『人生問題解決ブログ♪』自力なしで成功する「環境作り」法。by「妊娠虫40歳。」

妊娠虫(バグ)を発生させてからの記録。※誤字脱字すいません、マイク入力でリライトしてません。ニュアンスでお読みください。

絶望の時に浮上する方法。

私は愛犬が突然なくなって、とてつもなく空虚な気持ちになることがあります。

しかしペットロスになるほどの愛犬家でもないのは確かです。

でも感情が、「無い」という空虚感に囚われてしまうことがしばしばあります。

悲しくないなんて、悲しみを忘れるなんて、死んだ犬に悪いと思ってしまうのです。

しかしそれは、勝手な自分への哀れみ、悔しさ、至らなさ、弱さ、依存などから、目をそらすためにそう思いこもうとしてるのかもしれません。

亡くなった犬が、私が暗く悲しんでいる姿を本当に喜ぶだろう??????

そんなこと思うはずがありません。

それは忘れられたら悲しいと思うかもしれないけれど、(愛犬はもしかした気にしないかもしれませんが、、。)思い出して死んだ犬の話を楽しく懐かしく思い出して喜んでいたら、それは死んだ犬も喜ぶかもしれません。

鳴いてる赤ちゃんをみるより、笑ってる赤ちゃんの顔のほうが見ててみんな楽しいはずです。


亡くなった犬は姿は見えなくても、私のことは見えていて、聴こえているとお坊さんに聞きました。

それだったら楽しい私でいたほうが、犬のためです。

悲しみは誰のためにもならない。
そうただ自分を哀れんでいるだけです。

なので、明るく、前向きに、そして亡くなった犬のことを笑顔で話せるようになるべきなのです。

それでも悲しみに囚われてしまうことはあります。

そんな時にできることを書いてみました。


・素直にいろんな人に悲しいことがあったことを話す。思い悩むより、ただ悲しいとか、そういう自分の状況を口に出すことで、変な幻想にとらわれることがなくなります。

・自分よりずっと悲しい人苦しい人がいることを知る。私は愛犬を亡くして泣いていますが、数キロ先には、自分の子供を亡くして泣いている人、愛する人を病気でなくした人、さらに遠くには争いで殺されてしまった人、他人の狂気に巻き込まれている人、その最中の人、一人ぼっちで孤独で自ら死のうとしている人。。。
自分だけじゃない、自分よりはるかに苦しんでいることを知ることで、これまた変な幻想にとらわれることがないです。

・気を紛らわす、好きなことをする。
たしかにずっと愛犬の思い出にふけったり、悲しんだり感謝したりすることは大切かもしれません。でも残念ながら、私は愛犬が亡くなっても生きていかなくてはいけない。
だから悲しみなどから頭を全く、違う方向にもっていって、考えない時間も必要です。
ずっと考えなくちゃいけないなんて、愛犬は思ってません。
幸せなあなたでいることを願ってるはずです。

・ちゃんと食べて、ちゃんと身体を動かし、ちゃんと寝る。
基本的なことができてないことは、すべてに良くないです。
基本的なことは、出来る限り努力してすること。
疲れた頭、寝不足な頭では、ろくなことを考えませんし、ちゃんとした、栄養がなければ頭も回りません。

・呼吸瞑想をする。
自分の呼吸に意識して、大きく吐いて吸ってをただそれだけに意識をもっていって瞑想をします。
何も考えない脳のリラックスが、自分にとって大切なアイデアを導いてくれます。


・いつか自分も「無となる」ことを思う。
今自分は生きて呼吸しているから、悲しいと思うのです。
いずれこの身は焼かれ骨となり、意識はなくなります。
私は必ず何十年後か、もしくは来年か、死ぬのです。
今、生きているから悲しいと感じる、そのうち死ぬからその時に悲しみは感じないと冷めた目で自分をみることも大切です。


今思いついたことですがどうでしょうか?
今日も素敵な日だと思えるよう、良いことだけなるべく考えて、寝ましょう。

また明日は死なない限り、やってきます。

愛犬が亡くなって気づいたこと2

朝枕元においてある、愛犬ラヴの写真におはようをいった。

ラヴが亡くなった瞬間を思い出し、どうにもならない空虚感、後悔はまだある。

ラヴが今まで一緒にいてくれてありがとう。と何回かいっていたら、

あ、そうだ、ラヴは昔いろんな犬が近づいてきて、くんくんされてたなー。
人気者だったなーと。

あそこは、ああそうだ、増上寺の近くの公園だ。

と思い出した。

ああ、増上寺には自分が流産した時供養してもらったり、したなーと。

そういえばあそこにはラヴともたまに散歩にいったなーと。


それで今日気づいた。


ああ、そっか。
お空にいる、亡くなった子供、供養してもらってすっかり安心しておもいださなくなったり悲しんだりなくなったけれど、もしかしたら愛犬ラヴはお空でそのこの子供と出会うかもしれないな、と。

