと思う。

けれど、今日は、おやすみなさい。

男の2冊のノート

一冊目、同棲していた時、彼がカバンにしまいこんでいた赤い大きなノート。

そこには、自分が浮気している詳細やら、私への不満が書いてあった。

 

二冊目、今の旦那、部屋においてある原稿用紙。

自分の若い頃からの記憶、書き出しは前の奥さんが家を出ていくところから始まる。また昔付き合った女性との関係が書いてあったが、二人は知っている女性で、私はまだその話に登場しない。

 

男というのはなぜ心にとめておけないのだろう。

なぜわざわざ文にしてまで紙に残すのか?私は不思議で仕方ない。

私のように見えない裏のブログでもなんでも見えないところで書けばいいのにと思うんだけど。なので書いてみる。お互い様だ。

 

この世で一番美しいのは片思いだと思う。

思い出は美化されていつまでも美しい。

現実は残酷だ。

老いていく夫婦。

そのお互いの心には美化された想い出が輝き、密かにスマホの中には違う異性がいる。

 

映画であった、付き合う時は両目を見開いて相手をみて、結婚したら、片目はつぶって。

あれだ。

 

ちなみに私は付き合う時は両目をつぶって、結婚したら薄く両目をぼやかしてみている。

 

たぶん旦那の心の中が聴けてしまったら、ショック死はしないだろうけれど、夫婦としてやっていけるかは疑問に思う。

 

逆もまたしかり。

私は旦那を一度も好きとか思ったことがない。

ただ一緒にいるのは楽しい時もあるけれど。

純粋にドキドキとかはない。

 

今まで本当にドキドキしたのは3回だけ。

初恋の人。

始めて付き合った人。

見た目と雰囲気に一目惚れした人。

 

初恋の人は歳とってからも追いかけていったけど、振られ、また歳とったときには、相手に子供もいたし、反対に声をかえられても、恥ずかしくて応答できなかったけれど、人間的に尊敬できるんじゃないかいい男になってたと思う。

 

始めて付き合った人とは、その後も純粋に友達になれ、今でも会おうと思えばあえるけど、全く、ドキドキとかなく、本当に友達になれた。

 

一目惚れした人にもアタックしたけど断られ、それでも一度デートをしてくれて手をつなげた気がした。

性的にドキドキする相手だったけど、密かにモテる人だったんだろう、私じゃ相手にならなかった。

でもまた、会えたら会ってみたいけれど、、この人は7年くらい想い続けたと思う。

もし友達がいれば、遠目でも話したりしたいくらいだけど、その友達がいないから、この願いは叶わないだろう。

 

でも実際付き合ったことがない二人が、本当のところどんな人かなんてわからないし、片思いって、叶わない恋だからこそ、いつまでも持ち続けられるドキドキホルモンだから貴重ではある。

 

旦那もきっと昔を振り返り、昔の女たちとのドキドキがほしいのだろう。

 

だって、私はいつも薄めでぼんやりとしか旦那を見てあげないし、触れても甘えても来ないし、さっぱりどっかにいってしまうし。

 

まー浮気し放題にできてしまうスキを与えてしまってはいるのだけど。

 

子供を流産して、もし、そういう方向に旦那が向くのなら、それも仕方ないのかもしれないと思う。

 

妻はふせぎみで、大して笑いもせず、料理もおざなり、会話もたいしたことなく、旦那は暇を持て余し、また出会い系でもして、あう可能性は大いにあるれけれど私はそれを未然に防ぐことを一切しない。

放りっぱなし、もしそうなったら、こんどこそ一人旅立とうと思っている。

 

今は流産の後遺症か、はっきり言ってどうでもよく、環境をがらっと変えたいくらいだし、もし若い旦那だったら私も妊娠できるかもと思ったり。

 

一目惚れならなおさらデキ婚もしくは、捨てられても片思いのままその人の大好きな、子供を育ててもいいくらいだ。

 

流産前、二回目の妊娠中は前回よりずっと母親になる楽しみを感じながら、育児書も見たりしてたから、計画してたから、それがとつぜん亡くなったのは、ほんとにショックすぎて、その痛手がまだガンガン響くときがある。

 

母性が絡まりしてるかもしれない。 本当は赤ちゃんを抱く予定だった手に、

今はガンガン運動するためのバーベルを持ち上げているのだから。  

 

6kgの子供ってこんなに重いんだとつい関連づけてしまいそうになるが、いや大殿筋に集中しようと切り替える。

 

この差はなんだ!

