妊娠とコロナと子宮頸がん。
満44歳。
子宮頸がんの精密検査に2度目でひっかかりました。
中程度高程度の異形成、、ガン一歩手前状態。
「年齢が若ければまだ自然治癒の可能性はあるが、難しいと思う。」と医者からははっきりいわれる。
ガンとは言ってない、そのなりかけになりそうな状態というわけだ。
でもウイルスのタイプによって、なりやすいものとなりにくいものがあるらしい。
またそれを調べるために検査、、、10日後。
精密検査の1回目は今年1月で、その時の検査結果は軽度異形成のため今後観察だったのに、3ヶ月後再診すると見つかった。
で、今もしかしたら妊娠してるかもしれないという状態。
まだわからない。
ああ、外に出ればコロナウイルス、私の子宮にはがんになりそうなウイルスに感染していて、さらに妊娠してるかもしれないという微妙なタイミング。
でも子供も微妙な年になってきたのだからもし妊娠してたらそちらが優先になるわけだ。
人生も折り返し始めたところ。
たぶん子宮頸がんになる前に手術しなくちゃいけない。
そして手術してもずっと経過観察に通い続けるのだ。
そして手術のカットした細胞診もするだろう。
またがんかどうか判断の結果をまたなくちゃいけない。
それもいつになるかわからない。
がんと聞くと、死が思いつく。
これから妊娠、子供、育児、女性としての老化、いつガンになるかわからない我が身。
気分が遠くなる。
いや、人間はいずれ死ぬ。
それが急に近づいてきたように感じたのだ。
そしてそれがいつやってくるのかはわからない。
たいてい、忘れた頃にやってくるのだろう。
せっかく忘れてたのに、突然出血して驚かされ病院にいきガンです→手術→抗がん剤なんてそんな未来は欲しくない。
そんなことに時間を費やしたくないし、とても、それは疲れそうだ。
そうならないために検査を受けているのだけれど、この「検査」というやつが、とてもやっかいである。
定期的に観察。
結果まち。
結果にビビる。
対処をしなくちゃいけない。
少し前までは美容のことばかり考えていた。
整形とか、そういうこと。
それが今では死を感じる。
死はとても寂しい。
一人でいかなくちゃいけないものだから。
2020年もっといい年になると思ったのに、以外にくさくさした月日になったものだ。
そして4ヶ月もう少ししたら、終わってしまう。
努力して子供ができるとか、がんならないとか、自分の力ではどうにもならないものを目の前にすると
自分の無力さに途方にくれる。
なすがまま、なるようにしかならないのはわかっているけれど、できるかぎり思い通りに自分をコントロールして、欲しいものを手に入れて、前に進みたいのだ。
でもそれができない時、とても寂しくなる。
無力な自分。
動けない自分。
待つしかない自分。
いつ死ぬかなんて誰にもわからない。
だから明日死んでもなるべく悔いがないように生きるしかないのだ。
そう思えるんだったら、それが私のしたい事で、それを実行するのが私の幸せなのだ。
嫌なこと最悪なことはいくらでも想像できるがそれを行動に移す必要は少しもない。