『人生問題解決ブログ♪』自力なしで成功する「環境作り」法。by「妊娠虫40歳。」

妊娠虫(バグ)を発生させてからの記録。※誤字脱字すいません、マイク入力でリライトしてません。ニュアンスでお読みください。

殺人のニュースや悲しい人の死を見て思うこと。

毎日誰が死んでいる。

それは身近なことでない限り、意識しないこと。

有名な人がなくなると、話したことがない人でもその死の状況を知ることになる。

 

それはなんともヘンな感覚だ。

 

気分が良いものではない。

 

それは、死がとつぜん、どんな人にも、とつぜんやってくることを、知ることになるからだ。

 

だれだって、前だけを向いて歩きたい。

 

この歩いている道の先は輝かしい人生があるんだと思い続けたい。

 

しかし、ニュースはそれを許してはくれない。

 

人の悪意、人の不幸、人の悲しみ、人の裏切りを伝えてくる。

 

それがもし、自分に降りかかったことならまだしも、話したこともない有名人だからという理由で、とつぜん、その人の個人情報が垂れ流される。

 

それはへんな感覚なのだ。

そして個人情報を聞いたとしても、その個人とかかわり合いなることは皆無だ。

 

目の前の自分の歩みが止まりそうになって、実を言うと好きじゃない。

 

テレビは見ないが、snsは見るので余計シャープに情報が入ってくる。

 

ただ、こういうニュースがあったとき、そこまで感想は変らない。

 

不幸な人は、幸福そうに見える人を羨み、今でいう、『無敵の人(失うものがない人)』は他人をとつぜん傷つける可能性が高いということだ。

 

そして、人間、死んだら終わりだ。

 

その人にとって、この世ではもう生きることは出来ない。

 

どんなに周りの人が願っても、どんなに周りの人が記憶に残そうとしても、本人は死んだら終わりなのだ。誰でも。

 

だからこそ、そういうニュースを見たとき、ショックを受けたら、その分、前をさらに強く見て、自分の生を生きようと思う。

 

自分もとつぜん、死ぬ可能性があるのだ。

今日、出勤途中で、人生、終わるかもしれない。

 

だからこそ、今を生きるべきだ。

今日を心置きなく、楽しんで!

今日生きててよかったと、思えるように。