 

1ヶ月前想像してた未来と違いすぎて、夜デパスを飲まないとやっていけないのだ。

 

ただ幸運なことに、朝は気持ちよく起き、運動をガリガリやれてる状態だし、仕事にも毎日いってるから、ウツほどではないのだろう。

 

ただガツンと流産となんとも言えぬ、心の痛みは、そう簡単に癒えてはくれないのだ。

 

でも私は思う。

癒えてない時こそ!できることがある。

泣きわめいたり!唐突にへんな行動してみたり。ぐうたらな自分を正当化したり。

料理を作らなかったり。

もっともっと、この苦しみと悲しみをぶつけるパワーで、もっともっと、いままてやったことがないことができる。

 

本当に1ヶ月先だって予想以外のことが起きるんだから1年先を心配したって、どーーにも、ならないんだ!ということを肝に銘じなくちゃいけないと思っている。

 

今しか私にはないんだ。

それは子供のように。

誰にも構わず、泣きたい時に泣く。

叫びたい時に叫ぶ。

やりたいことがあれば、何よりも、先にやってしまう。  

 

後はどうとでもなれ。

 

どう行動しても、保証も安全も理想が叶うこともそうない。

 

だったら、今感じたことを、ただ自分が受け留めるだけなのだ。

 

 

私の記憶に2冊の男のノートと、そして片思いのキラキラがある。

 

人生の甘いのと、塩辛いのと、両方あったほうが、おいしいだろう。

 

 

 

最近考える。願いは叶わないんじゃないか?それは子供は作れないんじゃないかということ。

子供をもつ人生と持たない人生は生き方が大きく違う。

その選択があと2年くらいで決まるのだ。

それも努力とかいう問題じゃないこと。

自分ではどうにもコントロールできない世界の話。

 

だから私は怖い。

自分の人生がどうなるのか???

これほど怖いことはない。

 

結婚する前は怖いものなしだった。

お金なんてまったく関係ない、将来の不安なんて感じなかったし、子供を、ほしいとも思わなかった。

それよりも目の前の仕事や恋愛や自分の理想でいっぱいだった。

 

結婚して彼がどうしても子供を、欲しがった。

私はそこまで積極的ではないし、今でも積極的ではない。

なぜなら、副作用もいやだし、お金がかかるのも嫌だし、不妊治療自体が不自然な感じがして嫌いなのだ、はっきりいって。

 

あのなんとも言えぬクリニックの機械的な雰囲気。とにかく不自然さ、医者の機械的な診察、人間味を感じないのだ。

そしてあの混雑ぶりとお金がバカ高い。

 

そこまでして自分の遺伝子を残したいと思わないから、他の子供を、育てるのだっていいじゃないかと思ってしまう。

 

絶対子供が早くほしいと思えない自分と、流産して悲しくて赤ちゃんを抱きたい欲求と、その狭間で揺れている。

そしていつも、すぐにまた子供がほしいとは思えない。

 

亡くなったのにはそれなりの理由があるのだと思っている。

なにかわだかまりがあるとか。

 

1回目の流産の時も、もうぐちゃぐちゃだった。

何もかもうまく行っていなかった。

その後も大変だった。

旦那の浮気とか、、。

 

披露困憊なのに、毎日仕事にだけは行き続けた。

 

しかしその仕事でさえ、二度目の流産でやる気がうせ、もう辞めたい衝動にかられている。

今の会社で妊娠できれば、産休も育休もとれそうだし、万々歳と思っていたら、流産。

その途端に、もうやる気がなくなった。

 

そして疲れた。

休憩したい。

私は休憩できてない。

デパスの力を借りないと、夜精神が維持できない。崩壊するのだ。

 

会社を首になりたい。

そうしたら、産休とれなくても、すぐにお金がもらえるようになるし、次の仕事の準備もできる。

 

首になるほど、自分のやりたいように仕事をしようと思っている。

 

やめる覚悟で、いろいろなことに挑戦してみる。

ダメ元で大胆なことをする!!