そしてラヴは出会った子供に、そろそろ下にいっても大丈夫と伝えるのかもしれない。

二人はすこしばかり愛犬ラヴが亡くなったせいで、前より子供を育てる準備ができていると。

愛犬ラヴが亡くなってしまって、悲しみのなか二人は助け合った。
共犯者の気持ちになった。
二人で育てたラヴだから、それを失うことになったのも自分たちのせいだと。

そして次は後悔のないようにしようと。。。

失うことによって、どれだけ大切だったかを知ったのだ。

でも命は、亡くなってしまったらどんなに後悔しても悔やんでも、昔のことを考えても、亡くなったことに変わりはないのだ。


私はお空で行われる出会いの瞬間を思い描いた。

それはなんて素敵で心強い光景だろう。

約1年前にお空にいった子供。
あの時、始めて自分のお腹の中で、チカチカと白い光が動いてるのを見たときの感動。
それを見せてくれた子供。

でもお空にあっという間に行ってしまった。
でも1年も立って極楽浄土でゆっくりやすんだり遊んだり、それから私達を見ていたのかもしれない。

まだラヴが旅立って、5日目だ。
49日立った頃、ラヴがお空にいった時にきっと、ラヴが子供を見つけるのか、それとも、子供がラヴを抱っこするのか待ってるのかわからないけれど。

その光景は微笑ましく、可愛らしく、素敵なものだろうと思った。

今日思い出して、気づけてよかった。

愛犬が亡くなって気づいたこと。

お別れから2日目、仕事に向かっています。

いろいろな人に助けられました。

そしてラヴに感謝することが大切なことに気付かされました。

会いたい、抱っこしたい、姿がいなくなったことに対する悲しみばかり、失ったことに対する悲しみばかりではだめなんだと思いました。

その死が意味すること、そしてそれにより気づくこと。

ラヴが赤ちゃんのときからこれまでの5年ちょっとで様々なことがありました。

夫婦仲で辛いことも長くありました。

ようやく、落ち着いて来た頃に、ラヴは亡くなりました。

これから心の余裕もできて、ラヴともっと関わりが持てると思った時期です。

その時に失いました。

でもその失ったことへの悲しみより、今まで一緒にいてくれた感謝の気持ちが大切だと気付かされました。

そして、そのラヴが一緒にいてくれたすべての時間に感謝すればするほど、今までの辛かったこと、裏切り、向き合えなかったこと、自分の弱さ、全て全て
、ラヴへの感謝によって、許されるような気持ちになりました。

今隣にいる旦那に感謝。今までいてくれたラヴに感謝。それから辛さを聴いてくれた友達、的確なアドバイスをくれる両親、ラヴを最後までケアしてくれた救急病院の人達、かかりつけ医の先生。

本当にいろいろな人がラヴを知ってくれていて、私達だけで寂しくなかったのかつまらなくなかったのか、良いラヴにとっての人生だったのか。
そんな風に思っていた私に、実を言うとラヴはいろんな人に可愛がられ、いろいろな体験をしたんだと知りました。

私にとって5年は長くそして短い時間でした。
ラヴにとってその時間はどれくらいのものだったのか。

私にはラヴの言葉も感じていることもわからないけれど、きっとラヴは自分の人生を知っていただろうし、至らない私の元にやってきてくれたのだろうと思います。

あんなに頭のいい子で我慢強い子です。
手のかからない子でいつも癒やしだけを提供してくれ、夫婦仲をつないでくれました。

夫婦仲が悪くなり、私も何度と出ていこうとしたとき、自分で精一杯の私は何度とラヴにお別れをいいました。

溺愛するというほどの愛情は私にはありませんでした。
でもこの5年間、きっとラヴの存在にとても救われていたのだと思います。

ラヴの全ての共にした時間、ラヴの存在、そして今も私の記憶の中にいてくれること、すべてに感謝したいと思います。

愛犬がいなくなった話。

MRIで先天性の病気をもってると言われました。
でも今手術の必要はないと。
5日すぎれば良くなると。

そしてだんだんよくなり退院しました。
お家では徘徊するかのように歩き回りました。

私達は油断をしてました。

トイレもきちんと出来る、ご飯も食べられる、歩くこともできる。よく寝てる。

だから安心してたのです。

かかりつけ医からも薬の投与だけでお家に帰って良いことになりました。

お家に帰って2日目の夜のことです。

ご飯を食べたラヴに少し散歩をさせてあげようとケージからいつものように出しました。

いつもどおりゆっくり歩きました。

私はふと思ってしまったのです。

ラヴの顔が汚れてるから拭いてあげようと。

そして近づくと逃げました。

なぜ逃げるのか、目があまり見えていないから怖いのか?

