45歳自分が大人になったと思う時は?
30代と40代の時の自分は違う。
もちろん40歳と45歳も違う。
今は45歳になった。
よく人は年をとるごとに丸くなるという。
要は、『反応しなくなる。』ということだ。
若い時は、なにか言われると、カッ!っとなっていた人が、おだやかになったり。
ちょっとでも敵と見える人間がいれば、対抗意識をもやしたり、
他人からのちょっとした言葉に反応して、見た目をきにしたり、
周りの、理想像がどうでもよくなったり。
全てにおいて、年をとると、小さなことに反応しなくなってくるということが、要は人間が丸くなったということだ。
もちろん気質があって、すべてがまったく反応しなくなるわけではなく、
しにくくなるというのが、正解だが。
ただ、年をとると、小さなことが気にならなくなるのだ。
だんだん死に近づいていると思うと、もちろん未来への可能性も見えてくる。
そうすると、小さなことをいくら変えても、どうにもならないことを知ってしまう。
体の反応も、耳も目も頭も、衰えてくると、気力も若い時より低いエネルギーになる。
そうすると、若い時よりずっと、反応しなくなるのだ。
ある意味、大人になるというのはそういうことだ。
考えても無駄なことは考えない。
やっても無理なことはやらない。
変えようと思っても変えられないものは変えない。
大人になると、若かったときより、自分をコントロールできるというのは、ある意味、無駄に反応していたものを、反応しなくなって、無駄がなくなったというのもある。
ちょっとしたことで自己嫌悪に陥るとか、
ちよっとしたことで自暴自棄になることか、
そういうことが減ってくる=無駄な動きがなくなる=自分をコントロールできるみたいな。
特に、他人を変えようとしても無駄だと気づくことは大きい。
他人との関係に悩むというのは、ある意味、他人を変えられるんじゃないかと思っているから悩むのだ。
他人も自分も変えられないのが正しい。
すべての人が、自分の都合通りに生きたいと思っているのに変わりない。
自分の都合通りにものがすすんでいるかのように、思い込むことさえできる。
私がこうなったのは、あの人のせい、と決めつけてしまえば自分は悪くない。
なので、あの人と関係がたったのは仕方のないことだと。
でも若い時は、他人も自分も変えられると思っている。
私がもっと良くなれば、他人にこう接すれば、話し合いで相手を変えられる、関係が修復できると。
でも歳をとると、そんな悠長に、他人を変えようとする時間が無駄だと気づく。
みんな自分の都合のよいように解釈し、みんな自分が正しいと思って生きている。
それを時間をかけて、説得したって、否定したって他人を変えることは出来ない。
なぜなら人間はみな、自分の都合通りに生きたいからだ。
自分の行動や思考は正しいと思って生きているんだし、そうしたいからだ。
それを他人からとやかく言われたところで、わかりました!あなたの考えが正しくて、私の考えは正しくないなんて、いう人は、ほとんどいない。
また逆に、他人に言われて他人の言うとおりに生きていたら、洗脳されたロボットみたいな生き物になるだろう。
右に歩け、右に歩く。左を向け、左を向く。
自分の思い通りに他人を動かしたい人間というのは案外いる。
けれど、たいてい失敗する。
人間はロボットではないから。
平等に、各個人が、どちらを向いてもいい自由がある。
なぜなら?
他人は自分を生きられないから、他人は自分の責任を取れないからだ。
他人のことを当事者ではないのに、自分のいのままに動かしたり、否定しても仕方ない。
そういうことをわかって、反応しなくなるというのは、大人になったということだ。
45歳になると、自分という人間を、自分だけが生きられることを知る。
他人は関係ない。
自分という人間は、自分ひとりなのだ。
若い時は、それがとてつもなく寂しくなったり、不安になったり、疑問を持ったりする。
しかしすべての生きるものは、ひとりでこの世に誕生し、ひとりで死んでいくのだ。
誰かが自分の代わりに生まれたり、自分のかわりに死んだり、一緒に死んでくれたりはしないから。
あと持てるのは、頭の中の思考だけだ。
空は青くて気持ちいいな、気分転換に散歩でもしようかなと思うか?
天気がいいけれど、他人のことで悩み続けるか?