迷惑かけようといい。

 

首になるくらい、挑戦して、さっさと辞めたい。

 

いまのモチベーションはそれだけ。

もう子供のことはいい。

 

昔から占いしてもらうと、たいてい、あなたは子供がいてもいなくても幸せに暮らせるといっていた。

 

たしかに子供がいないからこそできるチャレンジはたくさんある。

子供がいれば3分の1しかできなくなる。

 

とにかく明日から首になる覚悟で 自由に仕事をすることを目標に頑張りたい。

 

そして一つの挑戦がうまくいかなかったら、仕事を辞めて長期旅に出たい。

 

そういう自由が私にはある。

 

髪の毛だって変えたい。

洋服だって変えたい。 

 

習い事もしてみたい。  

 

友達バリエーション増やして作りたい。

 

子供がいない一生の生活もありなのかもと、考えるのもいいかなと、肩の荷が降りるし、それだからこそ、出来ることをたくさんしたい。

 

夫婦だからこそ、自分を見極め、事前に伝えておくことの大切さ。

夫婦だから、相手はわかってくれると思うものだけど、そうじゃない。

 

とくに妻よ、自分の痛みや、悲しみ、苦しみは、早めに「わかりやすい形」で伝えておいたほうがいい。

 

なぜか夫というものは、自己中でしかものが考えられず、妻の痛みや、悲しみが共感能力が低いため、察したり、できず、やってもほしくないことを自分がやりたいために、押し付けてくることが多々ある。

 

私は流産を宣告されたクリニック帰り、悲しみで涙し、それでもがんばろうと自分をふるいたたせていたのだけど、それを夫は何を勘違いしたのか、

クリニック帰りのスーパー買い出しで2つのことをいった。

「今日エッチしよっか?」

「夜白髪染めやってくれない?」

 

この2つの言葉にはドン引きした。

まだ子宮の中には、心臓は止まってしまったものの胎児がいるし、セックスする気なんて起こりようがない上に、悲しみでいっぱいなのだ、こっちは。

それがわからない、共感できない、性欲だけは強い夫はもう、流産だったら、エッチを楽しめるとでも思っての発言だろう。

 

そして白髪染め、たしかに休みの日にやってあげるとはいったものの、流産宣告後の何時間前泣いてた人に言う、言葉だろうか。

本当にひくわ。

 

夫は夫なりに子供を、楽しみにしていただろうし、ショックだろうけれど、

痛みや悲しみのレベルが違う。

 

とにかく、私の夫に関して言えば、自己中を通りすぎて能力なさすぎで、呆れたを通り越している。

 

なんでそんな人と結婚したのかといえば、私はどうせ一人でもなんやかんやで復活し、共感されなくても生きていける人間だからだ。

また何よりも自由を愛していて、それにたいして細かくいわない夫だから続いているといえよう。

また夫は金運は今のところよいらしく、貧乏ではないし、自由な生活をさせてもらっている。

 

そういう、あらゆるバランスがあるうえで結婚は成立しているのだ。

 

好きとかそんな、ことじゃない。生活って。

 

子供がいればなおさらだろう。

 

二人に一人が浮気の経験があるという。

結婚というのは、神秘的なものでも、憧れでもなく、制度だ。

社会が作った、便利な制度。

 

それを結婚したから、幸せになれるとか、大間違いだ。

と、言うことを、結婚してからよくわかる。

 