でも前日は特に問題なく抱きかかえて顔を拭いてあげれました。

ゆっくり近づいて抱っこしようとしました。

するとラヴは2歩後ずさりしたのです。

その時です。

後ろ足がクロスされて引っかかり、バタッと横に倒れたのです。

コツとフローリングの床の音がしました。

びっくりして抱きかかえるともう、脱力しています。

なにも反応がないのです。

心臓を確認すると、まだ動いていました。

でもびくとも動かないのです。

もうだめだと思いました。

ああ、魂が抜けてしまったと。

彼が急いで緊急病院に電話をし、私はラヴを抱え、玄関にパジャマのままおり、玄関の前で待ちました。
「早く!早くきて!」

彼がすぐに車を出してくれないことが怖かったわ。

もう何も何も動かないラヴを抱きかかえて、もう無理、でも助けてーと声に出ない叫びを上げました。

彼が車を出し約10分弱の病院について階段を駆け上がり、ラヴを獣医さんに渡しました。

あああ。

車の中でラブの心臓の動きは止まってしまっていた。

蘇生を開始するために、5人くらいの人達が手分けをして細いラヴの腕の血管を取ろうとしていたり、心臓マッサージを始めました。

時間を測る人。
腕の毛をそってさらに血管を探す人。

あああ。

本当はもう無理だと思っていました。

自分のせいだ。

自分のせいでラヴが死んだ。

もう蘇生を繰り返しても、心臓マッサージをしても無理だということはなんとなくわかっていました。

泣いても泣いても叫んでも、助けてといっても、もうラヴは戻ってこないのです。

コツと床の音がしました。
あのとき魂が抜けたのです。

ラヴは首に先天性の病気を持っていました。

でもラヴにはそれがわかりません。

ゆっくり歩いていて転んで頭を打って即死するなんて考えもしなかったのです。

いままでラヴは滑ったり間違えて頭を自分でぶつけたり、いろいろな事件もあったけれど、ピンピンしてたのです。

まさかゆっくり歩いていて後ろに後ずさりをしてそのまま横にコテンと転んで、そのままもう息をしないなんて思わなかったのです。


もう無理だということはわかっていました。
30分の蘇生の後、これ以上使える薬がないこと、さっきまで少しだけ動いていた心臓も弱まってしまったこと。

諦めるしかなかったのです。

管は取り除かれ、完全にラヴの死が決定しました。

きれいにします、とラヴを箱の中にきれいな顔にしてもらいお家に連れて帰りました。

ラヴが交通事故にあってから10日目のことです。

事故から2日目もラヴがこのまましんでしまうと思っていました。
彼と大泣きし、少しケンカをしました。

なぜ、彼は散歩にでる玄関の前でリードを離してしまったのか。
なぜラヴは長い道を猛スピードで道路まで走ってしまったのか、。

わからない現実に苦悩していました。


でも状態が悪くなってきた3日目に早めにMRI検査をしようということになり全身麻酔で検査をしたのです。

そこで初めて脊髄空洞症とセキリ奇形を患ってることを知ったのです。

ラヴの首には白く大きな空洞がありました。

でも先生はこれは元気になったら手術をうけるようにしたほうが良いと言ってました。

緊急なものではないと。

車と衝突したラヴの頭はヒビが大きく入っていました。
しかし、内出血もなく、陥没してるとのこと。

でもその頭の衝撃によって先天性の疾患が悪化したのだと言いました。


脳圧を下げる薬やステロイドなどの薬で治療し、やっと自分でご飯が食べられ、ゆっくり歩けるようになったのです。

お家に帰ってきました。

だけれどちょっとしたささいなことで、転び、頭をうち、亡くなったのです。


先生にその結果を伝えた時、たぶん頭を打った瞬間に、小脳が飛び出て致命傷になったのかもしれないとのことです。

あのとき近づかなければ、もしケージの外に出さなければ、もし床のフローリングにタオルでも敷いておけば、、、もし、10日前に散歩に連れて行ってと彼に言わなければ、、。

過去に戻ることができるなら、防げたかもしれないいくつものことが脳裏にはっきりと思い浮かぶのです。

あのとき、散歩に出かけなければ。
あのとき、彼もイライラせずラヴが階段を降りるのを待っていれば、もしあのとき、ラヴが階段の方を滑っていれば、、。

たぶんあのとき、階段の反対側に頭を打ち付けて落ちたのでしょう。

その時もしかしたら、もっていた疾患が発動したのかもしれません。
もしかしたら、パニックを起こして猛スピードで道を走ってしまったのかもしれません。

たくさんのもしが、後悔という念を抱かずにはおれないのです。

だけれど、もうラヴはこの世にいません。

何を責めても、後悔しても、失われた命は戻らないのです。

あまりのショックにこの10日間が辛かった。

ちっちゃなラブが、コツンと頭を打つ音がした時、そして抱きかかえて、体からまったく力が抜けたのを感じた時、もう、絶望を超えて、恐怖を超えて、喪失感と空白しかなかったのです。

写真を見るたびに泣けできます。

でも私はまたラヴに会いたい。

その魂がまた別のワンちゃんに降りた子を探し出して、今度こそ寿命を全うさせたい。

ラヴは5歳で亡くなりました。
さいころから病気一つしなかった犬です。

体は小さかったけれど、元気だったのです。

たしかにこの子はそんなに長生きできる感じはしないけれど、それでも10歳くらいまで生きるだろうと思ったのです。
できれば13歳くらいまで一緒に暮らしたいと。

それが5歳だったのです。

それも車に衝突したのです。

そして床で転けて頭を打ってその場でなくなったのです。

こんなことあるのでしょうか?
こんなことが起こるなんて、まったく少しも思わなかったのです。

なぜでしょう?
何も悪いことをしようなんて思っていない。

溺愛していたわけではないけれど、かわいい子だと二人で育てていたのです。

私は亡くなった次の日にはお葬式をし、骨に返しました。

亡くなった姿があまりにも可愛くて、まるで生きているようでずっといたいと思ってしまって辛かっのです。
また暑くなって、ラヴの身体が痛むのか嫌だったのです。
そしてその姿はあまりにも悲しかったのです。

きちんとしたお葬式を行いました。約4時間のセレモニーが終わりました。

その素晴らしさと見送ることができたことに、そしてラヴがもう苦しむことがない、解放されたことに安心したのです。

まだラヴのことを考えたり、見たりすると涙が出てきます。

抱っこできない、撫でることも出来ない、寂しい。

だけど、一人でいる時間、たまに自由を感じます。

もしラヴがいたら、ただ寝ているだけでもう息をしていないのではないかと心配で怖いのです。

ちょっとした時間でさえも怖いのです。

この10日間、お風呂に入るのでさえ、気になって仕方がなかった。

ラヴが骨になり、もう心配する必要が亡くなりました。

もうこれから先ラヴの身体がどうなってしまうのか?このまま自分たちのことがわからず、変わってしまったラヴのままなのか?もう前のように走り回ることはできないのか??

