『くだらないこと』を熱中するべき理由は?
この世の一番の贅沢は何でしょうか?
それはただひたすら、自分の思いついたことを行動に移すことです。
今、あなたは会社に向かっていたとしましょう。
その時、ふっと思いつくのです!
『あースタバでコーヒー飲みたい。』
そしてあなたは会社に行かず、スタバでゆっくり、あまり混んでいない、席で、コーヒーを飲んでいるのです。
贅沢じゃないですか?
あなたは今どうしても、富士山に登りたくなりました。
あなたは電車にのり、富士山に向かいました。
富士山に登り始めて、1時間ほどして疲れました。
下山しました。
贅沢じゃないですか?
え?贅沢に思えない?
なんかへんな人?
そうですね。
思いつきで何かしてて、とくにそこには意味を持ちません。
他人からみたら、『?』です。
でも、当の本人は至って満足だし、贅沢な気分を味わってます。
他人はまったく関係ない人生の方を優先するべきです。
なぜですか?
協調とか集團とか人間関係とか大切じゃないの?と刷り込まれて生きてきました。
なぜでしょう?
そっちのほうが社会にとって国にとって便利だからです。
権力をもっている人達にとって、集團になって、一緒に、連なってくれるほうが楽なのです。
勝手に好き放題動かれては困るのです。
なので『社会性』『義務教育』には、まず、集団行動ありきなのです。
みんなが右を向けば、右をむくように育てたいのです。
『人に迷惑がかからないように』生きることが日本人の常識です。
そこからはみ出たら、『おかしな人』になるわけです。
でもあなたは社会や国の為に生きてるのでしょうか?
もっとシンプルに、あなたの心や体が求めるものを、純粋に、楽しんでみてはいかがですか?
他人に迷惑をかけるというのは、注意されてはじめて考えればいいことです。
それまで、他人に迷惑がかかっているかはあなたにはわかりません。
他人の身になって考えてみたところで、あなたは、その他人ではないので、正解はわかりません。
はっきりいうと、他人や社会を気にしすぎです。
国がかわれば常識も変わる。
『ある行動が死刑になる国もあれば、まったく罪を問われない国もある。』
『去年までは正しかったが、今年は間違えになる。』こともある。
他人を気にせず、他人から見れば意味のないこと、くだらないと思うことこそ、大切に時間を使うべきです。
それが、あなたの正解です。
社会や他人の人生を生きないようにしてください。