35を過ぎた女性は結婚をまるで幸せのゴールテープが引かれた場所のように感じるかもしれないが、結婚式後は、日常生活しか、まっていない。

 

お姫様や、プリンセスに、なれるわけじゃない。

 

そんなことをわかっていても、つい、妄想してしまうのが女性。

それを見事に壊してくれるのが男性。

 

流産後、または、結婚年数が増えるたびに思うのが、妻ははっきり事前に夫に、わかりやすい形で、伝える能力を付けるということ。

 

事前につたえていても、忘れている可能性はあるものの、最低限するべきだ。

 

私は少しずつ、体調が悪いときは、自分でご飯買ってくるなりして食べてねと、LINEでいう。

そうすれば自分はご飯を、みつくろうと旦那はいうからそうする。

 

そこをいや我慢してご飯を作っておこうなんて考えると、夫は妻は元気なんだと勘違いする!!

 

無理をしない!!

痛い時、辛い時は、伝えて、自己中になるのが正解。

 

夫が、最終的にもとめているのは、自己中的な自分の理想(お金持ちになるとか、自分の子孫が出来るとか、人から褒められたいとか)だから、

そういうものに、自分を合わせて辛い時に何かをしてあげる必要はない。

 

子供がいるわけじゃない夫婦に、自分のことは自分でできるを前提に生きたほうがお互い幸せになれる。

 

最後に、妻の務めは、何かをすることではなく、「笑顔」でいることだ。

 

そのために無理をしないし、好きなことをする。

特に自己中な夫を選んだ理由は、自分も自己中でいいと、割り切りやすいからだ。

 

ある意味真面目な私にとって自己中な夫とはなるべく肩の力を抜いて生きられる存在なのだろうと思う。

 

 

幸せな、赤ちゃんの夢を、見た!

久しぶりだ!こんなに平和で幸せな夢を、見るのは。

 

赤ちゃんが無事に、うまれた後の話。

私が仕事から帰ると、赤ちゃんはベットで寝ていた。

 

私は初めて会うみたいに、赤ちゃんを抱き寄せた。

上手だった。

 

なぜか離れて暮らしてる弟や家族や親戚が家にいる。

 

そして、みんなが赤ちゃんの世話を嬉しそうにしているのだ。

 

そのうち、大物お笑いの芸能人も家にいて、赤ちゃんの面倒をお笑いまじりにみているのだ!

 

夢の中で、赤ちゃんは泣くこともなく、すくすく、寝ていて、たまに起きても笑ってるかご機嫌がいい。

 

赤ちゃんの匂いを、かいで、ほんのりいい匂いがした。

 

私はとても幸せだった。

そしてみんなも幸せそうに赤ちゃんを取り囲んでいた。

 

こーんな幸せな夢は久しぶりにみた。

 

健康そうで男の子な赤ちゃん。

顔もとてもかわいい。

 

流産して1週間以上たってみた夢だ。

 

ステキだった。

 

本当に、幸せだけがそこにあった。

今日は泣いてしまった。

やっぱり疲れているのかな?

流産して、わかってはいるけれど、もう、出血もそんなになくて。

仕事から帰ってきて、お風呂場で泣いてしまった。

わんわん。

 

わかってるんだってば。

仕方ないこと。

この世には私よりずっとずっと大変な思いや苦しみを持ってる人がたくさんいて、私の悲しみなんてたいしたことないってこと、わかってるんだけど。

 

かってに泣けてくるんだもん。

かってにやる気がなくなるんだ。

かってに、生きる気力がなくなるんだ。

何もかも放り投げたり、捨ててしまいたくなる衝動に駆られる。

 

そんな変な顔して、私は夜を過ごす。

そしてまた朝は充電されて、運動して会社にいく。

そして疲れてまたクヨクヨする。

 

そうやって、繰り返していく中で、少しずつ、少しずつ、嫌みや苦しみや悲しみが、時間に、溶けていくのはわかってるんだけど。

 

やっぱり疲れてるんだな。

 