いろいろなことが心配で悲しくて不安でした。

ラヴも毎日たくさんの薬を飲んだり、痴呆的に歩き回ることをせずにすみました。

ラヴがまだ生きたかったのかわかりません。

私はラヴが入院してから辛そうな姿を見たとき、思いました。

もしラヴが今の状態が辛くて、あの世に行って楽になりたかったら、自由になりたかったら受け止めると。
でもできるならば、家に帰ってきてほしいと。

犬は喋れません。

私が思っているより遥かに、辛かったのかもしれません。

私にはわからない、けれどラヴは最後はあっけなく行ってしまいました。

彼は大好きな私の腕の中で死ぬことができてよかったんじゃないかといいます。

でも私はそんな風に考えられなかった。

ただ腕の中でもう魂が抜けていくラヴの身体を抱える空虚感でたまらなかったのです。

抱いているのに、軽く、その存在感、生命力を感じないのです。

でも、私はラヴを愛しています。

溺愛するように飼ってはいなかったけれど、ラヴの存在に助けられ、愛しく、失いたくありませんでした。

いつまでもそばにいてほしかった。

いつまでも待っていてほしかった。

もっと一緒に遊びたかった。

でももういないのです。

49日までまだまだあります。

私はその間頑張ります。

またラヴに会える日まで。

悔しい!旦那が憎い!

愛犬が交通事故に。

原因は旦那。

犬が言うことをきかないからと苛立ち、リードをぐいっと引っ張ると反動で玄関の階段をおいた。

びっくりした犬は持ち直そうとした旦那の手を見逃さなかった。

すかさず道を猛スピードで走った。

そしてそのまま道路にいって飛び出て、バンっとぶつかったのだ。

不幸のチケットを貰ったら。

世界は広く、あなたはすべてをわかっていると思っているかもしれないけれど、あなたの知らないことはとてもたくさんあるのです。

あなたが目の前にしている不幸とは、次のステージに上がるチケットです。


それを今あなたは受け取りました。

だれもそんなものほしくないです。

そんな不幸のチケットなんて捨ててしまいたいと思います。

でもそれはあなたがいままでいた場所から、次のステージに上がるべき時にきたからこそ、受け取ったチケットなのです。

たいていショックな不幸のどん底に人間は叩きつけられた時、目覚めます。
あまりの衝撃に今いた場所にはいられなくなり、突然駆け上がるのです。
次の人生のステージに。

必然だと思ってください。

それはあなたの人生に必要な不幸のチケットなのです。

あなたは思うでしょう。

いや、隣の人は自分よりずっと幸せそうで、どんどん次のステージに上がってるように見える。
なんで自分だけ不幸のどん底にいなくちゃいけないのか?


それはあなたにはあなたのステージがあるのです。
隣の人はまったくあなたとは違うステージの人生を歩んでいます。
それとくらべることになんの意味があるでしょうか?

あなたはピアニストになりたいと思っているのに、隣で幸せに子育てをしている人をみて、同じステージにいると思いますか???

あなたにはあなたのステージが、あなたが望んでいるステージがあるのです。

あなたは自分自信を鏡でしかみることはできません。
あなたがどんな表情をして毎日送っているかなんてあなたは見ることができません。

でも他人からあなたは、あなたが思っている以上に幸せそうな顔をしているかもしれません。
他人からみればあなたが思っている以上に、がんばっていて充実しているように見えるかもしれません。
誰かはあなたの一部を羨ましいと思っているかもされません。

