幸せとは自分の心地よさを追求すること。
毎日の生活は死ぬまで続きます。
そして日々体は変化していきます。
年をとればそれだけだんだん動きにくい体になってくるし、脳が衰えればあらゆることが面倒くさくなってさらに動きたくなくなります。
そして最後は動かない骨となります。
幸せとは、骨になるまでの長い時間、自分の体や脳の心地よさを追求する日々のことです。
若い時はホルモン作用によりセックスが快感で幸せを感じたり、恋愛で幸せを感じたりするでしょう。
年をとると性慾ややる気の衰えれ、何か新しいことをする気力も減ってくるものです。
それでもその中でも自分の体が心地よいことや、脳が気持ち良い、幸せだと思うことを追求して、骨になるまでやり続けることです。
例えば、45歳を過ぎ、すでに若さというものからは脱している場所にいます。
30代後半まではまだ若い自分は若いと思いたい気持ちでモチベーションを維持するも、45歳ではどんなに若作りしたところで、30代と混ざって楽しむことはなかなか難しいものです。
それはすでに過ぎ去った時間の中で生きるようなものだからです。
さて、体に気持ちいいこととは何でしょうか?
すでに自分の見た目を鏡でみたところで、若々しさは失われ、見ているだけで楽しくなることはありません。
なので、目をつぶって感じる心地よさの追求がおすすめです。
例えば、新鮮な野菜を洗って、包丁で切る。
これだけで、手から伝わる、野菜の新鮮さが気持ち良いことがあるのです。
ネギ一本とっても、スーパーで売られている細いネギはそこまで生命力を感じませんが、農家の採れたてネギ一本はしっかりとした生命力をかんじることができます。
また野菜の生命力は何日か経つとよくわかります。
スーパーの野菜はすぐに萎びれてきますが、採れたて野菜は生命力があるので数日経っても、まだ生き生きとしています。
赤ちゃんを抱っこすると、魂の塊ですし、ペットと触れ合うのも気持ちが良いです。
もちろん緑の多い公園の中を歩く、ゆっくり湯船に浸かる、髪の毛のトリートメントをしっかりたっぷりさせてつるつるした手触りや、いい香りを部屋に漂わせる、固まった体をストレッチしてほぐす、昔習っていて大人になって触れていなかった楽器を演奏してみる。
体や心や脳が不快に思うものは、なるべく遠ざけて、自分の体や心や脳が喜ぶことを優先的に選ぶ。
ただ、よくわからないという人もいます。
何が自分にとって心地よいのか?
でもそれは日々の時間の中で発見し、見つけて、覚えておいて、なるべく多く、自分の生活の時間の中で実行してあげるしか、わからないことです。
他人にあなたの心地よさや気分の悪さはわかりません。
ちょっとした騒音が不快に思う人もいれば、まったく気にならない人もいる。
ジャンキーな食事が大好きだし、タバコも大好きで幸せを感じる人もいれば、野菜ばかり食べるのが好きな人もいる。
人それぞれ違うわけなので、自分の心地よさ、気分の悪さは、自分で認識して、自分で選択し、取り入れるか、避けるかするしかできないのです。
他人は、自分以外すべての人にとって、あなたをわかることはできません。
それは恋人でも夫婦でも家族でも。
忘れないでほしいのは、自分を幸せにするのは、自分の体の感じ方、心の捉え方、脳の無意識な判断なのです。
逐一それを他人がわかることもないし、他人があなたを気にかけて幸せにすることもありません。
それは愛とか好きとかとは関係ないことです。
自分の幸せは、自己責任です。
自分がいつか骨だけになって動かなくなるまで。