早く寝よう。

進むしかない。

疲れた。

流産後の6連勤は応える、そした明日と明後日行かなくちゃいけない。

 

仕事は集中してる。

朝は起きるのは気持ちいい。

 

家にいるほうが、怖い。

 

何も進まず、何も達成せず、きっと、無駄なことしか考えないんだから。

 

世の旦那にいいたい。

もし、妻が流産した、してほしいことはただ一つ。

構わず、自由にしてあげてほしい。

悲しみも、あからさまな明るさも、無表情さも、ただ、受け止めて、そして、なるべく自由にしてあげてほしい。

 

そして、食欲はないのだから、夜ご飯などたいていの妻がやっていた作業から開放してほしい。

 

夜、ゆっくり寝かせてあげてほしい。

セックスのことや、ボディタッチでさえ、嫌な時がある。

 

流産して、行き場のなくなった母性は、男性の性的な視線を嫌がるだろう。

 

犬が飼いたくなるかもしれない。

何かとつぜん始めようとするかもしれない。

食事を食べなくても死にやしない。

 

ほっておく、ということ、そして、開放してあげるということは、大切な時間だ。

 

たしかに気晴らしに妻を誘うのはいいかもしれないけれど、旦那が思う以上に、また妻本人自身が思う以上に、心身の疲労があるかもしれない。

 

甘くみてはいけない。

産後のひだちというけれど、流産だって立派なぷち産後状態かもしれない。

 

とつぜんホルモンバランスが悪くなってるかもしれないし、子宮の収縮や回復にも時間がかかってるのかもしれない。

 

妻が笑顔で元気そうに見えたとしても、やはり、子供を失った女性の、空っぽさ、空虚さはそう簡単には埋まらないものだ。

 

埋まったようにみせていたとしても、それは妻なりの、精一杯の、努力の上になりたってるかもしれないことを、感じるべきだ。

 

何もしないでほっておくことも大切なことで、ついその時に思いつきで外食に誘ったり、どこかいって気晴らしも良いけれど、無理して旦那に付き合ってる可能性もあることを知るべきだ。

 

妻が自分が無理していることを、わかっていたとしても、がんばってしまうことだってある。

 

でも今は、辛いとき、痛い時、悲しい時、もう何もかも嫌になってしまいそうなとき、すべでの嫌な感情を、ただ、そんな時もあると、深く考える必要は妻にはない。

 

 

自然流産後、筋トレに燃える!

私には今筋トレしかない!

30日スクワットに挑戦しはじめてから明日で130回スクワットを朝やることなる。

効果は感じる。

夜も中殿筋を鍛えるために、横になってアシアゲをしている。

 

いままでほとんど運動しなかったし、スポーツ似通ってもすぐにやめてしまっていた。

 

ましてや、スクワットを毎日100回以上やるなんてこの歳にして人生初めてだ!

 

この歳、42歳でまだまだ初めて体験することが身近にあるんだなと驚く。

 

とにかく私は流産してから、筋トレに燃えているのだ。

 

仕事は辞めたくなってるけど、続けている。

1日も休まず、いっている。

 

下半身でぶから卒業し、鍛えられた下半身になりたい。

 

子供と出会えなかったんだから、それくらいくれたってバチはあたらない!!

 

妊婦になり続けることができず、一人だ。(旦那はいるが)

 

今バリバリ動いていい。

踏ん張っていい。

 

私は今なんでも出来る!

 

本当は悔しい。

本当は子供と出会いたかったし、母親になりたかった。

 

その覚悟を育てていたところに、その目標を失った。

生きてても意味ないし、今挑戦しようとしてることだって、意味がないと思ったけれど、

 

だけど、やっぱり、私は何かに挑戦していたい。

目標を見失ったら、目標を探せばいいし、作ればいい。

 

子供のころ、自分で何かができるなんて思わなかった。

本当は、何でもできたのに。

 

今大人になって、ちゃんと自分で自分の人生を作れることを知った。

 

だから、目標が見えなくなったとしても、自分で作るんだ!