あなたがぜったいそうだ!と断言することが、あなたにとって真実かはわからないのです。

あなたが順調にがんばっている時、突然不幸のチケットを渡されることがあります。

なんで私の人生を邪魔するの?なんでいつも順調にいかないの?なんて自分の人生はダメなんだろうとと思っていることでしょう。

でも手には不幸のチケットを持っているのです。
不安や恐怖を感じるチケットです。
本当に破り捨ててしまいたいです。

でもそのチケットは残念ながら破ろうとしても捨てようとしても目の前にいるのです。

知らないふりをしようとしても、いつの間にかその不幸のチケットが手に戻ってくるのです。

それはあなたの人生がすでに次のステージにいく準備が出来ているという証なのてす。

勇気を出してください。

あなたは次のステージにいけるチケットを手にしてるのです。

それはまだ見たことがないステージです。

失う怖さ。

ラヴという犬を飼っています。
5歳です。
今は入院中です。

おしゃべりはできないし、指も器用に使えません。
自分で料理もできないし、お金を稼ぐこともできません。

得意なのは寝ること、撫でられて喜ぶこと、お肉の匂いを嗅ぎ分けたり、嫌いな野菜のご飯はキレイに残せます。

小さい犬なので、基本的に犬が苦手なので友達もいません。
ドッグランにいっても誰とも遊べません。
追いかけられて逃げてくるだけです。

散歩は少し、長距離は苦手です。

車にのって窓から顔を出して楽しんだりもしないし、小さいのでいつも目線は低く、あまり視力もよくないので、よく見えません。

テレビを見ることないし、音楽を聞くこともないです。

たまにぬいぐるみにじゃれつくことがあっても、ボール遊びもできません。

でもご主人さまが帰ってきた音がするとソワソワします。
だけど、すました顔で自分の部屋でまってることも多いです。

歳をとって子供の時のような無邪気さはなくなりました。

小さい頃は冒険家で度々面白いことをしでかしたけれど、5歳のラヴは寝てることも多いです。

階段が苦手なので、2階のお部屋がラヴのスペースです。

1階に行ったりしませんし、そんなに走り回ることもありません。

天気のいい日、無邪気に走り回ることもあります。

あなたの走り回る姿が好きです。

自由な感じがして好きです。

私はあなたのちょっと距離を置く感じ、人が忙しい時はじっと待っている感じも好きです。

小さいのでよくご主人さまにいたずらされても、おとなしくそれを見守ります。

あなたはとても賢くて、よくわかっています。

たまに拗ねておしっこをしてしまってご主人さまに怒られても、ちょっとするとしっぽをふってなでてほしそうにする甘えたなところもたまに見えて
好きです。

あなたはとても小さくて、おとなしくて、忙しいとあなたの存在を忘れてしまうことさえありました。

2017年2018年私はとても心に余裕がなかった。
振り返ればあなたの写真をとった数が極端に少ないのです。

あなたはそんな時でも部屋の毛布の上でこっちをみてたのでしょうか?

私達が大喧嘩をしていたときもあなたは片隅でじっと見守っていたのでしょうか?

私が心が鬱々として泣いていた時、あなたに話しかけた時、あなたはどう思ったでしょうか?

あなたは喋れないし、私の言葉もわからない。

だけどあなたのお目々はとても純粋で、何もかもを素直に受け止めているようです。

私はあなたを失うかと思うとあまりにも悲しくなります。

いつか人間より早くいってしまう犬に産まれたあなたが人間のように長く生きてくれたらいいのにと思います。

あまりにも短い時間があなたの運命だとしても、私はどうにかずっと一緒にいれないかなと思います。

あなたの写真や動画を集めてインスタにまとめてみたら、あまりの思いでの多さにびっくりしました。

あなたがいてくれてどんなに癒やされつづけたんだろうと思います。

私は親からペットはだめといわれていたので飼ったことがなかったし、そこまで興味はなかったのです。

逆にお世話をするのが面倒くさいと思っていました。
お金もかかるだろうし、私は自由が好きだったから、犬に自由を制限されたり時間を使うことを好みませんでした。

それなのにこんなに愛しい生き物と出会ってしまって、私の人生は一部変わってしまいました。

あなたはずっといて、強くて、何もしなくてもいい存在だと思っていました。

けれど交通事故にあってあなたを失うと思った時、あなたの存在の大きさに驚きました。

あなたはとても小さくて、儚いし、脆いし、何もできません。

だけどただあなたがいるだけで、とても楽しいのです。

あなたがしっぽを降る、寝てる姿、食べる姿、一緒に寝ること、困った顔、ご飯を目の前にした時の食いしんぼの顔。

全部全部すべてに癒やされるのです。

失うのはいやだ。

どうにかして長く生きてほしい。
健康で楽しくいきてほしい。
幸せであってほしい。

こんなふうに思える気持ちははじめてです。

ラヴはそんな気持ちを教えてくれたのです。

どうしてそんなことができるのでしょうか?

言葉も話さず、なにもできないあなたが。

できる限り、ずっと一緒にいようね!

当たり前にいる人、ことを大切することが一番幸せになれる。

今自分の周りにいる人、当たり前にいる奥さん、旦那さん、子供、ペット、友達など。
今自分が当たり前にできてる仕事、体を動かすこと、健康であること。


そういう当たり前のことを大切に感謝の気持ちをもって生きると、人生は一番贅沢に豊かになり、幸せになれる。

当たり前にあるものは、それがまるで軽い価値のように思ってしまう。
当たり前だから、考えなくていい、感謝する必要のないものだと、思ってしまう。


だけれど、何かに不満に思っていたり、人より秀でたい、人より良い自分でいたいという気持ちが強いほど、身近なものや人を大事にし忘れている可能性がある。

それはとても、勿体ないことだ。

本当は一番身近にいる人やことを大切にすれば、一番幸せになれるのに、なぜか遠くの幻想や形だけのものを得ようとする、優先しようとする。

もっと昇給するためには家族を犠牲にしてでも自分を優先して働くべきだと思っていれば、一番身近な家族を失うことになる。
家族という形は保たれていても、その中にいる人間同士の関係性はどうだろうか??

