『人生問題解決ブログ♪』自力なしで成功する「環境作り」法。by「妊娠虫40歳。」

妊娠虫(バグ)を発生させてからの記録。※誤字脱字すいません、マイク入力でリライトしてません。ニュアンスでお読みください。

私にとっての犬という存在のありがたさとは?

かわいいけど、犬なんて世話するの面倒くさい!と犬を飼ったことがない人は思うでしょう。

 

私もその一人でした。

親からは、ペットなんて毛が抜けるし臭いし世話が大変だからためよ!と言われて育ちました。

 

なので人生で犬を飼おうと思ったことが一度もありませんでした。

 

しかし、今となっては夫となった人は昔からなぜか対して?世話好きでもないのに、犬を飼う人でした。

 

その流れで、私と付き合った時も犬を飼うことになったのです。

 

心の中では、たしかに可愛いけれど、、、。

という気持ちでした。

 

そして今は、2匹目の犬を望んで飼っています。

 

単純に、犬飼った→かわいい→幸せなんて単純なものではありません。

 

犬を飼ったことない人からみれば、なんであんなに可愛がるんだろー、ペットもぬいぐるみみたいに思ってるんじゃないの?寂しがり屋で人間の話し相手が苦手か、付き合いが苦手で犬くらいしか相手にしてくれないんじゃないの?と思う人もいるかもしれません。

 

でもそこには深ーーーい気持が存在します。

 

ある程度の人が、結婚したら子供を作るのが当たり前のように感じます。

子供を育てるのは仕事をするよりずっと根気のいるものです。

お金もかかります。遺伝子が自分と嫌なところが似ていたりして、なおさら子育て中にイライラしたりもします。

大変です。

だけど遺伝子を残さないといけないと、遺伝情報にかかれているため、本能的にそれが正しいと思います。

 

しかし犬はそんなことありません。

環境的に子供のころから犬がいる生活をしていたとか、動物が昔から好きだったとかじゃなければ、犬を飼うという選択肢は思いつかないかもしれません。

 

犬は子供よりもちろん寿命が短いので、産まれた時から育てても、自分より早く看取ることになります。

それはそれはショックなことです。

 

犬の親ではないけれど、ある意味預かった命が目の前で消えていく姿というのはそうないことです。

 

人間の親ならば、子供は自分が死んだ後に亡くなることが多いですから、自分の身近なものの命が消えることをみることがありません。

もちろん自分の親を看取ったり、知り合いや親戚を看取ることがあったとしても、小さな頃からずっと毎日一緒に育ってきた命がいなくなるこを見るのは本当に辛いものです。

 

でも犬から学ぶことがたくさんあります。

 

犬の知能はもちろん人間よりひくく、将来のことを考えて生きているわけではありません。

今日、目の前にいるご主人様と一緒にいること、遊ぶこと、寝ること、食べること、お散歩にいくことを考えています。

今日を生きているのです。

何十年後かの人生について思い悩むこともありません。

 

その姿を見て、人間も未来の心配ばかりせず、過去を悔やんだりせず、今日できることを楽しもうと思うものです。

 

ちょっとしたことでイライラしたり、考え込んだりしてる時、犬はこっちをみてといってきます。

私がここにいますよ、と。

犬の顔をみたり、撫でたりすると、すっと落ち着きます。

なんでこんなことで、今の時間を台無しにするんだろうと。

今一分、10分、一時間を楽しまないのか?

 

犬と散歩に行くときも気分転換できます。

仕事のこと、お金のこと、家族のこと、いろんなことで時間をあくせく、あーでもない、こーでもないと部屋の中で、悶々としてるより、外に犬と一緒に散歩に出かけるほうがとても健全です。

 

空を見上げ、周りの風景に目を配り、犬のうれしそうな顔を見て、犬が一生懸命嗅いでる場所に目をやってみたり、他の犬と飼い主さんと挨拶したり、、。

 

小さくなっていた世界を、犬が外に連れ出してくれたりするわけです。

 

一匹めに初めて飼った犬が腕の中で息を引き取った時、命が空っぽになる体感をしました。

 

抱っこしてる犬の体から、魂が抜け出てしまった感覚は空虚で、もうどんなに願っても戻らないことを感じた瞬間でした。

どんなに願っても、体から離れた魂はもうこの体には戻らない。

 

私は霊感があるわけでもありませんので、死んた魂が帰ってくるとかわかりません。

もちろん自分が死んだとき、あの世で会えることはねがっていますが。

 

人生の中で、おばあちゃんや親戚の人が亡くなり、お葬式にいくことはあります。

でも命が自分の腕の中で消えていったことはありませんでした。

そのショックはお葬式で感じたものとは比べ物にならない。

 

人間とか犬とか、関係なかったのです。

 

そんな生と死両方を感じさせてくれるのが私にとって犬でした。