 

今は筋トレ、それでいいじゃないか。

今それに集中しよう。

 

それで、いい。

自然流産2回目は少し落ち着いている。

一度目の自然流産の時はわけがわからなかった。

出血し始めて、止まってーと願ってもどんどん出血は多くなり、夜は重い腹痛に何時間も耐えた。

 

朝少し腹痛が楽になってクリニックに行こうとした瞬間、ボトっとナプキンに、何かが落ちて、慌ててトイレに行ったら大きな血の塊があって、流産したんだとわかった。

 

泣きながら診察を待ったのを覚えている。

診察では子宮は空っぽできれいに出ていると言われた。

 

それからというもの、流産したことに少し苦しんだ。

それはこのブログの始め、2年前くらいのできごとに書いてある。

 

今回は2回目だ。

心拍が確認できたし、夫婦仲もずいぶん回復していたし、リラックスできていたから、頭の中は子供のことでいっぱいだった。

 

まさか二回目も流産すると思っていなかったから、クリニックにいって心拍がないと言われた時、ショックは前ほどではないにしても、やっぱり泣いてしまった。

 

旦那が流産の手術はやめてほしいといわれたので、自然に待つことにしていた。

 

先生からは腹痛もあるし、大量出血するかもしれないから手術をすすめられたものの、断った。

 

だって面倒くさいと思った。

もう子供は死んでしまっているのに、診察台に上がって麻酔かけて半日時間をかけて手術して取り出すなんて、面倒くさいと思った。

 

もちろんちゃんと出てくるのか不安はあったけれど、前回も自然だったし、まだ何ミリしか育ってないから自然に任せることにした。

 

昨日からの出血は生理のように今日も続いていた。

 

仕事から帰ってきて、お風呂入ってご飯を食べていたらなんだか腹痛が強くなってきた。

 

ロキソニンが切れてきたのかな?と思いつつもご飯を食べていたら、ぬるっとなにかナプキンに出てきた感じがして、慌ててトイレに入った。

 

座ってちょつとしたらぼとぼとボトっと血の塊がたくさん出てきた。

 

あー自然流産できたと思った。

こんなに大量の血の塊がいっぺんに出るなんてと少し驚きつつも、安心した。

 

トイレをたとうとしたら、またなにか出てきそうだったから座ったら、ぬるっとまた大きな塊が出ていった。

 

トイレの水の中だから、どれが胎嚢だったのか見えずじまいだった。

さよならをいって水を流した。

 

あっという間の出来事で、腹痛もなくなり、出血もだいぶへって明日には止まるんじゃないかと思う。

 

なぜか、前の流産の後より気分は楽だ。

 

前は初めてだったし、流産したあとにクリニックにいったからショックも大きかった。

 

今回はクリニックにいって心拍が止まってると知ってから自然流産を待っていたので少し時間に余裕がもてた。

 

その間に心も少しずつ落ち着いていったのかもしれない。

 

明日からまた普段通り、今日よりは元気よく過ごせると思う。

 

それにそこまで落ち込むこともない。

7月はじめまでのモチベーションが保てる行動も今あるし、仕事も友達とあう予定もあるし、歯の治療もあと少しで完了する!!

 

今はスクワットと筋トレを毎日やりはじめて1週間以上、今は踏ん張り時で起動にのるまで頑張りたい。

 

7月からどうなるかわからないけれど。

 

それもそろそろかんがえなくちゃだけど。

今は集中して、7月入るまでの1ヶ月ちょっと自分の身体を鍛えたい。

 

まだこの歳でも、自分が何の方向性を持って歩いていけばいいのかわかってない。

 

いつも行き当たりばったりだけど、そういう私の人生を愛してあげたい。

 

出血始まり〜流産〜

手術はしないで自然に流れることを選びまっていたら、とうとう、生理のように出血してきた。

 

生理痛はいつもないくらい、もしくは遅れるとお腹が痛くなるのが常だったけれど、やはり流産の時の痛いのは前と一緒だ。

 