何かを得ようとして、必死になって、一番大切な、基本的な健康を損なえば元も子もない。

当たり前に出来ていたこと、当たり前にいた人やペットなど、

いなくなって、いなくなりそうになって、失いそうになってはじめて、気づくのだ。

どれだけその、当たり前のことが自分にとって大切であったかを。

失ってからでは、遅いのだ。

どうしてあの時、もっと余裕をもって接しなかったのか?
ちょっとした時間を使うだけで、良い関係が保たれていたかもしれない。
ちょっとした工夫で、伝わりにくいものも、伝わったかもしれない。


健康だって、小指ひとつ怪我しても、一気に生活の不自由さを感じるものだ。

自分の奥さんや旦那さん、それがどれだけ、心の支えとなっていたか?助けられていたか?
感謝の心を失えば、大切なものを失う可能性が高くなる。

そしてもし、少しでも気づいたなら、いますぐにできる限りストレートに伝えたほうがいい。

もう一生あえなくなるかもしれない。

もし少しでも、気づいたら相手に感謝を伝えたり、自分の健康をもう少し考えてみるとか、できることはたくさんある。

なんでもいい、悪いじゃない。

もしあなたが気づいたのなら、
その時が行動するときだ。

それを逃せば、いいチャンスほど、もうやってこない。


人生は長いようで短い。

出来ること、自分にとって大切な人やものに、
感謝をすぐに伝えよう。

だってそれはお互いに幸せになれる行為だから。

ラヴへの手紙

あなたがお家に帰ってきれくれるなら、どんな姿でもいい。

今まではあなたの足はバランス悪く長過ぎるとか、背筋が悪いとかいったかもしれないけれど、健康に駆け回ってるあなたがどんなに素晴らしい姿だったのか気づきました。

でも今は何でもいいのです。

あなたが家に帰って来ていてさえすれば、私はあらゆる手段を用いて、あなたを喜ばせ、楽しませることができます。

あなたのおしっこもウンチもなんでもどこでもしても平気です。

怒らないし、あなたはただ楽しんでいるだけでいいのです。

散歩は任せて!
あなたの行きたいところにいつでも連れて行くから。

あなたの大好きなかばんにあなたをいれて、どこでも連れて行ってあげるから。

約束します。

あなたが家に帰って来てくれさえすれば、いつもなでて上げるし、好きな食べ物もあげます。

あなたがこれからの人生謳歌できるように。

あなたの名前はラヴです。

あなたの名前にふさわしい人生にしてあげます。

約束します。

ぜったいです。

あなたがもし戻ってきてくれるなら、あなたがあと何年かで亡くなったとしても、それまで私はあなたを守ります。

あなたへの愛と楽しい笑顔であなたの命を守ります。その為に私はもっと強くなります。

ちゃんとあなたを大きな手で包んで愛してあげられるように。

だから安心して帰ってきてね。

ラヴ。

続けられる100円英会話。

日本国民の誰しもが思う、
「いつか英語が話せたら。」

これに一歩近づく方法が100円でできます。

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これ、ダイソーに売っていた100円の英会話の本です。

英語で大切なのは、日々、英語を発音することです。

口の筋肉が勝手に覚えてくれることです。

そのためには、毎日英文を喋ったほうがいいわけです。

で、この100円のいつゴミになるかわからないものを、目につくところにポンと置いておきます。

青いので案外目に入ります。

手に取ります。

適当なページを開いて、発音してみる。

できたら、外国人になりきって、発音してみる。

とにかく英語を発音している自分を楽しむことです。子供のように。



瞬間的に発音できなければ、どんなに文法を知っていても会話ができません。

なので、かんたんな英文を外国人になりきって、毎日発音する。

ただそれだけ。


こんな100円の本でも、575文会話があるのです。
短いフレーズですが、この単語英語でなんていうんだっけ?と案外わからないこと多いです。

この100円のフレーズをもし1年後にすべて覚えて瞬発的に発音できたら???

すごくないですか?

100円だけで、1年毎日、短いフレーズだけ、発音するだけ。

考えない。

日本語だって、考えて文章作って会話してるわけではないです。

ニュアンスで英会話できるくらいがちょうどいい。

細かいことよりも、言いたいことが言えるほうが、コミュニケーションには大切です。

もう3日坊主にならない、「スマホ運動」とは?!

それは、「スマホ見ながら運動法」です。

たぶん一度スマホを見だすと軽く1時間くらい見てる人はいると思います。

それが毎日です。

その時間とてももったいない!

そこでおすすめなのが、寝ながら、スマホ見ながら運動です。
こんなのとか↓
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運動を真面目に毎日しようとすると、途中で離脱します。

ポイントはいつも習慣的に無駄に体を持て余しているスマホを見ている時に、運動もついでにすることです。


くせになって、スマホ見る時は体を動かすようになれば、スマホで情報も見れて、なおかつ体も鍛えられる。

2つ人生でお得になります!

とにかく、真面目にやろうとしないこと。

そしてまずはやって見ること。

だんだん自分にあった効果的なやりかたを改善していき、とにかく長ーーく続けること。


ぜひぜひ「スマホ運動」おすすめです!

人生今より3倍充実させる簡単な方法とは?

もし毎日充実感が足りていない、もっと人生を充実させたいという方におすすめの方法が一つあります。

それは、
「明日のやることリストを今日の夜スマホにメモ書きし、必ず朝起きたらそのリストを確認する。」

ただこれだけです。

やることリストを作るってよくきく話でやったことあるよーという方。

でも前の晩に必ず作って、朝起きたらすぐにリストを確認していたでしょうか?

リストは作ったものの、たまに見るとかいつの間にかリストを作ったことさえ忘れていなかったでしょうか?

リストは具体的であればあるほどよいです。

例えば
・毎日出社前の2時間前に起きる
・朝瞑想を10分する
・昼休みは〇〇をチェックする
とか、、、。


人間はついさっきいっていたことを忘れてしまいます。
日常に流されて、自分がやりたかったことを忘れてしまうのです。

そして時間を無駄に過ごします。
なんとなく、スマホをいじっていたら寝る時間になった、
ついついスマホをいじりすぎて夜ふかしし朝遅刻しそうになって慌てて出勤した。

とか。

でも朝必ずやることを確認する、
一日の中でちょくちょくやることを確認する。
必ず寝る前には明日のやることを作っておく。


よくきく話ですが、これはハーバード大に現役合格した人が小さな頃から実際に実践して、
時間を自分の思い通りに過し、自分の人生を勝ち取った人がやっていた習慣でもあります。

ぜひ、まず、やってみてください。

人生の充実度、幸福度、そしてなにより成長度が劇的に変わります!

人生で大切なこととは?

インドに瞑想に行った時、その言葉は舞い降りた。

人生で大切なこと。

それは

「有ることを知る。」だ。

あなたはすでにすべてのものを持って産まれた。

でもそれをあなたは知らない。

いつもあれがない、これが足りない、だから自分の人生は物足りなく幸せになれていないと思うだろう。
死ぬときもそうだ、あれをやっておけばよかった、もっとこうおけばよかったと。


でもそうじゃない。

すでに、あなたはすべてのものをもって、この世に産まれた。
それを知らないから、いつまでたってもないない、あそこにあるかな?と探しにいくのだ。

本当はすでに自分が持っているのに。

でも思うだろう。お金ないよ、友達も恋人もいないよ、仕事も辛いよと、隣の人は自分よりずっといい、ああしておけばよかった、自分の環境が悪かったと。

でもそんな目の前のことを言っているのではない。

形あるものはいつかなくなる。

もっと深く、強いものだ。

「有る」、というのは。

ただ自信があり、どんな時も変化することを恐れず、体の声に耳を傾けることができ、全てはつながっていることを知っていること。

形がないと不安というのは、全て自分がもっていることを知らないから、不安なのだ。

自分が産まれた時から、すべてを持って産まれてきたことに、「気づく」ことこそ、人生で大切なことなのだ。

夫を教育するやり方とは?

これは結婚してから大切なことです。

よく共に協力して、とか思いやるとかあると思いますが、夫の教育に関しては、

率直に、丁寧な言葉で、はっきりと伝えることが一番大切です。

これは慣れないうちはかなり難しいことです。

曖昧にしたり、遠慮したり、察してくれることを待つことほど、夫の教育に関しては、残念な結果になります。

女性は平和に仲良く、できるなら自分が譲歩するか遠慮するか、我慢するか!をしてしまいがちです。

しかし、夫教育については、全く役に立たない能力です。

残念なことに、私の経験上、何人の男性、どんな性格の男性でも、「甘やかすとろくなことがない。」です。

こちらが優しくしたり、察して先回りして考えてたりすると、男性も気づいてくれるだろうと期待します。

しかしそれはたいてい残念な結果になるのです。

図に乗りだします。
こちらの行為は当たり前だと言わんばかりに図々しくなりやすいのが、単細胞の男の中身です。

残念なことに、男性と女性では、脳梁の太さが違います。

残念なことに、女性が思っているより、男性は単細胞で、いろいろなことを同時に考えることができません。

目の前にいる夫に不満がある場合、それは残念ながら、察する能力がない夫だからこそ、不満に思うわけです。

なので、教育が必要になります。

繰り返しますが、夫教育に一番必要なのは、男性の脳力に伝わる、わかりやすく、はっきりした言葉です。

あなたが夫の言動や行動に不満があるなら、はっきり、「その言葉や行動を私は不快に思うので、やめてほしい。」と伝えるのです。

遠回しとか、嫌な表情とか、そういうのは不快というだけではだめです。

はっきり、私はあなたのその言葉や行動で、不快な気分になるので、やめてほしい。
と感情的にならず、完結にわかりやすく伝えるのです。

けっして声を荒げたり、感情的になってはいけません。

事実そういう気持ちだ、というのを、溜め込まず、その場で完結に伝えるのです。

しかし習慣化されたものは、そう簡単に治りません。
でもそれを聞いてるあなたは、その度に不快になるのだったら、その度に、きちんと同じことを何度もその不快になった時に伝えなくてはいけません。

声を荒らげず、できる限り、丁寧に。

いや、そんなことを伝えたら、夫が嫌な気持ちになるのではないか?なんて優しさは必要ありません!

残念ながら、そこまで深く考える脳力は男性にはありません。
あなたが考えるほど深く悩まないし、考えもしません。
あなたが不快に思ってる?なんでだろ?止まりくらいです。
なので同じことを何度もします。

だからといって夫教育を辞めないでください。

夫教育も夫婦のコミュニケーションの一種なのです。

一番女性がよくないのが、あとになって、私はあんなことをあなたには思っていたとか、後出しは避けましょう。

あなたの精神衛生上にも悪いですし、お互いに不快な思いをして、一緒にいる意味はありません。

もしくはあなただけが、我慢をして、ストレスを貯めるなどもってのほかです。

なぜならば、人間とは、人にされたことを、しかえそうとする弱い生き物だからです。

今は我慢できても、何年かして、体調が不安定な時にマグマとなって吹き出し、関係修復には遅すぎることがあります。

なので、女性が夫教育をする時に一番大切なものは、きちんとその場で思ったことを、声に出して、素直に夫に伝えることです。

不安だ。悲しい。うれしい。楽しい。怖い。苦しい。

マイナスのことばかり伝えれば相手も嫌になるものです。

不快に思ったことを伝えたら、嬉しかったことも倍伝えること。

きちんと脳梁の太い女性だったら、夫教育はできるはずです。

面倒くさいと思わず、大切な赤の他人男女が長く一緒にいる為にも必要な、コミュニケーション脳力です。

ぜひ、思った時に完結に素直に丁寧に、夫に伝えること。

夫教育に一番必要なことです。

自分の取り扱い説明書を作るべき。それが成功者になる近道。

男と女は違う、その先に親から受けた環境の脳の発達も違う。

もちろん性格的傾向のDNAも違う。

 