だけれど今回は最強ロキソニン!を手元に持ってるおかげで、仕事中もロキソニン、寝る時もロキソニンで痛みはかすかにするだけになっている。

 

はたして前のように塊がコロンと出てきてくれるか、心配だけど、自然に任せたい。

 

昨日は写真撮影にいった。

本当はぜんぜん気力もなく、本当に何もしたくない、やる気が出ないというのはこのこと。

何をしても、それに何の意味があるのか?虚しさと空虚さは引きずりつつ、でも前決めていたこと、もし、流産してしまったら、歩くべき道を用意していたので、そちらへ少し歩き始めた。

 

この道でさえ、7月になれば閉じてしまう道かもしれないので、また私はあるきながら、またもう一つの道を考えなくてはいけない。

 

もし、この道の先が封鎖されていたからこそ、行ける道を用意しておくのだ。

 

そうやって、気力がなくても、空虚に思えても、あるき続ければ、いろいろな、景色は見えるかもしれないし、すれ違う人がいるかもしれない。

 

時間は有限だ。

 

生きてる時にしかできないことをしよう。

 

今しか出来ないことをしよう。

 

行動したいと思ったときに、しなかったら、その道は時間とともに封鎖されてしまうかもしれない。

 

あの時やっておけば、って思わない人生にしたい。

 

誰もあなたの行動を笑ったり、蔑んだり、馬鹿にすることなんてできないのだ。

 

周りの人と比較する必要もない。

 

自分の人生を受け入れて、その中で、自分がいいと思ったこと、やりたいと思ったことを、ただ、今、夢中になってやればいい。

 

遠い先のことをいつまでたっても考えて立って仕方ない。

 

今夢中になったり、興味があるものが、すこしでもあれば、それにチャレンジしてみる。

 

ただそれだけでいい。

 

いつか出会える子供に、教えてあげたい。

ちゃんと今に夢中になってチャレンジすることの大切さを。

流産してから6日目!

仕事はやる気ゼロで、早く終わんないかなーと思いながら終えた‥

帰り道も鬱々として、すべてやる気なかった。

ご飯も外食で作らず、デパスのおかげでそこまでおちこまなかったけれど。

 

食事を終えて、とつぜん昔のダンスが好きだった頃を思い出した!

 

20代のとき。

踊っても踊っても疲れず永遠と踊り続けていたあのころ。

ハウス音楽とダンスさえあれば幸せだった。

 

ユーチューブに知り合いの動画を発見してみたら、一気に、気分が晴れた!!!

 

なんというか、若い頃に気分がタイムトリップしたのだ。

 

結婚も妊娠も家族も考えなかったあのころ。

ただ好きな音楽やダンスだけが全てだったあのころ。

 

お金も権力も人と比べたり、将来の年齢のことなんて考えなかった時代があった。

 

時間は限りなくあった。

 

今は、妊活で年齢に怯える。

いつまでも子供ができないんじゃないか?

あれはしちゃだめ、もっと妊活にいい身体をって。

40代になり健康的な生活を送ってはいるけれど、一人でフラフラ遊びに行くこともない。

安定した生活だけど、夢中になれるものがない。

子供ができれば子供に夢中にならざるえないと思っていたのに流産する。

 

何も私にはないと思ってしまう。

仕事もやる気がない。

何もない。

何も考えられない。

 

そう思っていた。

 

だけど、昔のあの頃、ただ音楽とダンスに身体をまかせて踊っていたあの時、幸せだった。

 

ああ私にも子供も仕事もたいしてなくても幸せな時があった。

 

そう考えるだけで、重たい流産という悲しみからタイムトリップして、別の場所にいけた。

 

昔から私は音楽に助けられていた。

寂しいとき、モチベーションが上がらない時、音楽が私を浮上させてくれた。

 

気づけてよかった。

ダンスをまたやりたい。

流産を知ってから5日目。

今週は流産だったり仕事で忙しかったり、会食したりと目まぐるしい感情の変化で、やっと日曜日が終わったと思った。

 