その人が何に喜びを感じ、悲しみや怒りや不安を感じるのかも、全く違う。

 

些細なことで怒ったり不安になったりする度合いも、裏切られた、嫌われたと思う尺度も違う。

 

突然大きな声でヒステリックに怒ったりするのはその人の何かのバロメーターが上限に達したからそうなるのだ。

 

でもそれは他人には見えない。

 

だからできれば、各個人社会に出る前に、取り扱い説明書があればいいと思う。

 

占いに自分の今後はどうなるのか?聞くことはその占い師が決して未来が見えてそうなってるわけではなく、いろいろな人間にはタイプがあって、そういうタイプの人はそういう行動をしてれば未来はこうなるだろうと思っていってることが多い。

 

統計学のようなもので、ただし統計学というのは、その図り方によってまったく別の答えが出てしまうので安直に真に受けて信じるのはよくない。

 

占いにいくのは、自分で自分を見るのが苦手な人である。

 

もちろん他人からきく自分の姿の情報を知ることで、何かヒントになって、思いつくかもしれないが。

 

私も、一時占いにハマったことがあった。

恋愛でこの人との相性はどうかとか。

 

でもその聞いている時点で何かしら不安があるから聞いているのだ。

 

もし自分で相手が好きで不満がなかったら、占いに相談にはいかない。

 

もしくは客観的に自分には答えが出ていて、背中を押してほしいという意味だったらいいかもしれないが、、。

 

何も考えず、漠然とどうしたらよいか?を占い師にきいても、失望するか、忘れてしまうだけだから、エンターテインメントだと思えばいいかもしれないけれど、真に受けるのは危険である。

 

宗教は世界の人々が信仰していて、それが生活の一部になっている。

宗教を信仰しない人にとっては、それが何なのかよくわからないし、近寄りがたいものだろう。

 

社会のルール、会社のルール、家庭のルール、宗教のルール、すべて同じことはない。

 

たくさんあるルールの中でさらに自己のパーソナリティがあるのだ。

 

なんといろいろなものに関わっているのだろうと思う。

 

道を歩くときは右側。

 

信号があれば止まる。

 

近所の人には挨拶をする。だけど知らない人には挨拶はしない。

 

朝食は抜いたほうが胃が休まる、抜くことは体に良くない、昔は1食しか食べなかった、3食も食べる必要はない。

 

昔はバターは悪だったが今はマーガリンが悪になる。

 

コロナでマスクをしなくてはいけない。

 

時間は1分なりとも遅れてはいけない。

始まる前の15分前には準備しておく。

 

学校には行かなくてはいけない。義務教育だから。

 

女性は子供を産まなくてはいけない。育てなくてはいけない。

 

なぜ女性が産んで、男性が育ててはいけないのか?

もしそうなら、女性はとにかく出産だけ頑張ることに集中し、お役目ごめんで、男性が育ててもいいではないだろうか?

そうしたら、男性は出産前に一生懸命育児書を読み、事前の講習会にいくだろう。

育児の為の道具をそろえるためにリサーチするだろう。

 

(すでにWインカム推奨、老後は自分で蓄えてね、日本はもうバブルなんてないし、少子高齢化だよとなっているのに、男女の役割や考え方は未だ進んでいるようで、遅れている。

男性で自ら女性と一緒に協力して働くことや、子育てをすることを話し合う人は少ない。

残念ながら男女とも、変わらなくては生きていけないのだ。でも変わりたくないから、きっと独身でいることを推奨する人たちが増えてきたのだろう。)

 

会社では社長のいうことを聞かなくてはいけない。

 

特に日本では集団行動、みんなが右を向けば右を向くのが正しい。

それに逆らうものは悪とされる傾向がある。

 

荒波を立てるな、というみんなの意見で個人の行動の自由は制限される。

 

好き勝手やっていたら、リーダーが困るためだ。

そして面倒くさいことは誰しも嫌がる。

 

上にいるものが偉く、上にいるものの利益にそって下のものの自由は束縛される。

 

上と下がある限り、不公平なルールが存在する。

 

平等なんて存在するはずもない、他人がどんな環境で育ち、他人は自分自身のことも、よくわからず、みんな生きていることが多い。

 

でも基本は自分という、個人だ。

 

自分個人が自分でわからない、コントロールできないでは、幸せになりづらい。

 

成功者というのは、自分の幸せを知っていて、それを行動に起こせている人だ。

 

結果なんていうのは、今よくても明日は悪くなるかもしれない。

 

なので、一時期の結果というのはその瞬間の出来事で、本当の意味での、成功者になるには、自分の幸せを感じることを知ることが一番大切になる。

 

なので、自分の取り扱い説明書を作ることは大切なことなのである。

 

それさえあれば、どうやって自分をコントロールし、行動すればいいか、もしくは他人に自分についてきちんと伝えることができ、他人も判断しやすくなるというものだ。