本当に心底疲れたのだと思う。

 

まだ鬱々としてしまったり、考え込んだり、流産した人のブログをみたり、不育症なんじゃないかと調べたり、お風呂につかってると気が緩むのか、泣けてくる。

 

今日は久しぶりに旦那と夜ご飯を食べに行った。

それまでご飯は作れないといってすぐ寝てたから久しぶりに話す気がする。

 

素直な気持ちを伝えたり、これからどうするかとかいろいろ話した。

 

今年は自然にまかせてもう一度妊娠することを願う事にした。

今年が無理だったは来年は体外を受けようとなった。

また不育症の検査も三回目の流産だったら受けようと話した。

 

結果二人共子供がほしいには変わらなかった。

 

今日わずかに出血した。

満月だし、そろそろ自然流産がはじまるのかもしれない。

できたら自然に出してあげたい。

 

私の夜のお供は、安定剤のデパス

ゆっくり寝ることができる。

辛いことから逃げるにはうってつけの薬。

 

もしどうしても辛い人は精神内科でも処方してもらえるかもしれない。

 

私はいつも処方してもらってるのでここぞとばかりに薬を使う。

 

辛いときに泣き続けるのも、いいけれど、もし泣くのに飽きたら、薬をつかってもいいと思う。

 

何かどうしようもなく、辛いことがあった時、それは本当に「仕方のない事」でどうする事もできない。


ホルモンバランスも乱れているだろうし、亡くなった胎児は子宮の中だし、こんな自分では、コントロールできない身体と、心は、本当に仕方ないことなのだ。


ぐっすり、眠ることも必要だから。

薬に、頼ることは悪いことじゃない。


辛すぎる時、それが自分の、努力じゃどうしようもない時。

私はデパスを飲み、少しぼーっと自分の感覚に鈍くなった状態で、冷静に夫に話した。


私はまだ辛いこと、泣けてくること。薬を飲んで今話していること。


そういう素直な、言葉で、旦那に伝えると、もちろん旦那は、泣きたい時は泣けばいいとか、自分はやっぱりこれからも子供が欲しいとか、今年はもう一度がんばろうとか、素直な気持ちを聴けて、それは、とても、気持ち的に、楽になる会話なのだ。


感情的に、どうして私の悲しみをわかってくれないの?とか。

何かしら、イライラをぶつけたくなるだろうけれど。


私は面倒くさいもの、ご飯を作るとか、家事サボります宣言をし、気が向いたら作るかもしれない、外食も誘われても今日は疲れているから外に出たくないとか、


辛いときこそ、自分で、自分の身体や心と会話し、静かに一人で悲しむ時間が必要だったりすることもある。


流産後の夫婦関係って、大切だと思う。


自暴自棄になることもできる、子供が亡くなったとしたった時、私も死んじゃいたいと思うし、もう離婚して一人になりたいと思うし、仕事もやめてしまいたいとか、いろいろ、いろんなことを全部、無くしてしまいたいと思ったのも事実なのだ。


それくらい流産の時の心のダメージというかホルモンバランスの乱れというか、母性というか、

わからないものが左右していて、それは旦那にはわからないこと、女性だって流産してないとかわらないことなのだ。



でももしいつか子供が産まれた時、初めて、流産の時の悲しみを本当の意味で労ってあげられる気がする。


痛みってすごい。

心の痛みって、あんなに辛かったのに、忘れる。だけど

心の奥深くに、その傷は決して消えず、残っている。


その傷は、人への優しさの光が射し込む傷だ。


その傷の隙間から、人への弱さ、悲しさへの共感や、優しさが生まれてくるのだと思う。


誰だって何も悲しいできごとなんて味わいたくない。

だけれどもし、この世に悲しみも苦しみもない世の中だったら、さぞ薄っぺらい感情の薄い世界になっていただろう。


私たちはそういう感情豊かな世界に生きているんだ。